今年2013年、伊勢神宮と出雲大社の同時式年遷宮と共に鶴と亀が統べる。

長い間封印されてきた縄文系(ムー大陸)の神々(シリウスの龍神?)がよみがえり、

縄文系を封印し統治してきた天孫系の天照皇大神とが統合される?

陰と陽、表と裏の統合と共に、これまで隠蔽されてきた先史文明の謎も解き明かされるのか?



日本の周辺海域には、あまり公にはなっていない海底遺跡が数多く存在する。

与那国、北九州沖、山陰沖、和歌山沖、熱海沖、青森沖など。


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  【参考】
  ・古代文明と日本固有文字
  http://ameblo.jp/0405ryu-i-s3017/entry-11351189359.html


  ・時が来た?南極ピラミッド情報公開とそのタイミング
  http://ameblo.jp/0405ryu-i-s3017/entry-11347604990.html




そして、島根県出雲大社のすぐそばにある出雲沖の海底にも人工的な地形が存在し、

亀石らしきものまで見つかっている。


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                              (ダイバーさんのサイトより)

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                                   奈良の亀石



島根県出雲沖 


日御碕の海底遺跡

「神様住んでた?出雲・日御碕沖に海底遺跡 階段・参道も」 

島根半島の西端、出雲市大社町の日御碕沖の日本海に「海底遺跡」とも呼ばれる不思議な地形がある。
詳しいことはまだ分かっていないが、地域おこしに生かそうと地元のダイバーらが市民団体「マリンブルー」を設立し、15日に活動への理解や参加を促す住民説明会を開く。
 
団体は昨年、日御碕漁港でダイビングショップを営む岡本哲夫さん(57)を中心に結成した。
「日御碕海底遺跡調査と地域振興、環境保全」を活動目標に、考古学者や地質研究者、県内外のダイビング愛好家ら40人が参加して潜水による調査や清掃、海岸での美化などに取り組んでいる。
 
岡本さんは新たなダイビングスポットを開発するため、1999年から周辺の海を調べてきた。
「海底遺跡」は岬先端の日御碕灯台北や日御碕神社西の海底にあり、岩を削ったように見える「階段」や玉砂利を敷き詰めた洞窟、ウミガメにそっくりな「亀石」などが次々に見つかった。
遺跡を裏付ける専門的な調査は今後進めるが、人工的に手を加えたようだという。
 
日御碕神社の夕日の祭りがある経島(ふみしま)の西の「タイワ」と呼ばれる海底の丘には、頂上に通じる参道のような地形がある。
神社には「かつてタイワは海面上に浮かび、この場所で夕日の祭りが行われていた。
その後海底に没した」との言い伝えがあるという。


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これだけの海底遺跡が存在するにもかかわらず、未だ無視され続けて無きものとされている先史文明とは…
今の支配層にとって、出てこられては余程マズい存在だったのか?




*最近、飛鳥昭雄氏の エクストリームサイエンスの人気が高まると同時に、彼はモルモン教のエージェントである、などというネガティブな噂も拡がってきたが、
そんな情報も踏まえたうえで、ただ淡々とパズルのピースと成り得る情報の一コマを探してみる。



  P.31より転載


『旧日本軍とムー大陸』

チャーチワードは謎の多い人物である。
ニューヨークに墓があることから、実在した人間であることは間違いないのだが、経歴が不明なのだ。
イギリスの陸軍に所属していたとはいうものの、軍籍がないのである。
チャーチワードという人物はいるが、ジェームズではなく、さらに大佐でもない。
つまり、経歴詐称の疑いがあるのだ。

となると、当然ながら、インドの寺院で「ナーカル碑文」を発見したという話も、途端に怪しくなる。
若いころには趣味の釣りに関する本を書いていたというから、どうも世界中を股にかけて歩く冒険家のイメージもそぐわない。


いったいチャーチワードとは何者だったのか。
結論から言おう。
彼はエージェントだった。
しかも、日本のスパイだったのである。
チャーチワードの裏には、驚くことに旧日本軍がいた。
旧日本軍がチャーチワードを使って、ムー大陸伝説を世界中に広めた可能性が非常に高いのだ。


というのも、「ナーカル碑文」に関する情報を収集していたのはイギリス軍ではなく、
何を隠そう旧日本軍だったのだ。

第2次世界大戦後、旧日本軍の指導者たちは連合国による責任追及を逃れるため、重要な書類をすべて焼き払うよう全軍に命令した。
市ヶ谷にあった「陸軍省参謀本部」も例外ではなく、ほとんどの書類が焼かれたのだが、
奇跡的に残っていた資料があった。

GHQ(連合国軍総司令部)が乗り込んだとき、ある一室に「南耀」と書かれた厚い封筒を発見し、それを回収した。
封筒があった部屋は「教育総監部」の一室で、後に封筒を調査したチームは腰を抜かすことになる。


封筒には、日露戦争当時のインド北西部ラジャスタン州の地図とともに180枚以上の写真が入っていた。
どれもヒンドゥー教に関わる古い写真で、寺院、僧侶、祭儀などのシーンが写っていたが、
その中に妙な絵文字が刻まれた粘土板が含まれていたのである。
よく見ると、以前、チャーチワードが著したナーカル碑文の絵文字に極めて似ている。

調査チームは写真と一緒になっている記録を見て、日本がまだ「日英同盟」を結んでいたころ、
調査団がインドに入って撮影したものだとわかった。
もちろん、写真の出所からして新聞社ではなく陸軍の調査団である。
いずれの写真も、「不許可」や「検閲済」の朱印が押されていないからだ。

GHQの調査チームは、やがて封筒の南耀を「ナンアカル」→「ナアカル」→「ナーカル」と読めることに気付く。

そう、漢字はナーカルの当て字だったのだ。
つまり、「ナーカル碑文」と命名したのはチャーチワードではなく、旧日本軍だったのである。
「ナーカル碑文」からムー大陸伝説を生み出した旧日本軍は、釣りが趣味の一介の西洋人をつかまえて、
これを本にしてアメリカで出版させたというのが真相なのである。


なぜ旧日本軍はムー大陸伝説を生み出したのか。
その理由は、極めて軍事戦略的な意図による。

欧米世界と戦争するにあたって、旧日本軍は西洋文化を徹底的に研究。
西洋人の思想的なバックが「聖書」とギリシア哲学にあることはもちろんだが、
彼らの民族的アイデンティティーは最終的に太古の源郷ウルハイマートにたどりつくと睨んだ。
大西洋に失われたアトランティス大陸があり、そこに栄えた超古代文明こそ、
西洋神秘主義の源泉であると分析したのだ。

当時、大東亜共栄圏という大アジア主義を掲げる旧日本軍にとって、
同様の神秘思想は重要はドグマだった。
すなわち、アジアの文明の源泉は、太平洋に沈んだムー大陸にあり、日本はその超古代文明の継承者である、というわけだ。

実際、ニューブラフやブラウンに先行するかたちで、日本の古神道では、太平洋に沈んだ大陸があるという説が主張されていたのである。
旧日本軍にとって、インドで発見された粘土板は、まだにムー大陸伝説を裏付ける貴重な資料だったのである。


しかし、歴史は皮肉なものである。
旧日本軍の意図とは裏腹に、現実は違う結果となった。
ムー大陸が一夜にして滅亡したように、日本もまた、原爆投下という悲劇的な事態によって、
全面降伏を余儀なくされ、ムー大陸という幻想だけが残ったのだ。



『ムー文明と日本人』

旧日本軍が密かに抱いたムー大陸幻想。
思えば、それは同時に日本がムー文明の継承者であるというテーゼに証明にほかならなかった。
天皇は天照大神の子孫であり、祭司にして王の現人神。
これは太陽王ラ・ムーそのままである。
永遠なる楽園の都ヒラニプラは、さしずめ平安京だろうか。


  (*この著書では、天照大神がムー文明の継承者ということらしい)

奇しくも、現代地球科学を代表する東京大学の竹内均教授は「ムー大陸から来た日本人」という本を著し、日本人のルーツを環太平洋という視野に立って分析、興味深い提言をなされた。


《徳間書店》竹内均ムー大陸から来た日本人 再び 地球に日本人の起源を探る 【中古】afb
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「太平洋やインド洋には、大きい陸地という意味での大陸は存在せず、無数といってよい島々だけが存在した。
 しかし、それらの島々をつなぐ人々の交流やコミュニケーションは、これをひとつづきの大陸と呼び、
”象徴のムー帝国”やレムリア帝国が存在したといってよいものであった」



「環太平洋文明圏」。
それは、もうひとつのムー大陸である。
超大陸バンゲアは現在、粉々に分裂し、世界大陸を形成している。
その意味で、全世界がムー大陸と呼んでもいいのだが、旧日本軍が幻想し、チャーチワードが主張した太平洋の楽園としての「ムー文明」は、環太平洋文明圏、
いや正確には「汎太平洋文明圏」だった。

しかも、そこには確かに日本人のルーツがあった。
古代の縄文人や弥生人といった人々は、まさに汎太平洋ムー文明の担い手だったのである。---


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ムー大陸として「大陸」が存在していたわけではないが、「文明」は確かに存在していた。

それを裏付けるものが海底遺跡や人工的な巨石、そしてペトログラフだろう。



                                    ハワイのペトログラフ
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イースター島の赤いスコリアに彫られたマケマケと二人の鳥人(wiki)


鳥人? 翼のある人像と言えば…

フゴッペ、オショロ洞窟やアリューシャン列島、そして北シベリアからベーリング海峡で発見された岩刻み文字(図形)の中で見られる「翼のある人像」とも関係があるのだろうか?


【参考】
アリュート有翼人の謎 ~スカイピープルは実在した?~
http://ameblo.jp/0405ryu-i-s3017/entry-11376940540.html




山口県彦島のペトログラフ。これはシュメール文字とも一致する。ハワイのペトログラフも同じ系統のようだ。

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そして、沖縄のロゼッタストーンにも同じようなシンボルが見られる。

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古代史の画像・日本人のルーツ より)



   (渦巻き模様は、私の中ではワームホールでもあるのだが…笑)

 
   ・地上絵は中東にも存在した
   http://ameblo.jp/0405ryu-i-s3017/entry-11473135239.html





琉球大学名誉教授 理学博士 木村政昭氏著書の
より P.88~抜粋

図34                             図35
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図34の表(A)の左側に、宝塔の下方に縦線の入った横線が描かれている。
これは同じ石版の裏に描かれた構図(B)では船の下にあり、海と陸の境界だと解釈できる。
図では海上に浮かぶ塔のようだが、海の彼方か海中を表現しているらしい。
このほか、石版に書かれた絵柄と、チャーチワードが言う、”ムーの象形文字”は
極めてよく似ている。
(図35)

また、偶然の一致かもしれないが、クレタ島のクノッソスで発見された粘土板に刻まれた古代文字、
線刻AやBを思い出す。
外間守善氏は、沖縄の石版に掘られた岩刻文字(沖縄のロゼッタストーン)とこの線刻Aに関しては、
未解読という点で文字に関する文化的共通点を見出している。
私自身は、それとともに、クレタ文明が失われたアトランティス文明に関連している可能性が強いとされていることに共通のものがありそうに思われるのだ。


およそ紀元前18世紀から紀元前15世紀頃までクレタ島で用いられていた線文字A
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*上図「ペトログラフ(岩刻文様)」の中の、神社の鳥居に似たシンボル(漢字の「開」)とよく似ているものがある。


ここで、非常に重要な事実を指摘しよう。
チャーチワードの言う”ナーカルの粘土板”は現在、誰も確認しようがない。
しかし、琉球弧で見つかった”沖縄ロゼッタストーン”と言われる石版には、
表意的には琉球古陸水没の有様が描かれており、水中に沈んだ宮殿、もしくは神殿のようなものまで描かれているということだ。




図35のムー文字はまた、日本固有文字であるヲシテ文字にも非常に良く似ている。
卍の文字はムー文字でもあったのか…。


ヲシテ文字
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同書P.90~
『竜宮伝説とニライカナイ伝説』

琉球(南西諸島)では、昔から海の彼方に理想郷”ニライカナイ”が存在すると信じられてきた。
今日では、その理想郷こそ”竜宮城”ではないかという説が有力になってきた。
竜宮城といえば、「亀」がつきものである。

実は、与那国島の第1海丘=ピラミッドでは、そのアッパーテラスに大亀のレリーフが2体、配してある。
また、北谷沖の海底ピラミッド近くには、亀型に似た大石による墓(いわゆるドルメン)があり、
亀のレリーフがここかしこに見られる。

理想郷”ニライカナイ”は沖縄近海、西方の海底にあると言われるが、
この信仰には水没した琉球古陸の記憶が反映された可能性がきわめて高い。

したがって、前述した石版に描かれた建物は、ニライカナイの神殿とも見える。
つまりそれは、古代琉球で信じられていたニライカナイの神殿の中では中心的な建物、
あるいはその一つが、北谷沖の海底ピラミッドではなかったのではないだろうか!?---


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与那国島海底遺跡にあるスフィンクスに似たモニュメント      
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浦島太郎から辿る「世界史と考古学」より)



沖縄のロゼッタ・ストーンの解読によると、
「かつて栄えた偉大なる王の宮殿は、忌まわしき蛇の力によって、海の底へ沈んでしまった」
という内容の石板があるという。



その忌まわしき蛇とは、シオンの議定書の言う蛇と同じ蛇のことだろうか?


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 (シオン議定書3)
 我々が歩んできた長い道のりは、今まさに象徴の蛇の輪を閉じようとしている。
 その蛇は、神によって約束された未来の支配者たちを象徴している。
 この輪が閉じられるとき、世界の全ての国家は強力な万力によって締め上げられるのである。






浅川嘉富氏の説では、次元を超越してくる。

P.189

『龍宮城は龍蛇族の海底基地であった』 より抜粋

さてそうなってくると、龍宮城、すなわち「古事記」にいう綿津見神の宮とはムー大陸の名残りとしてのプレアデスからやってきた龍蛇族系宇宙人たちの海底基地であったとはいえないだろうか?

カヴァーロ氏によると、太古の時代から日本近海を含め、海底には宇宙人たちの活動拠点として海底基地が作られており、
そこには今も、高度なテクノロジーを持った知性的な龍蛇族のほか、グレイ型宇宙人や河童(これもグレイの一種だという)などがいるようである。
そしてそこは、地球規模のカタストロフィに備えて、人間をはじめ地球に存在するすべての動植物のDNAを保管するアーカイブ(保管所)の働きもしているようだ。


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ホボット氏によると、彼が行った基地はいざというときには自らを丸ごと時空間のトンネルに吸い込んで宇宙空間へ瞬時に移動できるというから、
本来はかなり高い次元に存在していると考えられる。
つまり、物質世界で活動するためにはできるだけ3次元世界に近いことが望まれることから、
そうした高い次元から3,5次元まで波動を落としているのではないかと思われる。

そう考えると、「古事記」に登場する山幸彦と豊玉姫が逢瀬を重ねた海底都市と、
「小桜姫物語」における龍宮城の記述との間にある矛盾も、きれいに解消されることになりそうだ。


(「小桜姫物語」の中で老人が小桜姫に語る話の引用)

龍神といふのは一と口に言へば元の活神、つまり人間が現世に現はれる前から、
こちらの世界で働いてゐる神々じゃ。
時として龍の姿を現はすから龍神には相違ないが、しかしいつもあんな恐ろしい姿で居るのではない。
時と場合でやさしい神の姿にもなれば、又一つの丸い球にもなる。

現に俺なども龍神の一人であるが、そちの指導役として現はれる時は、
いつもこのような、老人の姿になってゐる……。


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かつてムー文明の時代には、次元を超越した種族たちとの交流があった。

私にはこれが一番腑に落ちるのだ。

だからこそ、隠蔽され続けてきた。

日本でシュメール文字やシナイ文字の岩刻文字が見つかった時、

それは神懸かりの霊示に導かれてなされ、しかもその場所が神道の神社や“入らずの森”などという

禁忌によって何千年という長い間隔離され、守られてきていた場所で大量に発見されたという。


   ・ペトログラフは語りかける
   http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/petoro.html






次元を超越した種族が存在したとすれば、これらのオーパーツが存在していることも腑に落ちるのだ。


2000年前のバクダット電池              金属のコネクターが埋め込まれた石
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石の中に埋め込まれた金属の棒         10万年前の堆積層の中から発見された金属のバネ
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1500万年前の石炭層から見つかった靴跡のついた化石   2100年前のコンピューター
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2億9000万年前の石につけられた足跡の化石  1億1千年前の地層から出土の人間の手形 アラフォーママの日記  アラフォーママの日記 
14の謎の古代遺物 より)