空白の瞬間 -3ページ目

GACKT 20th ANNIVERSARY LIVE TOUR 2020「KHAOS」感想

GACKTさんのソロ活動20thを記念した全国ツアーが開催されるということで
割と軽い気持ちで行ったら良い意味で打ちのめされたので自分用の備忘録を。

 

ネタバレのレポですのでよろしくどうぞ。

20年は長い。いわば成人式だ。
生まれた時は見分けがつきづらい赤子たちが、確実な個性を発揮し己の意思で道を歩む年月。
それだけ長いこと活動していれば彼を取り巻く環境や人だって大きく変わる。
愛を前提に言うが、彼はとても厄介で無鉄砲でついていきづらい変な人だ。
だから余計に多くの人が「思い通りにならない」と感じやすいだろう。
ファンの層も入れ替わり、そこにいる人たちの表情も響く声も変わってきた。

彼の活動に対して人々は様々なことを思う。
だが、十人十色でいい筈だ。
私はどの立場の人に向けても角が立たない感想文は書けないかもしれない。
だけど、私は私の立場から私の想いを綴ってみよう。
MALICE MIZERを愛し、時の流れを憎み、根源を憎み、恋しさに打ちひしがれ
苦しんで苦しんで苦しんで、それでも自然と彼を愛しく思う私の立場から。

 



突然だけど、これは私のスマホの待ち受け画面。
この画像が公開されたその日から数年間1度も変えずにいる。
「思い出が欲しい」と移住したマレーシアの自宅で安らかに眠る表情が無性に愛しくて

その穏やかさを肯定したくなるんだ。
毎日必ず何度も目に入れるこの写真は
自分の欲よりも彼の幸せを願う気持ちを忘れないよう、心を穏やかにしてくれる。



●オープニング映像

これが衝撃に火をつけた。
初公開される映像なのに、とても既視感があったのだ。
私はこのシーンを知っている。
あの、あのSHOXXだ。
マリス在籍時に失踪し、1人でメディアに現れたあの1999年12月発売の。



そこには「空から落ちていく彼」が映されていた。
白い布を纏い、落下していく姿があった。
MARSのサブタイトルが「空からの訪問者」なのはここから繋がっている。
そして地上には戦争やデモのような平和ではない世界が広がっていて
彼は今からそこに向かうのだ、という展開。

それは架空の物語の設定であり、現実でもある。
確かに脱退当時のGacktさんが新しく生き始めた世界は
その地に足をつけた瞬間には既に荒んでいたな…と思った。
これから始まるこの生命の結末すら
私は現実として、LVLの物語として、既にもう知っている。

「彼は……飛び立って、空に還ったわけではなく、そこから何かの力によって地上に堕ちたんだと思う。
そして、人間に生まれ変わって初めて人として感じる痛みという感情を知った。
空から堕ちて痛みを知った彼は、地上で人間と言う試練を感じた時に心で何を最初に感じるだろう、って考えた時に
“空から堕ちてきたなら空に近いところで何かを探しに行くんじゃないか”って思った。
孤独と痛みを正面から感じるために。」

―――今の話というのは「Le ciel」の内容ともリンクしているのでしょうか。

「うん。僕はそれでも空から堕ちたっていうことを悪く考えてはいないんだよ。
空から堕ちた、堕とされた、堕ちる運命にあった…言い方はいろいろあるのかもしれないけど、
でも彼は堕ちなければずっと生も死も与えられなかったわけで、
けれど堕ちることで彼はあらたに人としての痛みとともに命を吹き込まれたわけだし。
たとえ、その先にあるのが死だったとしても、彼は前に歩くしかない。
そしてきっとさらに自分という存在の意味を感じるんだと思う。
物語は続いているし、まだまだこれからなんだよ。」
(該当のSHOXXより引用)

ルシエルから物語が続いていることも察していたけど
イメージにするとこうなるのか、という情報の映像化に興奮もした。
見たかった世界だ…!




●ただ楽しい時間

BDの時と多分同じセトリで、今回のテーマは「GACKTの無駄遣い始めました」らしく
間におちゃらけた神威楽園の映像を挟みながら進行される。
LAST VISUALIVEの命名に嘘はなく、本当にもうVISUALIVEではないライヴだった。
一章に詰め込まれる悲しさや切なさが特に好きだった私は
楽しい曲の時間を彼には求めていなかった時期があって
恐らくその頃の自分ならめちゃくちゃにけなすようなライヴなのかもしれない。

だけど純粋に曲が楽しくて笑顔でステージを見て踊っていた。
一種の条件反射のようなものかもしれない。
死ぬほど聴いてきた曲たちは身体に染み込んでいて、自然と体が動く。
ライヴ慣れしている私は音ゲー感覚で踊るのも好きだ。

特に深い思い入れはない『EVER』で手をひらひら振っていた時のこと。
ステージ背面のスクリーンには「20th」の文字が大きくキラキラ表示されていて
会場中のルミトンがにぎやかさを彩っていて、その人数は応援の心強さに見えた。
それがなんだかとてもとても素敵に思えたんだ。

(画像はプレイガイドに表示される公式Yotubeよりお借りしました)

「楽しさよりも切なさが欲しい」と思ってた頃の
陽への抵抗感のようなものがストンと抜け落ちた気がした。
素直になれた途端に涙が止まらなくなって
20周年をこんな輝かしく迎えられておめでとうと心の底から祝福したくなった。
この感覚を共有してくれる同士がどこかに1人でもいるだろうか。
今まで気を張り詰めて孤独に戦ってきた警戒心があったけど、溶けて、消えた。

「楽しいことが嬉しい」
普通のファンには当たり前のことが、今までの私にはとても難しかった。

苦しくないと嫌だった。
私と彼の存在価値も、そして繋がっている価値も見いだせなかった。
だって私はずっと苦しいのに、苦しめたのはGacktさんなのに
そんな簡単に笑顔とか言わないでもっと死ぬ程もがいて苦しむ姿を見せてよ。
「優しいだけの言葉なら今の僕は癒せない」でしょう?
私たち、ずっとそうして共存してきたでしょう?
彼が私に笑顔を願おうとも、私はただbirdcageに閉じ込めて苦しませたがっていた。
だからこその、自戒の待ち受け画面である。

だけど論理的な説明じゃなく、本当にストンと抜け落ちて
呪縛からの解放のような感覚が得られた気がした。
今まで背負ってきた重苦しいものを忘れることが出来たその瞬間は
GACKTさんとの新たな出逢いになったのだろう。




●Kamiくんの写真

初日大阪のネタバレでKamiくんがスクリーンに映し出されたと知り
ある程度の覚悟は出来ていた。
というか、ちょっと驚いたけど私はその程度で泣く気はしなかった。
だってGACKTさんのKamiくんへの想いなんて
今まで何万回叫んできたか知らないわけがない。
そこに映し出されたのは分からない人に向けて説明しているだけであって
感動を与える為の演出ではないと思っていた。
近年の動画配信やTVなども含めて、分かりやすい説明をするようになったのは
最終段階の答え合わせという意味合いが強い気がする。

節目記念ライヴとあって過去を振り返る走馬灯のような映像が出てきて
既出のライヴ映像やオフショットなどの微笑ましい歴史と対で
週刊誌にバッシングされ続けた悔しい歴史も紹介された。

マリスミゼル失踪という記事から始まったので場内には一瞬笑いが起こっていた(笑)。

この20年、語り尽くせないことの出来事があった
いいことばかりじゃなかった
悲しいことや苦しいことも一度や二度じゃない
大切な人との突然の別れに涙が止まらない時だってあった
それでも立ち止まっちゃいけない
その一心で必死に走ってきた


こんなニュアンスのナレーションを語る際に静止画が映し出されていた。
1枚は『au revoir』のGacktさんとKamiくんのツーショット。
左にGacktさん、少し距離のある立ち方で右にKamiくん。
膝から上のショットが数秒映し出された。
私の記憶にあるのは『五十嵐音蔵』という音楽番組か
関西ローカル番組かなんかのコレの別ショットかなと。
背景が白かった気がするのでなんとなくこういう雰囲気だった気が。



資料探しをする為に改めて手元の映像をあれこれ掘り起こしながら
この『au revoir』に関しては特にこの2人でのメディア露出が多かったなぁと思った。
喋らないキャラやトーク苦手陣がいたおかげでこのコンビになっていたんだけど
その分一緒に過ごした思い出も濃厚だからこそ
この時期の写真を選んだのかなと思った。
だって絵的に良い写真はきっと他にもあった筈で
パッと見距離の離れた写真は見栄えはそんなによくない印象だった。
だからこそもしかしたらGacktさんの思い入れで選んだ「時期」なのかなって。

これは別の番組なんだけど
「僕達ってバンドだけどバンドじゃないんですよ。総合芸術って自負してて…ねっ?」
ってKamiくんがGacktさんに同意を求めるも無反応で
「なんとか言ってよ!」って笑いながら怒るの愛しすぎる(笑)。
そういう2人の些細な他愛ないやりとりが多かった時代なんじゃないかなぁと。



ライヴで映し出されたKamiくんとのツーショット写真はフルカラーだったけど
途中でKamiくんだけが色を失ってモノクロに変わった。
まるで『キミだけのボクでいるから』の歌詞の
「キミと紡ぐはずだった未来が突然色褪せた」を思わせるように。

その後、緒方さんとのツーショットがフルカラーで映し出されたが
そちらはモノクロに変化することはなかった。
なんとなく悲しみの種類が違うのかなという気がする。
緒方さんも勿論喪失感は強けれども、側で見守ってくれている安心感があって
Kamiくんに対しては喪失感どころではない罪悪感と絶望感があるような印象。

その後更にKamiくんのお墓参りをするGACKTさんのショットもフルカラーであった。
Kamiくんの好きだったMAXコーヒーが供えられたお墓に向き合う姿。



●「本当に心が疲れた時、何もかもを投げ出そうとしたこともあった」

Kamiくんの写真の後、こんな語りがあった。
「何もかも」とは仕事の話だろうか、頑張ろうとした何かの目標のことだろうか。
いや、私だったら安易に「生きること」を思う。
今までにも何度も考えたことがあった。
自分がGACKTさんのこの立場だったらとっくに自死を望むだろうと。
きっと明確に言葉にしなかったけど、そういうニュアンスだと私は悟った。

GACKTさんの歌詞には「眠れない」という表現がよく出てくる。
精神に不調をきたした時、1番に影響が出るのが睡眠だ。
DIABOLOSの幕間映像でも魘されて起きるシーンが当たり前のようにあって
それでも戦う姿をずっと見せてくれていた。
ナレーションはこう続く。

そんな時、君たちがいてくれたから今日までこれた
いつもは僕が頑張れって言ってるけど
皆に僕が背中を押してもらってることもあった
倒れそうになった時、その笑顔のおかげで歯を食いしばってここまでこれた
ありがとう
ありきたりな言葉でしか伝えられないけど
本当にありがとう


きっと会場中が泣いていただろう。
私も声を殺して大粒の涙をこぼしていた。
死にたくなる程辛かった気持ちも当時の状況も彼に向けられる殺意も
全部知っている。
舞い降りた地上は、震えることさえ許されない世界だった。
経験を経た今の私は死を現実的に考える絶望の深さや無気力状態も十分知っている。

だからこそ、優しく明るい笑顔を向けるファンが
どれだけ心の支えになったか、救いとなったか、考えただけで胸がいっぱいになった。
自分の複雑な心境を置いて全肯定し、感謝したくなっていたし
半分くらいはそちら側にも身を置いていいだろうかと都合よく身を寄せる。

そして、とても上から目線な発言になってしまうけれど
「すべてを許そう」と思った。
もう何も強引に彼に求めず、微笑み合える関係になりたいと心から思った。
マリスのこともどうでもいい。
過去の清算も、Kamiくんへの想いも苦しみながら歌わなくていい。
どうか、幸せになって。あなたの笑顔を願うよ。
GACKTさんが口にした「ありがとう」にはそれだけの浄化作用があった。



●カオス

「この想いがどうかキミに届きますように」というナレーションと共に
スクリーンには「キミだけのボクでいるから+サイン」が映し出され
会場に足を運んだすべてのファンに向けている優しい愛に包まれていた。

なのに、それは綺麗な紫色だった。
見事なまでの紫色に私は驚きを隠せなかった。
そこから先の照明はもうほぼ8割、紫に染まっていたんじゃないかと思う。
Kamiくんを意味する色だ。
昔以上にここ数年は分かりやすく紫を使用することが増えた。
なんだか、言ってることと心の中が完全に一致していないような印象を受けた。
さようならと言いながらしがみついて離さないような。

マリスに関する過去すべてを切り捨てて
目の前にいる君たちだけの為に生きるよと誓っているように思えたけれど
Kamiくん色に染まるその照明が心の内ならばやっぱりどうしたって苦しそうだ。
この人は私たちミゼラーが許そうが許すまいが関係なく
永遠に一人で苦しみ続けるのだと思った。
やっぱりどこかで安心してしまうKamiくんへの想いの共鳴と
もう解放されていいんだよと鎖を断ち切ってあげたい想いとで
気付けば私の心もカオスだった。



●flower

この流れでこれはエグイ歌詞だと思い、号泣しっぱなしだった。
地獄に落ちそうな罪悪感を彼はきっとどうやっても払拭することは出来ないんだろう。
「寄り添う花」を心から願い、泣き過ぎて俯きかけては顔をあげてステージに手を伸ばした。
『ANOTHER WORLD』然り、永遠はここにはないという当時とは違う時間の感覚が強くあった。
あの時20年先にこんな未来が来ることを欠片も想定していなかった。
でも現実はここにある。
突き刺さりすぎてしんどかった。



●黒い羽と白い羽

LVLでは黒い翼を持つキャラ「月の使途」がモチーフになっていて
死んだ者を空へ運ぶ役割であることが説明された。
ステージはそれに似た黒の翼が朽ち果てたことを意味するような骨組みであり
BDと今回は白い翼がステージセットとして設置されている。

『Le ciel』の時にも黒と白の羽根の両方が出てきたが
当時白の羽根の衣装は「空の妖精」という説明がされていて
空に辿り着いた魂を誘導する役目を持つとのことだった。
再び命を与え輪廻させるか、消滅させるかを決める役割である。

つまり「空からの訪問者」であったGACKTさんはLVLで死んだことになり
今回のツアーで再生するのかどうかが決まる、と読むことが出来る。

正直BDの時はあまりに消極的なナレーション映像で
「今まで頑張ったからもう頑張らないけど許してね」みたいな内容で
それは最早魂の消滅になるようにも思えた。
が、今回はライヴの最後にも「あと10年頑張ります」と
鍛え上げた腹筋をチラっと見せて安定した未来を感じさせてくれた。

音楽活動の頻度が落ちたのは、訴えたいことを叫び続けたけど報われず
最早もう何を歌ったらいいか分からなくなっているように見えたが
カオスモードとは言え、やっと彼の中で吹っ切れたように思えて
ちゃんと歌いたいことが見え始めて音楽活動が再開出来そうな予感。

今回のツアーからはポジティブな想いをたくさん感じられて
再生する魂が素敵な人生を歩むよう願いたくなる。
GACKTさんのこれからの活動を応援したくなる。
私にはそんな白い翼に見えた。



●波の音

『キミだけのボクでいるから』に入る時のイントロが今ツアーでは波の音だった。
私は波の音と言えば2017年6月に開催されていた楽園祭での
『ただ…逢いたくて』前の一人劇の印象が強い。
https://ameblo.jp/xxxxasukaxxxx/entry-12287245032.html

今回のセトリにある『オレンジの太陽』でも波の音が使われているし
きっと何かキーワードになっているのだろうなと思いながら考えていた。
「砂に書いた君の名前と飾り付けた貝殻は
 肩を寄せた僕らの前で波にさらわれた」というフレーズを思うと
波は抵抗することの出来ない消去であり
永遠など存在しない実感を与えるものなのかもしれない。

今回のオレンジの太陽は、期待させた未来をなかったことにするかのように
本当に永遠のサヨナラをするんじゃないかなって気になる。
いつかのためにフライング儀式をしている感覚。
再生はするけれども、それは永遠ではないと強く意識した始まりなのだと思った。



●魂のキャッチボールとは

終盤に、海外の浜辺の光景の中で心中を語る映像がある。
格好つけすぎていて私はちょっとひいてしまう語り口調ではあるものの
これがまたマリス時代の『merveilles』の世界に繋がっていて
やっとあの物語の終着点というか、自分なりの答えが見つかった気がして面白かった。

話題は「なんでGACKTのライヴに来ると涙が出るのか?」というもの。
彼はその答えを「魂のキャッチボールをしてるから」と言った。
昔からそのフレーズはよく聞くけれど深く考えたことはあまりなかった。
ソロ初期に「魂の回収」と言っていたのはマリスで再会を誓ったミゼラーたちの魂が
行き場をなくして浮遊しているからそう言っているのだと解釈していたけれど。

私が涙を流すのは、GACKTさんが一生懸命だから応えたくなるんだと思う。
苦しいことにも悲しいことにも全力でまっすぐに向き合って全身全霊で責任を取ろうとして
一生懸命頑張ってきた姿をずーっとずっと見てきた。
私はそういうGACKTさんがきっと大好きだった。

ライヴ後半の曲ではスクリーンにずっと歴代のライヴ映像が映されていたが
1999年のMizerableインストから走馬灯が始まって、どれも懐かしくて
「ああ、苦しかったなぁ。ずっと苦しかったなぁ。でもずっと大好きだったなぁ。」と噛み締めていた。
その「好き」の根源は、きっとGACKTさんが逃げずに戦っていると感じていたからだ。
苦しさも愛もずっとひたむきに叫んでいた彼が愛しくて、憎くて、愛しくて
互いの想いを受け取りながら紆余曲折して一緒に成長してきたんだと思う。

20年前には許せなかったこと、理解出来なかったこと、愛せなかったことが
今は全部とは言わずとも、大分受け入れられているような気がしている。
そうなれたことが純粋に嬉しくもある。
道のりはとても険しかったけれど。そう、険しかったんだ。だから泣いた。

全身全霊で叫ぶGACKTさんに対して私も同じように叫び続けてきたんだと思う。
そうか、これが魂のキャッチボールであり、魂の共鳴なんだろうな。
それは誰に強制されるわけでもない「自らの意思・本音」のことだと思う。



●Bois de merveilles

『Le ciel』のPVでは死者本人は現世に強い未練はなかったが
哀悼に嘆く地上からの声に同情してしまった白の妖精が
独自の判断で再び命を宿してしまったものだと解釈している。
そこにも「自らの意思」が芽生え、白の妖精は本当の自分を見つけたのだ。

空の掟を破ったので「安易な同情をするな!生きることがどういうことかを知れ」と
罰を受けたような形で空を追放された物語。
それがGACKTさんのソロ活動に重ねて表現されていった。

「GACKTはいつまで歌い続けるのか」という問いに
「声がなくなるまで歌い続けるさ」と答えるナレーションが続く。
これもまた聞き覚えのあるフレーズだ。
アルバム『merveilles』を締めくくる曲『Bois de merveilles』の歌詞には
「許してもらえるまで私は歌い続ける この声がなくなるまで」とあって
最初は怒りを買ったマリス側・ミゼラーたちから許されるという観点でしか考えようとしてこなかった。

しかし純粋に歌詞を読んでみると
「祈りを叶えることを許したまえ」という自己主張の曲に思えるのだ。
祈りとは、哀悼に同情して再会させてあげたいという想い。
自らの意思であり、自我である。

ひとりでも多くの魂を救っていく
それができる最後の時まで歌い続ける
声がなくなるまで歌い続ける



●ココロノカガミ

最後に長い長い『Mirror』で物理的に声がなくなるまで叫ぶ流れが訪れる。
らったったー!よーほー!イヤァアアアア!!!!
バカな絶叫ごっこである。
意味などない言葉を全力で叫び合って声を枯らし、息を切らす。
もう一度言うがバカである。

『舞哈BABY!!』の歌詞に「考えすぎは毒なんです!」とあるが
無意味だからこそ吐き出せるたくましさもある気がする。
海外旅行をすると日本語で適当なことを言ってみたり
言葉の通じないペットに「あんたはいいよねー」って言えるのと似てるような。

元々『Mirror』は「似て非なる者」要は偶像崇拝された恨み節を歌っているわけで
私にとって今はもう笑い話だが
今回は「MIRROR OF HEART」「ココロノカガミ」と言う文字も映し出されていて
魂(自我・意思・本音)を曝け出してみろという煽りに思えた。
思う存分吐き出した。

らったったー!(楽しいよー!)
よーほー!(ありがとうー!)
イヤァアアアアアアア!!!!(大好きだよーーー!!!!)



●ありがとう

1/25の国際フォ2日目の最後のMCで(ライヴの締めがMCってのもVISUALIVEでは考えられなかった)
GACKTさんは突然言葉に詰まって「なんだか泣けてきちゃった」と言っていた。
埼玉県民席と大差ないあたりにいた私からは涙の詳細は見えなかったけど
その代わり会場いっぱいにキラキラ揺れるルミトンが優しく輝いている光景を一望していた。
これだけの好意を目の当たりにしたら、心が震えてもおかしくないだろう。
穏やかで温かい気持ちで、そしてちょっと切なく思いながら
「今までありがとう、これからもよろしくね」と思いながらいっぱいGACKTって名前を叫んだよ。

 

あと「どうしても笑顔になれない奴は全部受け止めてやるからここに連れてこい!」とも言ってて

笑顔を強制するだけじゃなく苦しいまま来てもいいんだよって言ってくれたのが

個人的にはとても嬉しかったりした。

20年色々あったけど楽しかったね。
20年色々あったけどついてきて良かったよ。
ありがとう。