8月19日~21日
その後、3日間は臥床したまま酸素吸入を受けて過ぎる。酸素量は5リットル→3リットルと落ちていく。
が、息の苦しさは日増しに改善。
そして食事をほんの少しだけとれるようになる。
口から食べる食事はおいしい、はずだが、味も匂いも薄い気がする。
幸いなことに個室で、トイレにはすぐに歩いてゆけるが、トイレに行くと途端に息が上がり、酸素濃度は92,3%にまで急激におちてしまう。
十分に苦しい。
しばらくすると回復する。
この繰り返しピストン状態。
半分割り切って、それを繰り返しているうちに、spO2が再びひどく落ちはじめ、足がしびれ始めた。
両手の爪はすべて赤紫。自分でもわかるくらいのチアノーゼだ。フェーズが変わったことを自覚。
これは大変だ。ナースコールを鳴らす。
人の往来が激しくなり口を覆うタイプのものに変えられて7リットル酸素吸入といわれた。徐々に気が遠くなる。
無念だ、これまでか。
トイレに行くことに固執した自分がばかだった。
どうも後から聞いた話では、この時の肺が肺でなくなっており、ICUへの転床を考えていたとのこと。
つまり中等症2から重症への過渡期だったということである。
もうしばらく様子を見ようということで半日ほど据え置きになる。
ここが分かれ目だったのかも。
痰がひどく吸引もしてもらう。咳が断続的に続く。頭が割れるように痛い。
そんな中、主治医が再度訪室、肺に水がたまりだしたら覚悟してほしいと宣告される。
センセー。覚悟ってなんすか?
どーゆー意味ですかぁ??
そりゃないよ。まじで。
血栓予防、要するにエコノミー症候群予防の注射を毎日二回お腹に打たれた。
もう俺の原型はここにないと考えた。ただ死を待つだけの肉の塊がここに置かれているだけ。
時間とともに、生命のぬくもりがなくなってゆくのだ。
現実感乏しいが、着実に死に近づいて行っているのだ。
8月22日
翌朝、早々に主治医が来る。肺炎が相当ひどいとのこと。今後の状況次第ではECMOを使うことになるかもしれないといわれる。
よって、そういうスタッフがいるところへ転院することになりますとも。
本人同意とともに、家族の同意も必要なので記入してくださいと書類を持ってこられた。
そうか、ECMOになるとほぼ植物人間のような状態になるんだよな。
なんか、そう思うと無性に情けなくなり泣けてきた。
鼻腔カニューレに変わり、酸素量は5リットルに。
様子を見るときは必ず下方へ行くようだ。
一応、発熱は収まっていて、それがゆえに楽である。
楽さが思考の余裕を生み、ついては長いこと忘れていた昔のことばかり、無性に思い出す。フラッシュバックなのだろうか。
走馬灯か??
もう声を張り上げて歌は歌えないかもしれないな。
じゃコンデンサでささやくか(笑)。
てか、声がちゃんと出るのかな?まあ、自作はほぼインストになってきているのでvocalがなくても何の影響もないけどね。
インスト、BGMを、今後は自分なりに極めるように努めることが一番現実的なのかも。
8月23日、24日
明け方トイレに行くが呼吸不全に陥りナースを呼ぶ。咳が止まらず体が重い。90%前後の酸素濃度。
酸素量は6リットルになる。
うまく話せない。
午前中はそのまま死んだように横たわる。
トイレは鬼門だ。嫌いだ、トイレ!
午後からやや呼吸が楽になりレントゲンを撮る。肺炎はましになってきているとのこと。
酸素量は3リットル、夜就寝時には2リットルに。
どんどん減らされてゆくことに一抹の不安が。
しかしこの職業の人は決断がやたら早い。
ちなみにこの病棟のスタッフはコロナ前はほぼER 専従職員だったそうだ。
翌日、体温は36℃台をキープ。発熱は一段落したか。午後から鼻腔カニューレをとって様子を見る。
ほぼ問題なし。
鼻が軽く空気がうまい。
HER-SYSを登録する。
夜、酸素なしで寝てみてくださいと言われる。
鼻腔カニューレとおさらばになるのか?