以前のがん手術の時に感じたが、病棟自体がどんよりと重苦しかった。
致死率が高いという病の治療という性格上もあろうが、本当に、まずはその気分に押しつぶされそうだった。
厳粛で、神々しいというか。不謹慎は許されないという感じの。
闘病..そう、そういう厳粛なる雰囲気が何よりも優先されており、ナースなんかも異常にまじめで凛としていた。
がんというと、そこにはなんか不自然なくらい死の香りが立ち込めていて、不謹慎に対するのは失礼という空気が根強いと思う。
ごく初期なものもあるし、自分みたいな、深いところまで行っていたけど、ラッキーにリンパまでは行ってなかったケースもある。結果、サバイバーとして今も、生きている。
明るくからっとしたがんも、というか、がん患者も、いるのである。
そんな病棟内で、自分はあくまで自分流を貫き、そういう重く淀んだ空気を吹き飛ばすように、よく笑い、大きな声で語り、「VOW!」を呼んでは大笑いし、ナースがベッドを動かすときに「えいやっ!」と力を入れたとたんに放屁したことを涙を浮かべて大笑いし、これでもかと陽気にふるまって過ごした。
ずいぶんNK細胞が育ったことだろう。回復は早かった。
大部屋だったので他の患者さんは大迷惑だったと思う。
この場をお借りして謝ります、ごめんなさい。
まぁ、そういうやつなのだ、自分は。
今後再発とかがあって、今度こそ終わりということになっても、おそらく最後は、高校の大先輩である、みうらじゅん監修の「VOW!」を、再度持ち込み、大笑いしながら読み、ぽっくりといってしまうのが関の山かもしれないなと思った。
「VOW!」、はNK細胞作製にもってこいなツールだと、自分は思っているからだ。
それが今は、病院ではなく実生活において、常日頃から自分で自分のNK細胞を片っ端から死滅に追い込んでいることが多い気がする。そういう生活に笑いも明るさも、そして焦りさえもない。
いや、これはダメだ、あかん。そう思うことにしているのだけどね。
こういう自分を見て、ジャックロンドンなら何というだろうか。
いや、工藤俊作なら何というのだろうか?
「お前なんか、スケベの勝利打点王なんだから、とっととくたばれよ」
とか何とか言われたりしてね。
工藤ちゃん、OKだ。
1980年代初頭のころ、家庭の事情で京都市山科区の自宅を出て、しばらくの間、野洲→京都市左京区の高校へと通学することになった。
それまでは京津線一本で、自宅から四ノ宮まで歩き、そこから蹴上まで乗車。あとは再び歩いて45分程度の通学時間。
それが激変した。
まず起床、近江バスで当時の国鉄野洲駅へ。新快速で山科へ。京津線に乗り換えて蹴上まで、その後歩き。到着。みたいな。
通学時間は90分くらいだったかな。二倍である。
よくぞ通ったなぁと今更ながら感心するのだ。
本当に眠たかった。
当時の野洲郡中主町は恐ろしく田舎だった。見渡す限りの田園地帯。緑一色という感じ。生まれて初めて真夏に茶色になる麦畑なるものを見た。
早朝にヘリコプターが農薬を散布して、そのすさまじい音で目覚めたこともある。北海道のように見晴らしがよく、のんびりしたところだった。
湖側にはまだ整備されていないマイアミビーチがあり、それでもサーフィンに来ている他府県の車が、ずらっと不法駐車されていた。
県道脇の喫茶店・湖樹園まで歩いて60分。買い物は駅前の平和堂までバスか自転車。レンタルレコード屋は駅前にあり、駅前の定食屋がすごく好きだった。野洲駅北口には日本IBM野洲があった。京都とはまってくの別世界があった。
通学時に京都に来ると、その差にすごいカルチャーショックを受けることが多かった。ネットもない時代、都会と田舎の差は絶望的だった気がする。その後東京に行ったときに、さらに地方と首都の差を痛感することになるのだが。
ところで1981年という年は、野球的視座から見まわしたときに、とってもとっても愉快な一年だったといえる。自分だけかもしれないけど。
ピックアップしてみよう。
「ベンチがあほやから野球でけへん」発言で 阪神・江本投手退団。
西本幸雄監督引退 日本一挑戦8度 達成ならず
原辰徳デビュー
優勝請負人・江夏、日ハムでリーグ優勝に貢献
沢村賞が江川じゃなく、なぜか、西本へ
落合、はじめての首位打者獲得。
門田、7月に16本ホームランを打つ。
苦労人・藤田平 篠塚を振り切り、初めての首位打者。
オールスターで江夏から山本浩二、掛布がホームラン
小川邦和、日本球界復帰 3勝4セーブ
張本3085安打を残し引退
王助監督誕生
間柴、開幕から15連勝 シーズン勝率10割
宇野、ヘッディング事件 山本功児あわやランニングホームラン⁉星野激怒
山森、フェンスによじ登り、弘田のホームランをキャッチ
春のセンバツ一回戦で東山が早実・荒木を滅多打ち
またしてもPL奇跡の逆転優勝
しかしPL、夏の大阪大会5回戦で商大堺に逆転負け
京都大会決勝で東山に競り勝った京都商業、甲子園準優勝
名電・工藤ノーヒットノーラン
ざっと思い出しただけでもこれだけのことがあり、スポーツ新聞はネタに困らなかったのではなかろうか。
この秋、北の国からがスタートした。