毒を盛るひと66 「パンがなければ」 | カラダとココロとたましいと ぢゅんさんのブログ

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このシリーズは、わたしが宇宙の法則やミラクルを語る口になりたいと願い、それを実行していく過程で、どうしても自分自身と向きあうことで、消化して昇華させることが必要だった
もっとも身近な[毒を盛るひと]とのエピソードと、
それについてわたしが感じたこと感じていることをギリギリまで言語化した記録です




前回の話

調べてみたら、マリーアントワネットの言葉ではないらしい。「さる身分の高い女性」の発言と、ルソーが記していると。

それが、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」だ。

なぜこのテーマに、この言葉?

それはね、この言葉がわたしが感じている『齟齬』を、表現してくれていると思ったから。

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毒親、を中心とするいわゆる「機能不全家庭」で育ったことを、そうではない、フツーの、愛情いっぱいの家族を持つ人たちに説明をしようとする時、わたしは空回りをし、空しさを感じる。


だって、通じないから。

言いがかりに近いことで、突然母が爆発して怒鳴りだし、
事情を説明しようにもすべて「おまえの言い訳!屁理屈!」とはねのけられ、合間合間にいらない子、かわいくない子、お兄ちゃんは優秀だったかわいかった、それに比べておまえはダメだダメだバカだバカだ!と言われ続けることが、

理解できないみたいなんだよね。

わたしも子どもの頃、いたずらもした。
それについて叱られること、叱られたことは納得している。

でもね、そのうしろに、さきほどの言葉が連なって、
家族の口から出てくることが、

フツーのおうちの人には、理解できないみたい。

理解できないからこそ、次の言葉が出て来るのだと思う
「子どもがかわいくない親なんていない」と。
「子どもを愛さない親なんていない」と。
なかには「照れ隠しで、そんなことを言っていたのでは?」という見解もあるようで。


そっかぁ、って?
おかあさんは照れ屋だから、わたしのことをそんな風にしか言えなかったのね、って?


ゴメンわたし、そんな脳天気じゃない。
ひねくれてる?すねてる?上等!
頑固?いじけてる?素直じゃない?よく言われるわ!


わたしは、ものごころついた頃から、
ずっと母にとっての
愚痴を聞かされる友達であり、夫婦問題を聞かされるカウンセラーだった。
……小学生にそんなこと言うのか?夫婦生活とか語るのか?おかしくないか?

わたし自身がそれを選んだと⁇
あー、オトナになってからならそうだよね。でもさ、幼稚園や小学生だよ?それを、

選んだわたしに責任があるって言うのか???

それしか知らない幼い子どもに、カウンセラー役を引き受けた自己責任だと言うのか?
しかもそれしか知らないで大きくなって、「オトナになっても、好きでやってたんだよね?自己責任だよね?」って……

あまりにも、むごい。

自己責任なんかじゃない。そういう家庭の「型」にはめ込まれたまま、成長しただけだ。そしていわゆる世間の声、
わたしにとっては「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」くらい宇宙語に聞こえる言葉が、
型にさらなる圧力を加える。
子どもを愛さない親はいない、子どもがかわいくない親なんていない……と。

お菓子を食べればいいじゃない、と言われても、
他に食べるものがない人たちが、一定数いるんだ。

何かの拍子に、母がこのシリーズを読んだらどうなるんだろう……と、怖さも感じている。

でもわたしは、パンも、お菓子もない人のために、
そしてパンもお菓子も持っている人にも、
お互いの、さらにはその人自身への理解のために、
わたしは言葉を綴りたい。







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