毒を盛るひと65 「それ」を許さない! | カラダとココロとたましいと ぢゅんさんのブログ

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浅かろうが深かろうが、気づきはその人にとっての宝なのよ。

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このシリーズは、わたしが宇宙の法則やミラクルを語る口になりたいと願い、それを実行していく過程で、どうしても自分自身と向きあうことで、消化して昇華させることが必要だった
もっとも身近な[毒を盛るひと]とのエピソードと、
それについてわたしが感じたこと感じていることをギリギリまで言語化した記録です




前回の話


昨日、季節より遅い台風の影響を喰らいながら、
大きな気づきがあった。

それは、「子どもが、親を選んで生まれてくる」問題。

子ども自身が、本人が選んだそのミッションのために、
どんな親の元に生まれてくるのか?を選ぶという説。最近は沢山の人が語っているでしょう⁇




コレ、最近は考える度に、
自分がスプリット〈分割〉していく感があったのね。

わたしは母から、いわゆる「言葉の暴力」を受けながら生きてきたのだけれど、

それはナニ?わたしの目覚めの為に、
大いなるなにかが、母にそれをさせていると?
わたしが今の目覚めの為に、母に憎まれ役をやらせていたと?

うるせー!
クソ喰らえー!
※個人の感想です。

なんでココでクソ喰らえ発言をしたのかと言うとね、
今現在と、ここから未来の、
誰かへの暴力を肯定することになりかねないから、です。

モニョっていたのはココ!
わたしは学校でもイジメを受けていたし、それはどう考えても、理不尽な暴力でしかなかった。母との関係もそう。
その中で、わたし自身、学びがなかったわけではない。
ただね、「あの(被・暴力)経験があったからこそ、今のわたしがあるのです!暴力ありがとう!」なんて、
口が裂けても言いたくないし!
そのくらい自分を大切に考えられるようになったし!

それにわたしが過去の暴力を、いびつなカタチで受け入れると、
例えば他の人がグーでぶたれているのを見て、
「ああ、この暴力はあの人の目覚めの為に必要なのよね」って、
うっかりあたたかい目で見つめてしまいそうで(←クレイジーだよねオカシイよねこれ!)

うっせー
クソ喰らえ!
※大事なことなので二度言いました。

この地上で、みんなそれぞれの、
たくさんの学びがあるんだと思う。

でもそのことを、「誰かが、誰かへの暴力を振るうこと」の
隠れ蓑なんかにさせない!絶対に!

親を選んで生まれてくるのか、そうでないのか。
わたしには真実はわからない。

バリバリスピリチュアルだったわたしが今、思うこと。

みんな、好きなもん信じろ!
自分が、少しでも楽になる考え方、モノの見方を信じていいんだ!
特にね、暴力を受けて生きてきて、スピリチュアルに生きようとしている人に言いたいの。

暴力を全面拒否、してもいいんだよ!って。

わたしがこのカラダを離れるときに、
ああわたし、間違っていた。
暴力が目覚めに必要だったんだね、って
思うかもしれない、言うかもしれない。
わたしが今思っていることは、間違っているのかもしれない。

それでも!
それでもいい!

暴力は嫌だ!許さない!

間違いでいい、
でもこれだけは譲らない。
これが今のわたしの内側の、
ミッションだと思うのです。




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