水色
久しぶりのブログです。とてもショックが大きかったので、気持ちを書かせてください。神田沙也加さんが旅立ちました。私の住む札幌で。私は、昔から、沙也加さんに似ていると言われることがありました。それから、すごく親近感があって、そして、可愛くていつも笑顔だけど、どこか辛そうで、それでも親の七光りなんて跳ねのけて頑張っている沙也加さんが大好きでした。デビュー曲から、彼女の曲が大好きでした。「水色」という曲が特に好きで、心に突き刺さる衝撃を受けました。沙也加さんの叫びのようでした。亡くしてから人は気づく。どれだけ、辛くて、本当は助けを求めたいか。頑張っている人が好きとか、努力は大事とか、笑顔が大事とか、怠けてるとか、甘えてるとか、勝手な言葉が飛び交う。でも本当はどうかなんて、分からない。どれだけの目に見える頑張りが、その人のキャパなのかなんて分からない。「自分で決めたんでしょ」とか、言う人もいるし、もっと頑張れとか、正論らしいことを言うよね。それでも、助けてって、叫んでいいのに・・・。生きていけるなら、叫んでいいのに・・・。普通に朝起きて、会社に行けることが、出来ない人もいる。普通の言葉が、ナイフのように刺さる人もいる。普通ってなに?私も、親が立派過ぎて、いろんな人に慕われて、ずっと劣等感だったし、私は比べてた。でも、私なりに輝いて、立場を確立してやる!って頑張っている。だけど、本当にいろんなことはある。色んな事を言われる。それでも、笑って、笑って、大丈夫って、自分を奮い立たせていた。どこかで、沙也加さんの頑張りが、すごいな、素敵だなって思って、そんな人に似てるねなんて言われて勝手に親近感沸いて、救われてたんだなって思った。彼女の訃報を受けて、私の中で何かが音をたてて崩れそう。どうやって、彼女の死を受け止めたらいいだろう。もしも、自ら命を絶ったとしたら、きっと、誰にも言えない何かがあって、一人で辛くて、でも笑って、いつからか、辛さを見せないことが上手になって・・・。どうしたら、気持ちを前向きに出来るのか、今は分からない。彼女の死を、どう向き合ったらいいのか、慰めたらいいのか、分からない。何と祈り、言葉をかけたらいいのか・・・。きっと、分からないけれど、すごくすごく辛かったんだろう。怖かったのだろう。私なんかよりもっと数えきれない数のたくさんの言葉を浴びたのだろう・・・。もっと、見ていたかった。同じ時代を生きたかった。いざ、死を目の前にしたら、とんでもなく怖いことなのに、それを超えてしまうほど、生きることに辛くなって、しまったのだろう・・・。それを考えると辛くてたまらない。事故だとしたら、きっともっと生きたかっただろう・・・。だって、きっとこれからもっと素敵な女性になったと思うから。華やかな舞台の裏でどれだけの涙と、苦しみがあるか・・・。悲しい死が、なくなるように・・・生きているうちに、救えるような世界になってほしい。亡くなってから、持ち上げて、讃えるんじゃなくて、生きているうちに、もっと、出来ることがあれば・・・。亡くなって伝説になるんじゃなくて、生きているうちに、生きているうちに、どうして気付けないんだろう。助けられないんだろう・・・。悔しい、悲しい。辛くても、生きていれば、と言っていたけれど、分からなくなった。死なないと気づかないことの方が多いのかもしれない・・・。見えない心の傷を見つけられる何かがあればいいのにね。声に出せない人の心まで分かればいいのかな・・・。今は分からない。何も答えは出ないけれど・・・歌い続けようと思う。彼女が最期を迎えたここ、札幌で。