2011年3月13日の出来事

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この記事は2011年3月13日の私の一日です。

『2011年3月13日 』
▼ 2011/04/01 02:11
3日目の朝。
起きて、今日はまた街に出ようと春日と話していた。
これ以上お邪魔していても悪いし、もしかしたら街中はホテルが再開しているかもしれない。
もし、やってなかった時は避難所に行こうと思っていた。
だけど、お邪魔しているお家の方のご厚意で、もうしばらくここに居ても言いと言ってくださり、甘える事になった。

うちの中にいてもやる事はない。
家の中は寒いからベランダに出て日向ぼっこをしようという事に。
お邪魔しているお宅はよくバーベキューをやるらしく、外用の簡易テーブルをベランダに置いた。
お昼ご飯に、ガスコンロでお米を炊いてくれた。
お腹に溜まるように、ちょっとだけ水分を多くして炊いてくれて、レトルトカレー1袋を5人で分けながら食べた。
春日が前日に買ってきてくれた大根のお漬け物がめちゃくちゃ美味しかった。

日の出てる昼間は子供と一緒に遊んだり、日に当たっていた。

唯一の情報源のラジオからは被災地の状況がずっと流れていた。

ラジオでは被害が大規模で東北地方太平洋沖地震と名付けられ、阪神大震災より大規模だと伝えていた。

だけど、私がお世話になっている家の周りは平穏で、電気とガスと水道が出ないだけで、お家が倒壊している所はなかった。
でも、遠くの方で黒い煙りが上がってるのが見えた。ニュースで津波の後に大規模な火事がおきてると伝えていたけど、あの煙りの方で火事がおこっているのか?

ラジオから流れる情報では、どれぐらいの規模でどのぐらいの被害なのか想像が付かなかった。



時間だけがゆっくりと過ぎて行く。
東京にいる時は一日の時間が短く感じるけど、何も出来ない事が時間をゆっくりに感じさせた。


本当だったら今日はOZ後楽園大会だったな。
帰れなかったから、もし大会が開催されてたら欠場になってたな。
とか色んな事を考えた。


旦那さんがガソリンが手に入らないし、無くなったら困るからという事で自転車を買ってきた。
自転車で街中を探索してくると出掛けていった。


そんな中、知り合いの報道の方が車で福島と仙台の間を往き来していると連絡があった。

明日には東京に一旦戻るかもしれないから車に一緒に乗っていきますか?
と嬉しい情報だった。

即お願いした。
明日には東京に帰れるかもしれない。

嬉しくなった。
浜子に会える。

東京も地震の影響で大変な事になってるらしいけど、ここでお世話になって貴重な食べ物を減らす訳にはいかない。そう思った。


そうこうしている内に夕方になってきた。
街中は電気が徐々に普及しているらしい。
試しにブレーカーを上げてみたけど、ここら辺の地域はまだ電気が普及してないらしい。

今日も暗い中過ごすのかなって思うと不安になるけど、 皆でいるから怖くない。

まだ明るい内にご飯を食べて寝てしまおうという事になった。
晩御飯は冷蔵庫が使えないし、野菜が腐っちゃうから、腐る前に食べちゃおう!という事で鍋を作る事になった。
鍋ならお腹にも貯まるし、腐っちゃうともったいないからと、ある野菜を切って鍋を作り始めた。

そうこうしてる内に日も大分落ちてきた。
そろそろロウソクをつける頃になった。
まだ電気が普及してないのかな?と思い、悪あがきでまたブレーカーを上げてみた。


そしたら電気が普及してくれていた!
皆で大喜び!
電気ってこんなに素晴らしいものなのか。
こんなにも安心させてくれるものなんだなって感動した。
今までラジオからの情報が頼りだったけど、これでテレビが見れる。
早速テレビをつけた。

テレビで見る災害は凄まじく恐ろしいものだった。
津波に飲み込まれる街。
人。
車。
津波で町が無くなっていた。

何なんだ?
映画でも見ているような光景。
行くはずだった石巻市が壊滅状態になってる。

仙石線も津波に飲み込まれている。

原発も凄い事になってる。
東京も液状化で沈んでる所がある。

ラジオからの情報では想像出来なかったものが、テレビからリアルに映像が映し出されていた。

今まで想像出来なかったことを見てしまったから、急に恐怖心が込み上げてきた。

怖い。
恐い。
数十キロ先ではこんなに凄い事になっているんだ。
テレビを見るまでは、本当に分からなかった。

携帯から流れる警報音がテレビからも流れてくる。

何回この嫌な音を聞いた事か。

余震がおさまるまであと一ヶ月かかるって一体どういう事だよ。

地震警報情報が本当に不愉快になる音になっていた。
しばらくして、知り合いの報道の方から
『今夜山形に移動します。出られますか?』
と連絡が来た。
どうやらまだこっちに残ってまだ報道をしなきゃいけないようで、明日は東京に帰れないらしい。
それでも良いなら山形に一緒に移動しましょうとの事。

ここに残って食料や水を減らすより、仙台を出て、少しでも負担を減らした方が良いと思ったから、即行きます。と答えた。
山形に行けばどうにか帰れるかもしれないと思ったから。


山形に向かう事をガミさんや春日のマネジャーに伝えた。
春日のマネジャーが
『ハイブリットカーを借りれたからこれから仙台に向かいます。』いう連絡を受けた。
ハイブリットカーならガソリンを使う量を少なく出来るから、東京―仙台―東京に戻ってこれる計算になった。
ならば山形に迎えに来て下さい。と答えた。
仙台まで来るには新潟―山形経由になる。
山形まで行った方がガソリンを使わなくて済む。
トントン拍子で東京行きが進んでいった。


すぐ出る準備をし、買ってきた食料は置いていき荷物を持って知り合いと待ち合わせ場所の仙台駅まで車で送ってもらった。

そして山形へ車で向かった。
ガソリンが手に入らない状況で、知り合いも今の状況だと東京までガソリンが持たないかもしれないという。
ガソリン不足は深刻だった。
5時間並んでもガソリンが入れられず、ガソリンを使い損してしまった人もいるから。

夜中に山形に着き、知り合いが泊まるホテルにお邪魔させて頂く事になった。
山形は電気も水道もガスも出る。
何だか変な感じがした。

電気がつかない生活をしてたから。

迎えに来るまで時間があった。
テレビからはずっと地震や原発や計画停電などの情報が流れていた。
東京も大変な事になってるんだな。
浜子は大丈夫なんだろうか?
東京に帰っても仙台に居た時みたいになるんじゃなかろうか?
とか色々と不安が過った。
でも、とても疲れていた。
眠くなり、布団に横にならせてもらったけど、怖くてダウンも靴下も脱げず、何時でも逃げられるように寝た。