この記事は2011年3月12日の私の一日です。
『2011年3月12日 』
▼ 2011/03/28 22:38
次の日の朝、ホテルの方が部屋に来た。
安否確認とアメを1つずつ貰った。
『行く所が無いから今日もここに居ても良いですか?』
と尋ねたら、
『今はまだ大丈夫です。でも、安全の保障がないのでいつまで居られるかは分かりません。』
との事。でも、しばらくはいられるかもしれない。
電気はまだ普及してないらしい。
一日ここにじっとして居てもしょうがないし、携帯の充電も食料も無いから、とりあえず荷物を置いて明るい内に外に探索に行く事に。
街は静かな感じだった。
歩いて避難所になっている場所に食料の事を聞きに行ってみた。
『今日はもう朝に一度来ていて、今日はもう来ないかもしれない。』
と言われてしまった。
どこかで食料を調達しないと食べる物がない。
お菓子昨日買ったお菓子もいつ底をつくか分からない。
昨日みたいに外で販売しているコンビニがあるかもしれないと思い、コンビニ巡りをする事にした。
どこも開いてない。
電気社会に生きている事を痛感した。
街を歩いていると行列の出来ているコンビニを発見!
近づいて見てみると、店の中までは入れないけど一人づつ店の入り口で買えるようになっていた。
早速並ぶ事にした。
買って帰る人の買い物袋を見ると飲み物とお菓子、カップラーメン等が。
ワクワクしながら並んでいた。
約1時間半並んでいてもうすぐだっ!って時にコンビニの灯りが付いた。
電気が普及した!
皆大喜び!
これでホテルに帰ったらポットでお湯が沸かせてカップラーメンが食べられる!
めちゃくちゃ喜んでカップラーメンやカップ焼きそばと飲み物、お菓子を購入。
買い終わってすぐにホテルに戻ったら。
正午でホテルを閉鎖します。
との事。
マジで。。。
温かいカップラーメンが食べられると思ったのに。
そしてホテルの電気はまだ普及していないらしい。
スーツケースをこのままホテルから家に送りたかったけど、いつ宅急便が再開するか分からないし、邪魔になるけど持ち歩く事にした。
とりあえずどうしようか。
避難所に移動しようか。
と思ったけど、さっき街中で集団で充電している所を通ったから、携帯の充電をしに行こう!となった。
自家発電しているビルのご好意で、蛸足を何個もつけて20人ぐらい充電していた。
運良くすぐ充電にありつけた。
充電中に春日が開いてる八百屋さんに食料を調達しに行った。
買ってきたのは、まるまる一本の大根の漬物と梅干しやカップラーメンなど。
とりあえず梅干しを舐めながら充電をしていた。
皆が同じコンセントで充電するから満タンになるまで2時間ぐらい掛かった。
電気が普及してる場所の自動販売機で温かい飲み物を買ってみた。
温かい飲み物が飲める!
と思ったけど、まだ普及したばっかりで全然温かくなってなくてガッカリしちゃった。
これからどうしようか。
避難所に行こうか。
と話している時に東京にいる知り合いから連絡が来た。
『今仙台の知り合いに片っ端から連絡をしているからもうちょっと待ってて』
と。
嬉しかった。
しばらくして
『連絡が取れないんだけど、知ってるお店があるからとりあえず行ってみて』と言われて、そのお店の場所と連絡先を聞いたから行ってみた。
まだお店の電気は来てないみたい。
とりあえずお店のドアを叩いてみた。
出てくる気配もないし、人がいる気配もない。
聞いた電話番号に電話をしてみたけど、電話はやっぱり繋がりづらいから全然掛からない。
どうしよう。
行く所がないし、とりあえず寒さをしのげる避難所に行く事にした。
避難所では、人で溢れていた。
入口近くの椅子に座った。
これからどうしたら良いのか分からない。
春日も疲れが貯まっている様子。
カップラーメンを買ったけど、お湯がない。
最悪お湯がなくてもお水で食べようと思ってたんだけど。
とりあえず今はお菓子しか食べられる物がない。
また街に探索に出てみた。
コンビニはどこもやってない。
夕方になるとどんどん寒くなる。
どうしよう。
と思っていた矢先に仙女さんと連絡が取れた。
避難所に来てくれた。
仙女のマネージャーさんが親友の夫婦の家に避難するから一緒に行かせて頂ける事になった。
有り難かった。
お邪魔したお家は電気は普及してないけど、水だけは出る。
そして簡易コンロもあるからお湯も沸かせるとの事。
お腹が空いていたし、寒かったから、さっそくコンロをお借りしてお湯を沸かしてカップラーメンを食べる事にした。
一緒に買ったカップ焼きそばにお湯を入れ、捨てるお湯をカップラーメンに入れて再利用。
カップラーメンにはお湯をなみなみ入れて。
お湯を入れすぎて味はちょっと薄くなっちゃったけど、塩を足して味を調節。
温かいスープ。
とても嬉しい。
そしてカップラーメンってこんなに美味しいんだと実感。
皆で少しずつ回し食べ。
2日目の夜にしてやっと温かいラーメンを食べれた事がすごく嬉しかった。
6時ぐらいになると日が落ちて、ろうそくの灯りだけが家の中を照らしていた。
テレビも付かない。
何もする事が出来ないけど、ただ皆で話しているだけで、心が安らいだ。
春日と2人だけだった時より、知り合いも増え、ちょっと不安な気持ちが落ち着き出した。
お邪魔しているお家には小さなお子さんがいて、無邪気に笑う笑顔に癒された。
余震が続いたり、いつ東京に帰れるか分からない中で不安だらけだったけど、皆と話して笑ったり出来た時は不安な気持ちがその時だけ無くなった。
だけど笑ったり冗談を言ったりしているけど、真っ暗な中ラジオから流れる地震情報をずっと聞きながら、今はどんな状況なのか他はどうなっているのかが気になっていた。
ラジオから津波の被害を伝えていた。
壊滅的。
どこがどんな風になっているのか分からない。
ただ余震が来る度に窓を開け、地震がおさまるのを待った。
荷物は広げない。
いつでも避難できるように一ヶ所にまとめておいた。
寝るときはダウンコートを着たまま寒さをしのいで横になった。
余震が来る度に目を覚ました。
隣の部屋からは地震で目を覚まし、怖くて泣いている子供の鳴き声が響いていた。
いつになったら地震がおまるのか、いつになったら東京に帰れるのか。
不安な気持ちで眠りについた。
『2011年3月12日 』
▼ 2011/03/28 22:38
次の日の朝、ホテルの方が部屋に来た。
安否確認とアメを1つずつ貰った。
『行く所が無いから今日もここに居ても良いですか?』
と尋ねたら、
『今はまだ大丈夫です。でも、安全の保障がないのでいつまで居られるかは分かりません。』
との事。でも、しばらくはいられるかもしれない。
電気はまだ普及してないらしい。
一日ここにじっとして居てもしょうがないし、携帯の充電も食料も無いから、とりあえず荷物を置いて明るい内に外に探索に行く事に。
街は静かな感じだった。
歩いて避難所になっている場所に食料の事を聞きに行ってみた。
『今日はもう朝に一度来ていて、今日はもう来ないかもしれない。』
と言われてしまった。
どこかで食料を調達しないと食べる物がない。
お菓子昨日買ったお菓子もいつ底をつくか分からない。
昨日みたいに外で販売しているコンビニがあるかもしれないと思い、コンビニ巡りをする事にした。
どこも開いてない。
お金を入れてボタンを押したらすぐ飲み物が出てくる自動販売機が街の至るところにあるのに、停電中の時には全く使えない。
電気社会に生きている事を痛感した。
街を歩いていると行列の出来ているコンビニを発見!
近づいて見てみると、店の中までは入れないけど一人づつ店の入り口で買えるようになっていた。
早速並ぶ事にした。
買って帰る人の買い物袋を見ると飲み物とお菓子、カップラーメン等が。
ワクワクしながら並んでいた。
約1時間半並んでいてもうすぐだっ!って時にコンビニの灯りが付いた。
電気が普及した!
皆大喜び!
これでホテルに帰ったらポットでお湯が沸かせてカップラーメンが食べられる!
めちゃくちゃ喜んでカップラーメンやカップ焼きそばと飲み物、お菓子を購入。
買い終わってすぐにホテルに戻ったら。
正午でホテルを閉鎖します。
との事。
マジで。。。
温かいカップラーメンが食べられると思ったのに。
そしてホテルの電気はまだ普及していないらしい。
スーツケースをこのままホテルから家に送りたかったけど、いつ宅急便が再開するか分からないし、邪魔になるけど持ち歩く事にした。
とりあえずどうしようか。
避難所に移動しようか。
と思ったけど、さっき街中で集団で充電している所を通ったから、携帯の充電をしに行こう!となった。
自家発電しているビルのご好意で、蛸足を何個もつけて20人ぐらい充電していた。
運良くすぐ充電にありつけた。
充電中に春日が開いてる八百屋さんに食料を調達しに行った。
買ってきたのは、まるまる一本の大根の漬物と梅干しやカップラーメンなど。
とりあえず梅干しを舐めながら充電をしていた。
皆が同じコンセントで充電するから満タンになるまで2時間ぐらい掛かった。
電気が普及してる場所の自動販売機で温かい飲み物を買ってみた。
温かい飲み物が飲める!
と思ったけど、まだ普及したばっかりで全然温かくなってなくてガッカリしちゃった。
これからどうしようか。
避難所に行こうか。
と話している時に東京にいる知り合いから連絡が来た。
『今仙台の知り合いに片っ端から連絡をしているからもうちょっと待ってて』
と。
嬉しかった。
しばらくして
『連絡が取れないんだけど、知ってるお店があるからとりあえず行ってみて』と言われて、そのお店の場所と連絡先を聞いたから行ってみた。
まだお店の電気は来てないみたい。
とりあえずお店のドアを叩いてみた。
出てくる気配もないし、人がいる気配もない。
聞いた電話番号に電話をしてみたけど、電話はやっぱり繋がりづらいから全然掛からない。
どうしよう。
行く所がないし、とりあえず寒さをしのげる避難所に行く事にした。
避難所では、人で溢れていた。
入口近くの椅子に座った。
これからどうしたら良いのか分からない。
春日も疲れが貯まっている様子。
カップラーメンを買ったけど、お湯がない。
最悪お湯がなくてもお水で食べようと思ってたんだけど。
とりあえず今はお菓子しか食べられる物がない。
また街に探索に出てみた。
コンビニはどこもやってない。
夕方になるとどんどん寒くなる。
どうしよう。
と思っていた矢先に仙女さんと連絡が取れた。
避難所に来てくれた。
仙女のマネージャーさんが親友の夫婦の家に避難するから一緒に行かせて頂ける事になった。
有り難かった。
お邪魔したお家は電気は普及してないけど、水だけは出る。
そして簡易コンロもあるからお湯も沸かせるとの事。
お腹が空いていたし、寒かったから、さっそくコンロをお借りしてお湯を沸かしてカップラーメンを食べる事にした。
一緒に買ったカップ焼きそばにお湯を入れ、捨てるお湯をカップラーメンに入れて再利用。
カップラーメンにはお湯をなみなみ入れて。
お湯を入れすぎて味はちょっと薄くなっちゃったけど、塩を足して味を調節。
温かいスープ。
とても嬉しい。
そしてカップラーメンってこんなに美味しいんだと実感。
皆で少しずつ回し食べ。
2日目の夜にしてやっと温かいラーメンを食べれた事がすごく嬉しかった。
6時ぐらいになると日が落ちて、ろうそくの灯りだけが家の中を照らしていた。
テレビも付かない。
何もする事が出来ないけど、ただ皆で話しているだけで、心が安らいだ。
春日と2人だけだった時より、知り合いも増え、ちょっと不安な気持ちが落ち着き出した。
お邪魔しているお家には小さなお子さんがいて、無邪気に笑う笑顔に癒された。
余震が続いたり、いつ東京に帰れるか分からない中で不安だらけだったけど、皆と話して笑ったり出来た時は不安な気持ちがその時だけ無くなった。
だけど笑ったり冗談を言ったりしているけど、真っ暗な中ラジオから流れる地震情報をずっと聞きながら、今はどんな状況なのか他はどうなっているのかが気になっていた。
ラジオから津波の被害を伝えていた。
壊滅的。
どこがどんな風になっているのか分からない。
ただ余震が来る度に窓を開け、地震がおさまるのを待った。
荷物は広げない。
いつでも避難できるように一ヶ所にまとめておいた。
寝るときはダウンコートを着たまま寒さをしのいで横になった。
余震が来る度に目を覚ました。
隣の部屋からは地震で目を覚まし、怖くて泣いている子供の鳴き声が響いていた。
いつになったら地震がおまるのか、いつになったら東京に帰れるのか。
不安な気持ちで眠りについた。