2011年3月14日の出来事

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この記事は2011年3月14日の私の一日です。

震災を忘れない為にこのブログにアップさせて頂きました。


『2011年3月14日 』

▼ 2011/04/01 02:58
気がついたら朝になってた。
山形は余震も少なく警報音も鳴る事もなく朝まで寝る事ができた。

仙台と山形のギャップがまたビックリした。

朝起きて、4日振りのお風呂に入った。
お風呂に入れる事がこんなに気持ち良いなんて思わなかった。

久しぶりのお風呂。

久しぶりのまともな朝食。
何だか変な感じがした。


マネジャーと合流し、いざ東京へ。

道路が寸断されているから山形―新潟を通らないと東京に帰れなかった。

東京までガソリンが持つか分からないから途中ガソリンを入れて帰ろうとしたけど、山形のガソリンスタンドはどこも長蛇の列。
渋滞かもしくは売り切れでガソリンスタンドがやっていない所ばかりだった。

山形でも燃料不足がかなり影響していた。


車でもラジオで地震情報を聞きながら帰った。
何度も余震情報が流れる。
携帯の警報音が鳴る事もあり、鳴った時はゆっくり走行した。
また大きな地震が来るんじゃないかとドキドキした。

新潟に入った途端ガソリンスタンド渋滞がなくなっていた。
今のうちにガソリンスタンドに寄ってガソリンを入れる事に。
20リッター限定だったけど、ガソリンを入れる事が出来た。
これで東京まで持つだろう。
東京までのガソリンは確保出来た。


ラジオからは東京でも食料不足が問題になっていると伝えていた。
新潟で食料を調達して帰ろうということになり、途中大きなスーパーに寄った。

新潟はまだ平穏な感じだった。
普通に食料はあるし、電気もついてる。
みんな普通に買い物をしているし、仙台とは雰囲気が全然違った。

地震があった事を忘れるぐらい。



何度も携帯から鳴る余震の警報音にびくびくしながら10時間かけて車で東京に戻ってきた。


東京に入った時、東京が若干暗く感じた。
電力不足を補うために、自主的にコンビニの外灯を消してる店が多かった。
明るく眠らない街の東京が何だか違う場所のような感じがした。



東京に帰ってきて余震も続いてるし、家も結構荒れてて安心は出来ないけど、4日振りにやっと浜子に会えた事が嬉しかった。
東京も余震や計画停電で不安だけど、やっぱり自宅は落ち着く。

浜子も地震に怯えていた。警報音が鳴る度に怒ったり、吠えたりしている。
そして家の中に居るときは、私のそばを片時も離れなくなった。
かなり恐怖を味わったみたいだった。


今回本当に東京に帰ってこれて良かった。
被災者だって言われたけど、私には帰る家があった。
そして怪我もなく無事に戻ってこれた。

今も被災地にいる方や避難されてる方を思うと、私の不安な気持ちは全然大したことない。


でも、東京に戻ってこれたのは周りの人の助けと優しさがあったから。
本当にいろんな人に助けていただきました。

人の優しさに感謝です。


まだまだ余震や原発など不安な日々が続くけど、一日も早く安心できる日本になるように願っております。