↑のつづき。


さて、
善入寺島(粟島)に想いを馳せながら 
川島神社を後にして、車でさらに西へ数分。



『大明神農村公園』の看板を発見。

カッコよすぎる園名に興奮しながら
奥の石段を進む。

立派な鳥居。

この山の上には、
多くの古墳群が眠っている。


川島町史によると、
実際には周辺に
100基以上の古墳があったが
破壊されてしまったのだそうな。。


またか… と思った。



石段を登りきると、境内に到着。




鳥居の扁額。

この神社だけは、絶対に参拝したかった。

散々、ブログで書かせて頂いたので
やっと御礼に伺うことが出来て嬉しい。



拝殿。

式内社 阿波國麻殖郡 伊加加志神社
『伊加加志(いかがし)神社』

鎮座地 徳島県吉野川市川島町桑村字大明神
創建 不詳
別称 日命(ひのみこと)大明神
祭神 
伊加賀色許売命(伊香色謎命)(イカガシコメ)
伊加賀色許雄命(伊香色雄命)(イカガシコオ)
天照大御神

元々は別の場所に鎮座していたが、
吉野川の洪水によって旧社地を失い
現在地に還座されたのだそうな。

ここより北の吉野川付近に
伊賀々志』の地名が残っている為、
その付近が旧社地であろう。


また、
別称に日命(ひのみこと)大明神とある。

これは
第8代、第9代と二代に渡って
天皇の后を努めた伊香色謎命もまた、
『日ノ御子(卑弥呼)』の役割を
担っていたことがうかがえる。


神様に
「ごきげん いかが❓️」と
問いかけていたのだろうか。



ここから西に4㎞ほど、
吉野川市山川町宮島に鎮座する
『山崎八幡神社』にも、伊香色謎命の弟君
伊香我色雄命(イカガシコオ)』が祀られている。

また、愛媛県今治市五十嵐甲に鎮座する
延喜式内社で伊予国総社の論社
伊加奈志(いかなし)神社』には
五十日足彦命(イカタラシヒコ)』と
伊迦賀色許男命(イカガシコオ)』が
祀られており、
鎮座地の「五十嵐(いかなし)」は
イカガシ』が訛化したという説がある。

一方で、
五十嵐(いがらし)さん』の姓は
新潟県新潟県三条市飯田に鎮座する
延喜式内社伊加良志神社に比定される
五十嵐(いからし)神社』が発祥と言われ、
祭神は伊加奈志神社と同じく
第11第垂仁天皇の皇子
五十日足彦命(イカタラシヒコ)』である。


「イカガシ」
「イカナシ」
「イカラシ」
「イガラシ」
「イカタラシ」

この辺が
一本串で繋がっているようにも思える。


『五十日足彦命(イカタラシヒコ)』

父は第11代垂仁天皇


垂仁天皇の父は第10代崇神天皇


崇神天皇の母親が伊香色雄命の姉

伊香色謎命なのである。


つまり、

五十日足彦命(イカタラシヒコ)』

ひいおばあちゃんが

この伊加加志神社の祭神

伊香色謎命



イカガシ」の名が

少しずつ形を変えながら

継承されていたのである。


また、

五十」の読みには「イカ」の他、

「イソ」「」とも読む。


崇神天皇の和風諡号は

御間城入彦五十瓊殖天皇

(みまきいりびこにえのすめらみこと)。


垂仁天皇の和風諡号は

活目入彦五十狭茅天皇

(いくめいりびこさちのすめらみこと)。



五十()』を継承している。



阿波は『倭(イ)の国』


また、『五十』と言えば
五十猛尊(タケル)』。

この神もまた、別の神名で
吉野川沿いに鎮座している。
※後日記事になります。



龍の彫り物って
なんでこんなに格好良いのでしょう。



横から本殿。



 
伊香色謎命伊香色雄命
姉弟揃って阿波国の式内社に
祀られているという事実を理解した上で
伊香色謎命を改めてまとめてみる。


伊香色謎命』は
第8代孝元天皇の妃にして、
第9代開化天皇の皇后。

  


伊香色謎命の両親の名は、
父『杵命(オオヘツキ)』、
母『高屋阿波良姫』。

父の大綜麻杵命は物部氏の遠祖と言われ、
饒速日命の5世孫であり、
『阿府志』では↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大綜麻杵命は阿波の忌部氏なるべし。
大綜麻杵(オオヘツキ)
麻植津賀(オオエツカ)と云う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と記述されている。
麻植郡はこの辺りの旧地名。

この伊加加志神社の東、
吉野川市鴨島町麻植塚には
大綜麻杵命を祀る瑜伽神社が鎮座している。


そして母の高屋阿波良姫

明らかに阿波のお姫様である。




伊香色謎命の子には
第十代崇神天皇。

諱(イミナ)は『御間城尊(ミマキ)』。

吉野川市(旧麻植郡)の隣は
『美馬市(旧美馬(ミマ)郡)』。

美馬郡の式内社もまた、
一筋縄にはいかないのです。


五角形の『地神塚』。

大好きです。



小さな祠があった。

これが末社の『事代主神社』だろうか。



歩いて見れば、以外と境内は広く
遊具があったりする。

そういえば、
看板に農村公園と書いてあった。
  
言ってみたいなぁ↓
「小さい頃は大明神農村公園で遊んでました」
(笑)


雪は止んでいたが、
曇っていたせいか
ただ事ならぬ雰囲気を醸す。

少し、寂しげでもあった。


日本神話において、
こんなに重要な神社はないのだが…
あまり知られていないのが不思議である。






石段の途中にも社殿があった。


社殿横には小さな祠。


裏側にも祠がある。

もしかして、これが噂の…


日本で唯一、

伊香色謎命の皇子

崇神天皇』を祀る神社であろうか。

書籍『道は阿波より始まる その一』
「大倭と倭」107頁~ 引用↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この伊加々志男命が問題なのです。
延喜式神名帳でも阿波一国祀りで
定められたこの人、
阿波では現在に至るまで
郡誌、町誌は勿論のこと、
明治末年では観光名所案内にまで
登場する阿波人です。

他国へ旅行した話も聞かれない、
阿波で生まれ、阿波で没した人。

古えは拝師村と呼ばれた
淡郡林町日吉谷に住んだ
伊加々志男命は無類の梅の木好み、
拝師村東西に梅林を造りました。

これが名物になり、これより現在の東林
西林の地名が起こったほど、
亡くなって伊加々志峯の下、
ふる川(吉野川)に面した伊加々志に、
伊加々志宮として奉祀されます。

式内伊加々志神社境内の摂社若宮では、
美馬城(ミマキ)王子(崇神天皇)
祀られています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
阿波国淡郡拝師村郷司谷に饒速日命
隣りの谷名日吉谷に
伊加々志男命住いしていたこの淡郡、
ふる川を挟んで南岸伊加々志
北岸市場の奈良坂に至る全域が奈良

恐らく、水辺でなくては考えられない
奈良」の地名を伊加々志男命の子孫達が
偲んで大倭の地に持ち込んだのでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さてさて、
はじめて伊加加志神社を知った時は、
「とんでもない神社がある⁉️」と
耳を疑い、目は白目になったものだ。


楽しい楽しい吉野川沿いの旅。

まだまだワクワクが待っている。


次にたどり着いたのは、
「阿波忌部の本拠地」だ❗


つづく。


ではまた❗








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