FPA創設大会訪韓後、何になる?! | 評議会のブログ

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ニッポンは元々、どちらかと言うたら大きな政府でサービスをちゃんとやります言うもんやった。ムラ社会的組織階級で裏金とか、業界団体を使うて金を配るなどする。自民党はその再配分に強い政党や。それを批判され、規制緩和、構造改革、行政改革に力を入れるようになる。すると「自己責任論」の方に傾いてきた。

元々ムラ社会組織やったから、自己責任で自由を与えられてくと、人はどんどん孤立し、孤独になって、不安になる。そしたら、強いリーダーに引かれて権威主義者に飛びついてくねん。ほんでもって、自由を与えられたのに、人々は自由から逃げて行くと言う現象になりよる。

ニッポンの統一教系のもんらも、真父任御聖和後、世間の嫌韓風潮をもって、統一教から自由を得た感から、韓国人統一教徒らを中心に統一教への批判を繰り出しては、大まかに三局に分かれてく。

オラがムラの各局のリーダーを持ち上げ、自分らが持ち上げるリーダーこそがと、、、相手を牽制し、批判し、調子こいて来ると、挙句、右翼の街宣車ばりに「韓国人牧会者は、ニッポンから出ていけ~」と言う有様や。

相手局が敵なんか、韓国人が敵なんか、FPA系局のもんらは、ニッポン独自色を出しては、身の程知らずに罪を罪とは思わへんニッポン正当化を言い出す。

真父任御聖和後の統一教の有り様が情けないから、ニッポン人らの信者は不安になる。そこで、ズバッと言ってくれる、断言してくれる権威主義的なもんに流れやすくした。的外れであろうとも自己不安解消の為、自分→ニッポン社会→ニッポン国と言った所属意識が高まるほうへと流れ出したんが、ニッポンFPAの原型や。

顕進任を神輿に、山車にしてニッポンナショナリズムに陥ってまう。つまり、統一教に縛られ、統一教抜きの信仰も過剰になると摂理、み旨を捨てまうと言ったもんになる。

上からのコントロールによって、未来を設計的に作ろうとする共産主義のようやと統一教を批判したが、信仰の自由を擁護して、辻褄の合わへんもんまで正当化させ、「自由の過剰」で、行き過ぎると、これらをまとめるもんらは、クルッと反転して、上からの押し付けになってまうとなってく。これもようない言うて、今度は内部への不信に流れる。

せやから、バランス感覚を大事にせなあかんねんけど、ニッポン人にはそないなもんが現れへんし、現状いてへん。

FPA 創設大会の為の訪韓後、どないなニッポンFPAになるんか、、、楽しみやな~

 

 

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