根っからのニッポン風統一教徒や。 | 評議会のブログ

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ニッポンの精神的支柱の「お上制度」は、人間の理性を重視するより、制度の隷属に合理性を求めてく。そうすれば、自分らはええ方向を保ち、やがて自分の世界(領域)を作ることができると思い、それが誰にも侵されへんもんと思い込む。

せやから、みんながんばろうと言った一体感を持つが、自分本位が根幹にある。

人間言うんは、生れながらにして天の父の下に皆平等で、天の父の下に生きて行ける権利を有していく、、、なんてもんはない。木石にあっても神仏にし、崇めもんを八百万に作り上げてくに、神仏の下に隷属してくようになく。

原理講論レベルで「原理」を知ったかぶっても、ニッポン風潮信仰をもってしては世界全体を過不足なく把握することなんぞできるわけがない。そんでもって、どんなええ人ぶってもエゴイズムや嫉妬心などから解放されているわけでもない。

摂理史の下、人間は知的にも倫理的にも不完全な存在やし、そういう人間が作る社会は、どこも不完全や。せやから、天の父の下に無知なもんを「罪観」をもって悔い改める姿勢が必要となる。

お上の立場を畏(おそ)れ多くも畏(かしこ)くあって、そんな畏れから長い時間をかけて紡ぎ上げてきた経験知であった常識、、、それを伝統や慣習として姿を現すもんやけど、そういうもんにまずは解放されることが重要や。

世の中はどんどん変わってく。アホらの呼びかけに伝統と言った地域性の制度に自尊心をもっても、そのままでは意味をなさへん。変えていかなあかん。大切なものを守る(保守する)為には、中心軸となる縦軸を変えていかなあかんねん。

頭ごなしに改宗させ、これが正しい答えや。この通りにやれ!  ではないねん。歴史の中の様々な叡智に耳を傾けながら、徐々に変えて、微調整、微調整して、漸進的な改革を常にやり続けていくことが大切や。

せやから、お上の特定の権威に基づいて、中心軸を変えずに理想社会を作ろうとすれば、必ず反動がくる。どこから?  お天道様からや。

中心軸を変えたニッポン人としての主体性を現すより、権威主義的な人間に飛びついて、媚びへつらい、挙句、お上を畏れる隷属姿勢に陥っては話しにならへん。

そんで生活の秩序を奪われた時、人は不安になって「断言」に頼っていく現象が起きんねん。

統一教から離れ、断言的なものの言い方で、統一教を批判するFPA系のもんらの根底には、お上制度の軸を変える言うもんはなく、お上を変えるだけの思考能力しかない。

現に、FPA系のブロガーは、統一教のカテゴリーに巣喰い、統一教徒の改宗的宣伝工作してるかのようや。なんでも桜井のガキ2匹にお上権威主義を利用して、こっちの水は甘いぞと言うてる。

自分らのFPAに対する議論をする気がない。まして、GPF、AKU なんぞ眼中ないようや。

 

 

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