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 私が現在の共同親権を推進する動きに対して、全力で反対している理由は、「親権」概念の問題というよりは、むしろ、「共同監護」「共同養育」を、離婚後の元配偶者に強要することへの抵抗が強い。
  
   だから、例えば、共同親権の導入について、国が、「共同親権は選択性です。外圧があったんで、体裁として導入しますが、両親の合意がない限り、共同親権が強要されることはありません。現在、家庭裁判所で面会交流が制限されているような人は、共同親権が導入されても、制限されますのでご安心下さい。」とでも言ってくれたら、少しは安心できるかもしれない。
 
  私が離婚後の「共同監護」「共同養育」に全力で反対しているのは、以下の事情による。

 

  現在の家庭裁判所は、精神的暴力に関する認識が甘いため、子どもの面会交流を拒む理由として、面前DVをあげてもとりあげられることなどない。面会交流に関する子どもの拒否感が強い事案においては、家庭裁判所の調査官が、根掘り葉掘りその理由をたずね、合理的に説明できなければ面会交流が強制されている。中学生にならないと、その意思は尊重されない。仮に拒否の理由を合理的に説明できたとしても、間接交流を強要される。そして、いずれは直接の面会交流ができるように、監護親に努力義務が課される運用になっている。
    
    私は、DV被害者である依頼者には、「この国は面会交流宗教に取り憑かれているから、よっぽどのことがないと面会交流は拒めない。拒めないことを頑張ることほど疲れることはない。不安がとれるまで、面会交流に立ち会うし、愚痴も聞くから一緒に頑張ろう。過去より未来。次のステージに進もう。」と説明している。
    
    離婚後単独親権下で、「共同監護」・「共同養育」を阻む制度は何一つないが、それを超えて、家庭裁判所の面会交流の強制には目に余るものがある。離婚後単独親権下では、面会交流をさせてもらえないという声があるというが理解できない。監護親が、面会を拒むにはそれ相応の理由があるし、それ相応の理由のない拒絶など許されない。断絶したと嘆きながら、蓋をあければ養育費を支払っていないとか、そもそも面会交流の調停を起こしていないとか、調停で妥協して裁判所の判断を仰ぐのを避けたとか、監護親を刑事告訴などして精神的に追い詰めたなどという事案は、自分の選択による結果であって、裁判所による「断絶」と評価すべきでない。
    
    DV被害者に対して、「子どもにとって両親から愛される方が幸せ」「夫婦のごたごたと親子関係は別」「あなたが大人にならなくちゃ」などという言葉は暴力であって、二次被害になるから注意した方がいい。家族の絆なんていう言葉も、押し付けられた時点で支配的関係が生じてしまう。面会交流の説得でそんな言葉を言ったことがあるという弁護士は、被害者側の代理人に不向きだと思う。弁護士による二次被害は深刻だ。家族のことを好きでいられるかどうかはメンバーによる。そのことを理解すべきである。

 誤解されたくないが、私は、面会交流を拒む弁護士ではない。むしろ、地元の弁護士からは、「kozakana先生なら、よっぽどのことがないと面会交流は断らない。良かった、良かった。」という評判がたっているほどである。DVがあろうとも、虐待があろうとも、面会交流をせざるを得ないのだから、折角やるなら、双方の負担なく楽しくやりたい。相手方と弁護士が揉めても何も良いことがない。依頼者の笑顔のために、日々精進してるのだ。

 自尊心を踏みにじられた被害者に必要なことはエンパワメント以外にない。
 極限までバカにされたことのない人間にはその痛みはわからない。
 心を偽ることを「大人になる」というなら、大人になんかならなくていい。
 そんなのは、加害者の論理だ。
 自分の尊厳を守れないようでは、子どもの尊厳も守れない。


 子どもの目線にたって考えたときに、監護親が自分のために心を偽って表面上の関係で非監護親と仲良くしていたなんてことは望まない。もし、表面上の関係を望むという子どもがいたのなら、その時点で危ない連鎖が始まっている。人は誰しも幸福になるために生まれている。誰かの犠牲の上になりたつ幸せなど、幸せではない。日本国憲法13条は、「個人の尊重」をうたい、24条は、「個人の尊厳」という、13条よりも強い言葉を用いている。それが人権というものであって、子どもはそのことを理解する。子どもは、のびのびと育つほど、人権の担い手として有能だ。

 さて、前置きが長くなったが、お伝えしたいテーマは、面会交流の不履行に対する「間接強制」である。面会交流宗教にとりつかれた家庭裁判所といっても、審判を遵守しない監護親もいるではないかというご意見に応えたいと思う。家庭裁判所により、いかに面会交流が強要され、守らないとどんな罰を受けるのか・・・。しかし、もう眠い。今回は、前置きのみで終了。次号は、前置きなく、「間接強制」に関する判例を紹介いたします。