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 面会交流原則実施論を採ってきた家裁実務に一石を投じた、名古屋高裁平成29年3月17日決定(家庭の法と裁判№23)をご紹介しています。今日はその後編。

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 名古屋高裁判決は、Bが、産前産後のAに対して暴力をふるっていたことを指摘したうえ、以下のとおり判示した。

 

 度重なる間接強制について、「Bは、何度も間接強制の手続きを踏んでおり、その度に、職場からAに対して電話がかかってくるが、間接強制のことをAが極力隠そうとしても、聡明なCはそのことを鋭く察知し、『嫌がったのは自分なんだ。母親は関係ない。自分のせいだ。』と叫んだり、『絶対にお金は払わせないから。』と言って車の中に立てこもったり、間接強制のお金は自分が支払うと言って、布団の上にお金を並べ『足りない!足りない!』と取り乱したことがある」「Aに科せられた間接強制金は、少なくとも172万円にのぼるが、Aはこれらを親族から借りるなどして支払っており、これにより母子の経済生活は逼迫している。」という事実認定を付加した。その上で、「調査官は、この時点で、間接強制にまるわる未成年者の尋常でない反応が記載された陳述書を読んでいるはずであるが、Cが自ら敢えて『嫌がらせ』の語を用いたにもかかわらず、それを念頭においた上での質問を行った形跡はない」と、ヒントがあったにもかかわらず、調査官がCの言葉を見逃したことを鋭く批判した。

 

 続けて、裁判所外で行った試行面会について、詳細な認定を行った。引用が長いが、状況を思い浮かべて読んでいただきたい。「Aは、これまでCに面会交流を働きかけるだけで心情が不安定となり、発疹が生じるなどの身体症状を呈する経験から、依然として面会交流には消極的であったが、間接強制の各決定において、Aが未成年者を引渡場所に連れて行ってすらいないことを再三指摘され、現実に面会交流をさせて身体症状が出たら医師を受診させればよいといった示唆もなされていることを踏まえ、代理人とも協議の上、未成年者を全力で説得して面会交流に望んだ」「Cは、面会交流に向かう途中で『頭が痛い。気持ち悪い。』と訴え、泣き出し、到着しても車から降りようとせず、約10分遅刻した」「Bは、久々の面会に際しても、Cに直接声をかけることはなく、話しかけを促したAの代理人に対して反発し、不満をぶつけた。Cは、フードコートの席についても口をきこうとせずに席を離れて居なくなったが、Bが見つけ、元の席に戻るよう声をかけて上腕をつまんだところ、Cは泣き出した」「その後、15分ほどBとCは向かい合ったが、Cはアイスを食べ続けるのみで声を発することはなく、Bは、『Cちゃん、お父さんにご挨拶は?』『できないの?』『学校で習ってないの?』などと詰問口調で話しかけたので、Cは押し黙ったまま泣き、「トイレ」といって席を離れ、トイレに立て籠もって、面会交流が終わるまでここにいる旨を泣きながら訴えたので、AはBに面会交流の終了を申し入れて帰宅した」「再開してから、終了するまでの時間は、約1時間強だった」「帰宅後、Cは、『前代未聞だ』『変な人だ。私の周りにはあんなのはいない』『気持ち悪い。腕をもみもみした』などと述べた。」「両手足の甲には湿疹ができ、痒みから寝つかれず、就寝後もうなされ、目が覚めては泣き、翌朝には37.9度の発熱が生じた」

 

 この面会交流に対して、Bは、「未成年者を引き渡したとはいえない状態であり、時間が守られない、挨拶や会話がない、未成年者の同席が1~2分しかない」などといって、履行勧告の申立を行った。名古屋高裁は、この履行勧告の申立書に書かれた以下の記載を丁寧に拾っている。「Bは、上申書において、10年にも及び父子関係を断絶させた末、挨拶させない、会話させない、1~2分しか同席させないといったAの態度は面会交流がさも困難であるかの演出であって誠意を欠くものであること、父親と挨拶も会話もしようとしない子の対応は、しつけの問題でもあり、Aの監護親としての適正を疑うものである等、縷々Aを避難する内容の記載がなされている。」そして、この引用が、後の結論の布石となっている。

 

 以下が、名古屋高裁の結論である。「前件審判においては、Cの年齢が8歳に達する段階にあって、ストレス耐性能力や環境適応能力により克服可能な状況になってきているとして、直接的な面会交流を認めるに至ったものである。しかしながら、現実の問題として、通算して10回にわたる試行面会を経ても、CのBに対する拒否的態度が寛解することはなかったものである上、より一層強固なものとなっている」「Bは、Aの努力により通算10回もにわたり試行面会が実施しされてきたことに感謝の念すら示すことなく、現在に至るまで、Aが父子断絶をもたらした旨非難する偏狭な態度をあらためず、1回につき50万円の間接強制金を90万円に増額することを求め」「Aが、Cの心身に異常が生じてCとの信頼関係に支障を来す懸念を押してまで面会交流に臨んだ努力に対しても、何ら感謝を示さないどころか、自らを嫌悪していることが明らかなCに対し挨拶をしないなどと詰問するといった不適切な対応をして、一層のCからの顰蹙を買った末、Aが挨拶のしつけもできず、監護親として不適格であるなどと一方的に非難している。」「CとBとの面会交流をこれ以上実施させることの心理学的、医学的弊害が明らかになったと認められ、子の福祉に反することが明白になったというべきであるから、直接的面会交流をさせるべきではない。」

 

 一言の無駄もないと思います。この事件は、単なる個別案件ではなく、そっくりな事案がごまんとあります。自分のことのように思われた方も多いのではないでしょうか。嫌がる子どもをなだめすかして面会交流に連れて行く全ての母親に捧げたい。こんな風に裁判所が言ってくれたなら、どんなに報われた気持ちになるでしょう。

 

 面会交流は、子どもを説得してまで実施すべきものでしょうか。心身に支障をきたさないと拒めないなんて異常すぎませんか。子どもの拒否を監護親に帰責することで、子どもが自分を責めてしまうという弊害、監護親が無理強いすれば、子どもの味方になる大人は誰もいないという弊害が生じます。

 

 このように、家裁の実務は、面会交流宗教に取り憑かれたかのように、子どもの意思などは二の次にして、面会交流を積極的に推進してきました。この名古屋高裁判決で潮目がかわり、この宗教じみた考えは、徐々に落ち着きをみせはじめたところです。共同親権になったら、Cちゃんには父との面会交流が強制されるのでしょうか。Cちゃんの学校行事にB氏がフリーパスで来れるようになるのでしょうか。この事件は、親子断絶を招いています。単独親権制度が招いた断絶なのでしょうか。原因はどこにあるでしょうか。