
DV・虐待家庭から避難できた子どもたちの中に、回復の早い子どもと、遅い子どもがいます。色々な要因があるので一概に言えませんが、傾向として、差別的な発言の多い親から精神的虐待を受けた子どもの後遺症がひどいなぁと思います。教育虐待もその例に入ります。
差別的な言葉は、子どもに直接の向かわなくても、子どもの心を蝕みます。学校のいじめや、職場のパワーハラスメントがある時に、本人は気づいていなくても、周囲で見ている人の心を傷つけるという現象がそれです。パワーハラスメントの裁判例では、上司のパワハラが直接自身に向けられたものでなくても、そのような上司の下で働くことそれ自体による心理的負荷があると認めたものがあります。
https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/foundation/judicail-precedent/archives/48
自分に直接の暴言が向かわなくても、両親の間で上下関係があって、配偶者に対して「頭膿んでんな」「バカなの?」「俺と同じだけ稼いでから意見言ってくれる?」などの差別的な言葉によるDVを目撃している場合や、偏差値の高い学校に入らないとま人生詰むというような発言は子どもの心を傷つけます。きょうだい間で差別がある場合に、溺愛されている子どもの方が、差別されている子どもよりも傷ついているという例をいくつも見てきました。大切な人が傷つけられている時、自分が何もしてあげられない無力さは、あとをひきます。
家族に対してではなく、第三者に対して、常に差別的な言動を吐きまくっているような場合も、発言者の差別のモノサシが後々まで抜けず、勉強しようとすると頭が痛くなるとか、寝る時に叫び出すなどの症状が出たりしています。こういう場合、加害者は、加害意識を持ちにくいように思います。「夫婦仲は悪かったが、子どもからは慕われていた」と言って、仲良し写真や大好きメッセージが示されたりします。教育虐待の場合は、勉強を見てあげていたというイクメンアピールをされることもあります。
以上、子どもに直接向かわなくても、配偶者や第三者に対する差別発言が子どもの心を傷つけるということを、パワーハラスメントの裁判例を参考にしてお話しさせていただきました。
パワハラといえば、6月1日より、パワハラ防止法が施行されています。雇用主の講ずべき義務の一つに、再発防止に向けた措置を講ずることがありますが、事実確認ができなかった場合も必要な措置となり、行為者に対する措置ができるほどに事実が明らかにならない場合について配慮した規定となっています。事実が認定されなかったからといって無かったことになるケースばかりではないということを謙虚に受け止めることが大切だということは、いじめやDVの場合も同様です。
いじめの事件の裁判例やパワーハラスメントの裁判例は、DV事件を考える時にも非常に参考になり、DV事件の経験が、いじめの事件やパワーハラスメントの事件を担当するのに役立っています。いずれも密接で継続的な人間関係のもとで、人が人を見下して尊厳を傷つける点に共通点があります。
パワハラ研修の受講者アンケートに、「パワハラの基準が知りたくて受講しましたが、どこからがパワハラでどこまでがパワハラでないのかと言っているようではパワハラをなくすことなどできないということがわかりました。」と書いてありました。伝えたいことが伝えた以上に伝わったうれしい回答でした。
DV・いじめ・パワハラは、いずれも圧倒的な上下関係の元に置かれた被害者の、「人間関係そのもの」の問題だと思いますが、現在のところ、司法はそのような理解には行きついておらず、個々の事実を取り上げて法的評価をするという枠組みを取っています。そして、加害者が否定している限り、事実が認定されるためには、当事者が言っているだけではダメで、裏付ける証拠が必要となります。
故に、DV・いじめ・パワハラ事件は難しい類型の訴訟なのです。家庭の場合は、学校や職場と比較すると関係者が少なく、さらに立証が困難であることを争う人はいないと思います。DVを事実の組み合わせとしてのみ把握すると、些細な事実ばかりのように思えてしまったり、息苦しさの原因について明快に説明することができなかったりします。苦しい原因は、相手方との人間関係そのものにあるということを理解していない方には、私の伝えたいことは伝わらないだろうなと思っています。
でも、苦しい時は逃げていいんだよと言ってあげたい。子どもは学校を辞めにくいし、大人も仕事をやめにくい。家庭から離脱するのはなおさら難しい。でも、いじめやパワハラやDVが認定されるかどうかなんて気にしなくていいから、しんどいなら逃げていい。
共同親権を推進する人たちの多くが、合わせて「虚偽DV」「実子誘拐」などといって、子どもを連れて家を出る人を責め立てていることが気になります。むしろ、そちらがメインでは??
「逃げてもいいけど子どもは置いてけよ」そんな声が聞こえそうですが、連れて逃げても、置いて逃げても、責められない社会になるといいなぁと思います。家族に耐えかねて避難することを責めるよりも、家庭裁判所での審理の充実が大切だと思います。心細い気持ちを抱えている人たちに届きますように。