学校のいじめ、職場のパワハラ、家庭のDVは、いずれも閉鎖的で継続的で密接な人間関係のなかで生じる支配関係なので構造は同じです。「支配」という暴力の継続は、被害者の心を壊しその傷は深く後々まで残ります。
被害は、被害者から発覚することが多いので、被害者に「どうして?」と尋ねがちですが、支配関係が生じる原因は加害者側にあるので、被害者に原因を求めても解決しません。加害者が自覚しないと、いじめもパワハラもDVもなくなりません。
いじめ防止対策推進法には、「心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じている」ものがいじめであると記載されています。
パワハラ防止法には、「優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害される」ものがパワハラであると記載されています。
そうです。いじめ・パワハラの定義は、身体的暴力を中心的にしたものにはなっていないのです。精神的攻撃が自殺者を出していることを認めない人はいないと思いますので当然のことです。身体的暴力をともなう場合もありますが、それは身体的暴力による怪我を原因とする自殺ではなく、身体的暴力が正当化されてしまうような人間関係により生じる屈辱感が後々まで残るから死にたくなるのです。
人間はみじめな気持ちを容易く自認できるほど強くなくて、誰かに打ち明けることは勇気が必要で、へらへらと笑って持ちこたえようとします。逃げればいいのに逃げられない。いじめやパワハラを身体的暴力を中心に捉える人はおらず、精神的攻撃が本質であることは社会の共通認識になっていると思います。
DVはどうでしょう。DV防止法には、「配偶者からの身体に対する暴力(身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすものをいう。以下同じ )又はこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動」と記載され、身体的暴力がDVの中核であるように定義づけされています。
司法判断もこの定義に引っ張られ、精神的暴力が身体的暴力に準ずるものでなければならないという枠組みで判断してきました。保護命令に関する判断では、「殴るぞ」「殺すぞ」等の生命・身体に危険が及ぶ言葉がないと「暴力」として認められない運用が続いてきました。
しかしこれは明らかな間違いです。 家庭という閉鎖的で継続的で密接の極みみたいな環境で、身体的暴力という野蛮な暴力が横行し、正当化されてきたという歴史から、精神的暴力が軽んじられてきたにすぎなません。
DV防止法は、少なくとも精神的暴力を身体的暴力と同等の位置づけに改正する必要があり、ここの改正を、少なくとも、いじめやパワハラと同列にすべきことは基本中の基本だと私は思います。
精神的暴力を軽んずる勢力が語るDV被害者保護の言葉は薄っぺらで何の役にも立ちません。共同親権推進派の発信は、精神的暴力を軽んじています。弁護士までもが・・・。
以上長々とお読み下さりありがとうございました。その1と合わせてお読みいただければ幸いです。