『日本国紀』読書ノート(203) | こはにわ歴史堂のブログ

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203】冷戦は、NATOに対抗してワルシャワ条約機構が成立して始まったのではない。

 

「第二次世界大戦は決して世界に平和をもたらさなかった。ソ連は東ヨーロッパの国々を呑み込み、無理矢理に共産化して、ソ連の衛星国とした。ソ連の政策に反対する者たちはたとえ首相であっても粛清された。」(P447P448)

 

と説明されています。

以下は誤りの指摘ではないのですが、少し気になったことを少々…

ソ連は軍事力によって「東ヨーロッパ」のうち、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ポーランドをナチス=ドイツから「解放」し、駐留軍の威力などを背景に共産党政権を樹立させました。しかし、ユーゴスラヴィアとアルバニアは、ソ連の力によらず自力解放によって社会主義国となっています。

チェコスロヴァキアは共産党を含む連立政権が成立していましたが1948年にクーデターで共産党政権が成立しています。

「首相であっても粛清された」というのは、時系列的にはもっと後のことで、スターリンの死後のハンガリー動乱でナジ=イムレ首相を処刑したときのことです。

 

「ソ連と共産主義の進出、つまり赤化を抑えるために、西側諸国が昭和二四年(一九四九)に軍事同盟である北大西洋条約(NATO)を結成すると、ソ連もまた昭和三〇年(一九五五)に東ヨーロッパ諸国とワルシャワ条約機構という軍事同盟を結成して対抗した。いわゆる『冷戦』の始まりである。」(P448)

 

以下も誤りの指摘ではないのですが…

西側のNATO、東側のワルシャワ条約機構は、軍事面での対立としてよく説明されるのですが、よく見ていただければわかりますが、一方は1949年、もう一方は1955年とその差が6年もあり、その間に朝鮮戦争も勃発しています。

教科書にも「NATOに対抗してワルシャワ条約機構が結成された」という文脈が多いのですが、実は少し事情が違います。

1949年1月にソ連は東ヨーロッパ諸国と経済相互援助会議(COMECO)を結成し、「経済的に」団結します。それに対抗して、アメリカを中心とする西側諸国は同年4月に「軍事的に」団結してNATOを結成しました。

ソ連が1955年にワルシャワ条約機構を成立させたのは、西ドイツが再軍備化したことに対抗した、というのが正確な説明です。

 

以下は誤りの説明です。

「いわゆる『冷戦』の始まりである。」とありますが、NATOに対抗してワルシャワ条約機構が作られたことが「冷戦の始まり」ではありません。

そもそも「冷戦」という言葉は、ジャーナリストのウォルター=リップマンが1947年に使用した言葉が由来です。

アメリカ合衆国がいわゆる「対ソ封じ込め」を宣言(トルーマン=ドクトリン)してマーシャル=プランを提唱しますが、ソ連・東欧諸国はこれに参加せず、ソ連を中心にコミンフォルムを結成してこれに対抗しました。

広義にはヤルタ協定にまで遡れないこともありませんが、一般にはここからが「冷戦の始まり」です。