【178】中国大陸の戦いの優勢も大局的には無意味になった。
「日本は中国大陸の戦いでは優勢だったが、アメリカを相手にした太平洋での戦いはもはや絶望的だった。」(P400)
と説明されていますが、まるで中国との戦いは勝っていたかのような説明です。
アメリカも指摘していますが、蔣介石は、兵を温存していて、正面からの戦いを回避していました。また、一方で日本軍のほうは「打通作戦」を展開し、連合軍が使用可能な航空基地を破壊することに成功し、中国からの日本への空襲を阻止したかにみえましたが、直後のサイパンの陥落で無意味になってしまいました。
戦略によって敵の戦術を無力化するのは、古代ローマのスキピオが、カルタゴのハンニバルに対峙したのと同じ作戦で、アメリカが日本を降伏させれば、そもそも日本は「大東亜戦争」という名称で日中戦争と太平洋戦争を一体的に捉えていたので、対米戦争の敗北は、同時に中国での戦いも敗戦となります。
日中戦争・太平洋戦争を「大東亜戦争」であるとし、呼称を現在でもそう使用すべしという方の中には、一方で中国との戦いは勝っていた、という言説を為される場合がありますが、矛盾はここにあらわれています。
ただ、現実には、日中戦争も限界点に達していました。
もともと北支方面軍は「一切ノ諸施策ヲ中共勢力剿滅ニ集中スル」方針をとり続けて、「目標方法」として以下を掲げています。(「第一期晋中作戦戦闘詳報」防衛庁防衛研究所・『十五年戦争小史』江口圭一・青木書店)
一、敵及土民ヲ仮装スル敵
二、敵性アリト認ムル住民中十五歳以上六十歳迄ノ男子
殺戮
三、敵ノ隠匿シアル武器弾薬器具爆薬等
四、敵ノ集積セリト認ムル糧秣
五、敵ノ使用セル文書
押収携行、止ムヲ得ザル時ハ焼却
六、敵性部落
焼却破壊
このような作戦展開は、中国民衆の反感をかい、蔣介石の国民党軍が日本との正面衝突を回避していくなか、共産党が抵抗・反撃をして解放区を広げ、かえって共産党の支持を農民たちの中で広げていく結果となりました。中国の赤化をおそれながら、共産党の支持を拡大することに手を貸したようなものです。
後にWGIPによる「洗脳の深さ」と称して「多くの日本人が『戦前の政府と軍部は最悪』であり、『大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった』と無条件に思い込んでいる。」(P425)、「アジアの人々と戦争をしたわけではない」(P425)とまたしても繰り返し説明されていますが、戦後の歴史教科書は「無条件」に「悪辣非道な侵略戦争」であったと一方的に説明したりはしていません。
史料と根拠をもとにした歴史著述の結果、それを読んだ側がどのように感じたかの問題であって「WGIPの洗脳・陰謀」といった志操のせいではありません。
そもそも、アジア太平洋戦争を「悪辣非道な侵略戦争」と記されている教科書があるならば、具体的に示すべきでした(私が知るかぎり現在の教科書でそのようなものをみたことがありません)。
何度も申しますが、世界の教科書と比べて、日本の教科書はたいへんニュートラルで、客観的で史料に基づき、抑制された調子で説明がされています。
「中国共産党が華北の農村地帯に広く抗日根拠地(解放区)を組織してゲリラ戦を展開したのに対し、日本軍は抗日ゲリラに対する大掃討作戦(中国側はこれを三光作戦と呼んだ)を実施し、一般の住民にも多大の被害を与えた。」(『詳説日本史B』山川出版・P365)
という説明です。先に示した史料「目標方法」に基づいているのは明白です。
また、注目すべきは「三光作戦」を「中国側が」そう呼んでいたにすぎない、ということも示していることです。はっきりと「三光作戦」は日本側の呼称でないことを現在の教科書では指摘しています。
「聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力はなかった。それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはならない。」
(P400)
と説明されていますが、意味がよくわかりません。「対抗できる力はなかった」のに、どうして「戦い続けなくてはならない」のかの説明がありません。
というか、「抵抗する力がなかったのに降伏せずに戦い続けた」と説明すべきではなかったでしょうか。
「追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行なった。」(P400)
という説明も、何といえばよいのでしょう。「航空機による自爆攻撃」というような「自爆前提」の、兵士の尊い命を犠牲にした作戦を、「人類史上初めて」というように表現するのはふさわしいのでしょうか…
「神風特攻隊は、最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦だったが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み込まれた。」(P400)
と説明されていますが、すでに山本五十六が「体当たり攻撃」をする案を持っていました。海軍の計画は、「限定的作戦」ではなく、あらかじめ計画されていたことの実行で、なし崩し的に通常作戦に組み込まれたものではありません。
ただ、フィリピンでの作戦実行にあたって、ためらいや逡巡がみられました。
(『侍従武官城英一郎日記』野村実・編 山川出版社「近現代史料選書」)