【111】「富国強兵」の根幹の地租改正・徴兵令の説明があまりに希薄である。
「教育に力を入れ、明治一〇年(一八七七)に東京大学を設立した。この時も東京大学に入学した学生は全員が江戸時代の生まれで、当然、現代のような義務教育などは受けていない。」(P292)
この説明の意味がよくわかりません。
1868年に明治に改元されていますので、「明治生まれ」の人はこの段階ではわずか9才ですので、全員が江戸時代生まれであるのは当然だと思います。
義務教育はまだ存在していませんが、旧幕府時代の医学所、開成所などですでに高度な教育を受けている人ばかりで、とくに開成所錬成方出身の3人が設立年の1877年の段階で最初の卒業生(理学部化学科が最初の卒業生)となっています。
東京大学は、新しい組織として作られたものではなく、すでにあった医学所や開成所からできたものです。
また、東京大学に入学するには「東京大学予備門」で専門教育を受ける必要があり、現代のような義務教育は受けていませんが、当時では最高水準の教育を受けた人たちしか入学していません。直接東京大学を「受験」するような制度ではありません。
「…いわゆる『四民平等』となった。ただ、一部地域の戸籍には、穢多や非人は『新平民』や『元穢多』『元非人』と記載され、後々までも差別問題として残った。」(P292~P293)
壬申戸籍の表記問題ですが、部落問題の研究者灘本昌久教授の研究では、壬申戸籍の「新平民」記載は広く信じられている俗説であり、壬申戸籍そのものの記載はすべて「平民」であることがわかっています。ただ、役所の役人が勝手に「書き込み」をしている例はあるようですが、戸籍そのものの様式に「新平民」というものは存在していません。しかもその例もごくわずかで、全体の1%も無いようです。
「地租改正によって、江戸時代には禁じられていた田畑を売買することが許され(田畑永代売買禁止令解禁)、また土地には税金が課せられることになった(地租改正条例)。」
明治時代の「大改革」である「地租改正」があまりにも希薄な説明で驚きです。
P292でも強調されている「富国強兵」の基礎を支える政策であるだけでなく、日本の寄生地主制を生み出し、戦後の「農地改革」まで日本の社会構造の根幹をつくり出した制度の話がわずか2行では、GHQの占領政策の意味がまったく正しく伝わりません。
これは徴兵令に関する説明でも同様です。
「海軍省と陸軍省が創設され、男子は兵役に就くことが義務付けされていた。」
と、一文で終わりです。
前に申し上げたように、通史はネタフリとオチが大切。
ここで「地租改正」後の社会変化と、寄生地主制を説明していないために、後の「農地改革」の説明が
「しかし現実には日本の地主の多くは大地主ではなく、小作農からの搾取もなかった。」(P438)
というような誤解されたものになるんです。
(大地主かそうでないか、搾取があったかなかったか、の問題ではありません。第十一章以降の多くの誤認と誤解は、明治時代の説明が原因のものが多く、この点はまた第十一章以降で詳細に説明したいと思います。)
そこまで先のネタフリでなくとも、「地租改正」と「徴兵令」の話を十分説明しないと目前の「自由民権運動」の背景の説明につながりません。
「地租改正反対一揆」、徴兵令による「血税騒動」の話がなければ自由民権運動の広がりと、不平士族たちの反政府運動との関連がなくなり、後の説明のオチがつかなくなります。