『日本国紀』読書ノート(48) | こはにわ歴史堂のブログ

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48】北条早雲は関東一円を支配していない。

 

戦国時代を「古い価値観や身分制度が大きく崩れ、たとえ身分が下の者であっても、実力次第でのし上がれるという、日本史上類を見ない『戦国』時代となった。」(P134)

 

古い戦国時代のイメージに基づいての記述が続いています。

戦国時代は、北条早雲・斎藤道三・織田信長・明智光秀などの逸話・物語・小説によってずいぶんと歪められてきました。

 

では、軍記物『太平記』で描かれている南北朝の争乱の時代はどうでしょうか。

「バサラ」などの風潮は古い価値観が大きく崩れている様がみられますし、近畿一円の「悪党」などは新興武士ともいえます。

南北朝時代の混乱期なども、「貴種」身分の分裂、「司・侍」身分の対立などがあり、やはり日本史上類をみない出来事だったと思います。

専門家ではない、特定のファンではない、多くの方々の「南北朝時代」と「戦国時代」の理解・認知の差は、「人気作家による作品の量」の差のように見えなくもありません。

「大和朝廷以来」とはどの時点でのことかはわかりませんが、氏姓制度から律令制度、それが崩壊していく流れは漸進的です。 

しかし、むしろその中で「連綿と続いてきた古い権威」(P136)は、生き延びるために巧みにそれぞれの政権や社会に適合するように変質していっています。

相互に補完・利用し合ってきました。

 

「足利氏の将軍は名ばかりのものとなり、権力争いの道具にすぎないものとなっていた。」(P136)

 

とあるように、たしかに「道具」ですが、道具である限り有用でなければ使われません。

従来の戦国時代のイメージは、「古い権威」が打ち壊された、「下剋上」で身分間の壁が破壊されたかのように描かれてきましたが、むしろ「古い権威」の枠内で、新しい勢力の交替が進んでいました。北条早雲はその例です。

 

北条早雲が

 

「無名の素浪人から大名となった典型的な存在と言われていたが、近年の研究では、室町幕府の政所(訴訟を司る職)の執事であった伊勢氏の出であったらしいといわれている。」(P136)

 

と説明されています。

まず、室町幕府の「政所」は「訴訟を司る職」(P136)ではなく、将軍家の家政・財政を扱うものです。結果として土地の貸借に関する訴訟も扱いますが「訴訟を司る」ものではありません。

よって伊勢氏は応仁の乱、応仁の乱後で、陰に日なたに重要な役割を果たしてきました。今川氏との関係や、北条早雲の関東進出も実は「将軍家」と深い関係があります。

 

駿河国の守護今川義忠は、東軍に与していました。

上京して足利義政に面会したのですが、将軍とのコネを深めるために将軍の側近であった伊勢一族にツテを求めます。

あるいは義政から「伊勢の娘と婚儀をあげよ」と命じられたかもしれません。

そのとき、伊勢盛定の娘と義忠が結婚しているんです。まぁ、政略結婚ですね。

で、その盛定の子が伊勢盛時。これが後の北条早雲です。

父の後を継いで将軍家の側近となり、9代義尚に仕えました。

その後、今川家で相続争いが起こったときに、その解決・朝廷を命じられて駿河国に向かい、今川義忠の妻となっていた妹()の間に生まれた子である竜王丸を後継者にします。

自分の甥を今川家の跡取りにした、というようにも見えますが、今川-伊勢-将軍のラインを維持したい将軍家の意向でもあったと思います。

で、今川家は幕府から派遣されたこの能吏を家臣とします。(何といえばよいか、現在で言えば、本社から支店に派遣された本社社長室の秘書みたいなもので、支店の経営も手伝っていた、みたいな感じかもしれません。)

そこで事件が起こりました。

伊豆国の混乱(堀越公方の内紛・足利家の身内の問題)の解決を幕府から命じられて今川氏から兵を借りて伊豆に侵入します。

かつては小説やドラマなどで「戦国時代の幕開け」と言われた「北条早雲の伊豆入り」は幕府中央と深い関係がある出来事でした。

 

「ただ、早雲が関東一円を支配する大名となった過程は下剋上そのもので、その意味では、やはり北条早雲こそ戦国大名の嚆矢といえる。」(P136)

 

インターネット上の説明(Wikipedia)にも

 

「北条早雲は戦国大名の嚆矢であり…」

 

と百田氏と同じ表現がされていますが、そもそも伊勢盛時=「早雲」は、関東一円を支配していません。伊豆と相模です。

「大名となった過程は下剋上そのもの」と説明されていますが、この過程は「下剋上」ではないと思います。

武蔵国へ進出するのは子の氏綱からで、氏康・氏政と代を継ぎながら関東一円を支配しました。

 

「戦国大名北条早雲」は小説・物語・昔の「まんが日本の歴史」がつくり出したイメージです。