【16】城壁が無いのは島国や単一言語を持つ民族であることが理由とはいえない。
「平安京も長岡京もその前の平城京も、唐の長安を模して作られた都だが、いずれの都にも長安と決定的な違いがある。城壁がないということだ。」(P63)
「しかし日本は飛鳥時代以前に都市から城壁をなくした。これは単一言語を持つ民族であることと、日本列島が四方を海で囲まれていたというのが大きかった。」(P64)
たしかに、欧米や中国の都市には、城壁があり、一つの閉じられた空間になっています。日本の場合は、市域も壁で囲む形の「城」はありません。
ただ、城壁が町に無い、というのは、単一民族であることとか島国であることとかは無関係に(ましてや治安がいいとか盗賊が少ない、とかは無関係に)経済の在り方と自然環境によるところが大きいと考えられます。
日本は農業中心の国で、町は無く、農村が中心でした。農家の集合体としての集落について考えると、欧米でも農村集落には城壁はあまり見られません。
また、日本は平野が少なく、山川あいまって狭矮な地形が多く、自然が要害となっています。鎌倉などは、その例として教科書にも紹介されています。
「壁で囲む」という発想をあまり必要としない自然環境です。
また、石の文化の欧米に対して日本は木の文化です。
雨も多く湿潤。ですから壁ではなく木の塀や、水をためる堀で囲む、という考え方をしています。
実際、弥生時代の集落は環濠集落で、壁ではなく堀をめぐらせていました。また、中世末期に「町」が生まれると、堺などは堀をめぐらせています。
京都の史跡に「御土居」というのがあります。それを説明した看板に記されたものを紹介します。
「御土居は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として、天正19年(1591年)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。」
江戸時代や明治時代になって取り壊されただけで(石造りでないから残りにくい)、都市を土塁で囲む、堀で囲む、というのは、ヨーロッパの都市を「壁」で囲むのと同じようにおこなわれていました。