『日本国紀』読書ノート(13) | こはにわ歴史堂のブログ

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13】千三百年前に豊かな文化は世界に無かったのか?

 

「千三百年も前にこれほど豊かな文化を持った国が世界にあったろうか。」(P52)

 

という問いがなされています。「これほど」とは、おそらく直前の

 

「身分の高い人だけでなく」

「下級役人や農民や防人など」

「歌を詠むという行為」が

「ごく普通の嗜み」の

「一般庶民」の文化で、

貴族などエリートだけのものではなかった文化

 

のことなのでしょう。

でも、結論から言うと、こういう文化は、もっと昔からたくさん世界に存在しています。

 

メソポタミアの文明は前3500年。

シュメール人の生活が楔形文字で記され、職人・商人の言葉や当時の人々の生活がわかる「諺」や「詩」が残されています。

 

3000年のエジプト文明も、かつては専制的な王による支配と、奴隷を酷使してピラミッドを築いた王国、というイメージで語られていましたが、今では農民たちが祭の行事のようにピラミッド建設に携わり、労働の見返りにビールやパンなどが配られていたこともわかっています。

当時の人々の、ピラミッド造りを楽しみにしている、祭りや酒での歌声が聞こえるような、詩やお話が記されている文字板も発見されています。

 

前5世紀の古代ギリシアでは、むろん奴隷は存在していましたが、詩はもちろん演劇もさかんで、市民レベルで学問も発達していました。

 

また、前1世紀の古代ローマでは詩、演劇、見世物を含めて享楽的な娯楽も盛んで、奴隷出身の哲学者もいました。

ローマの社会は、奴隷や下層市民でも、社会に貢献すれば市民になれたりローマ市民権が与えられたりして、4世紀の帝政までは、身分の固定も少なく、民衆レベルで社会に活力がありました。

 

前4世紀や前3世紀の春秋・戦国時代の中国でも『詩経』・『春秋』などの儒学の経典が編纂され、『楚辞』などの文学作品も生まれています。

日本の『万葉集』は、たしかに庶民文化の反映で、日本の歴史の中では特筆すべきものですし、世界に誇ることができる文学作品ですが、世界には同じような文化はたくさん存在していました。

 

日本の『万葉集』が素晴らしい、世界に誇るべきものだ、というのは私もまったく同感なんです。

でも、なんでこんな余計なこと書いちゃったんでしょう。

日本の素晴らしさを説明するのに、他者の価値を下げないと説明できない、なんてことはないはずです。

百田氏ほどの文筆力があるなら、『万葉集』の素晴らしさをもっと掘り下げてほしかったと思います。

むしろ、三つほど和歌をあげて背景を説明するだけでも読者に『万葉集』の素晴らしさを伝えられたはず。

読んだ読者が、外国の方に

 

「『万葉集』って、どう素晴らしいの?」

とたずねられて、

「千三百年も前に、こんな文化、無いからだ。」

て、胸を張ったら笑われてしまいます。

 

「こんな歌があって、当時の歴史はこうで…」

て、説明できたほうがいいじゃないですか。

 

当時の日本の素晴らしさを伝えられる「百田チョイスの万葉の歌」とその背景を描いていてくだされば、読者は、そのウケウリであっても外国の方やら子どもたちに紹介できたはずで、この点、惜しいなぁ、と思いました。

 

ちなみに…

私は、有間皇子や大津皇子の歌が『万葉集』にうたわれているのが好きです。

権力闘争に敗れた人物の和歌さえもとりあげられている…

罪は罪、でも人は人。

権力に敗れた(陥れられた)人の悲哀… 

政治に阿らず、悲劇を伝える、ということが、ほんのりと薫っていると思うのですがどうでしょう?

 

戦時中なら、防人の歌、なんてきっと怒られたでしょうね。

兵隊さんの苦労話が書かれた小説は発禁になりましたから。