(2)新嘗祭は建国から現在まで連綿と宮中で行われている祭祀ではない。
P14~15にかけて農耕の話にからめて初期の信仰に関する記述があります。
農耕祭祀の「新嘗祭」を「建国から現在まで宮中で連綿と行なわれている最重要の祭祀の一つである」(P15)と説明されています。宮中祭祀としては平安時代に確立されているようですが、室町時代から江戸時代に実は中断されているんです。
15世紀の後花園天皇の時の記録を最後に、17世紀末の東山天皇の時に復活するまで新嘗祭は200年以上おこなわれていません。
宮中の儀式の復活に力を注いだのは江戸時代の霊元上皇。
江戸幕府の5代将軍綱吉(生類憐みの令で有名な将軍)に強く働きかけたといいます。
このとき、賀茂葵祭も192年ぶりに再興されました。天皇即位の大嘗会ですら、221年ぶりに、同じく東山天皇のときに復活しています。宮中儀式の多くは応仁の乱、その後の戦国時代で中断せざるをえなかったのです。
伝統や儀式が長く続いている、続けている、ということももちろん立派なことですが、事情があって中断してしまった大切な文化や伝統、儀式を再発見・再認識して「復活」させる、ということもある意味それ以上に大切なことです。
文治政治が行われていた元禄時代は、日本文化復興の時代でもあり、歌学方の北村季吟によって平安時代の古典などが再評価、再発掘されています。『源氏物語』はこのときの再評価が無ければおそらく現在に伝わりませんでした。
新嘗祭も、賀茂葵祭も、そして大嘗会も、「現在まで宮中で連綿とおこなわれている」祭祀にはならなかったのです。