堀日亨上人が纏められた「漫荼羅脇書」4(完)
富士宗学要集 第8巻(昭和53年9月12日発行、創価学会版)より、堀日亨上人が纏められた「漫荼羅脇書等」での大聖人御筆漫荼羅を提示しています。
九、他教団に散在の分。
大聖人御筆漫荼羅の分。
1(文永九年頃か)(興師加筆)佐渡の国法花の東(棟)梁阿仏房の彦、如寂房日満に之を相伝す、 阿仏妙宣寺。
2 建治元年太歳乙亥十月日、(別紙)平の時光に之を授与す、(別紙に興師)南条兵衛七郎子息七郎次郎平の時光は日興第一の弟子たるに依て与へ申す所件の如し、 新曽妙顕寺。
3 建治二年太歳丙子二月日、釈日与に之を授与す、(興師加筆)富士西山河合入道の女子高橋六郎兵衛入道後家持妙尼に日興之を与へ申す、 尼ヶ崎本興寺。
4 弘安元年太歳戊寅八月日、日頂上人に之を授与す(興師加筆)因幡国富城五郎入道の息伊与房日頂の舎弟寂仙房に之を付属す、 村松海長寺。
5 弘安二季太歳己卯二月日、釈子日目に之を授与す、(天王の点の中に日興の二字存在す余の御加筆の文字は後人抹却したるなり) 桑名寿量寺。
6(弘安二年か)(興師加筆)因幡の国富城寂仙房日澄の母尼に弘安二年九月之を与へ申す、(同上)本門寺の重宝たるべきなり、 京都妙覚寺。
7 弘安三年太歳庚辰二月日、優婆塞日安、(興師加筆)富士の下方、熱原六郎吉守は日興が弟子たるに依つて与へ申す所件の如し 同上。
8 弘安三年太歳庚辰九月三日、俗日目に之を授与す、(興師加筆)富士の上方上野弥三郎重国に之を与ふ、日興(同上)正和元年出□三郎左□に之を与ふるなり、京都妙蓮寺。
9 弘安三年太歳庚辰五月八日、沙門日華に之を授与す(興師加筆)甲斐の国蓮華寺住僧寂日房は日興第一の弟子たるに依つて之を与へ申す所件の如し、(同上)大本門寺の重宝なり、 京都本能寺。
10 弘安四年太歳辛巳四月廿五日、比丘尼持円に之を授与す、(興師加筆)甲斐の国大井の庄の庄司入道の女子、同国曽根小五郎後家尼は日興が弟子なり仍て之を与へ申す、(同上)之を相伝す孫大弐公日正(同上)本門寺重宝たるべきなり、京都本満寺。
(富要集8巻史料類聚221-3頁)
※堀日亨上人のまとめでは、大聖人直筆の御本尊は他教団に10幅存在する。
(項目文頭の半角算数字は編者が付けたもの)
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