水野源三(みずの げんぞう、1937年1月2日 - 1984年2月6日)は、日本の詩人。

長野県に生まれ9歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて目と耳の機能以外のすべてを失いました。

 

最初のうちは、「死にたい。死にたい。」といつも口走っていたそうです。しかし、その唇さえもがついには動かなくなり、話すこともできなくなるという絶望の中にいたとき、彼はイエス・キリストと出会い、その時から、周りの人がびっくりする程にパッと変わったというのです。

 

やがて水野さんは多くの詩を作り始めました。言葉を話せない源三さんのためにお母さんが五十音表を指さし、源三さんが瞬きで合図して音を一つ一つ拾い、書き表していくのです。これが47歳で死去するまでの彼の唯一のコミュニケーション能力。

「瞬きの詩人」と呼ばれるようになったのはそのためです。

 

病気になってから4年目の12才の時、町の教会の宮尾牧師が訪れ、聖書を置いていきました。それを母に頁をめくってもらい、丹念に読んだ源三は、やがてクリスチャンとなりました。18歳の時からは詩作を開始し多くの作品を生み出す。

その詩風は神への喜びを表す純粋な詩です。

 

お母さんのうめじさんは、次のように書いておられます。

 

『神様に救われてからの源三は、声こそ出しませんが口を大きくあけて顔いっぱいに笑い、喜びの日をおくるようになりました。時たまけいれんを起こして苦しみますが、またすぐに明るい顔をしているのを見て、健康な私たちが反対に力づけられるくらいです。私の入院やいろいろなことがあってから、源三のもっている信仰は、目に見えるものがすべて取り去られても、変わらないものであることを教えられました。

私の信仰は、源三に助けられながら一歩一歩進んできました。もし、源三がこのような病気になっていなかったら、私たち親子は神様を知ることがなかったかもしれません。 かつての私は、源三と同じくらいの年頃の子供が元気にはしゃいでいるのを見ると、どうしてうちの子だけこんなになったのだろう・・・と、悲しいような、だれにともなく怒りたいような、たまらない気持ちになりました。しかし救われた今では、すべてが神様の御手の中にあることを思って、ただ感謝するばかりです。』

 

悲しみよ(水野源三)

悲しみよ 悲しみよ 本当にありがとう
お前が来なかったら つよくなかったら
わたしは今どうなっていたか
悲しみよ 悲しみよ
お前が私を この世にはない大きな喜びが
かわらない平安がある主イエス様のみもとにつれて来てくれたのだ。

 

Ⅱコリ12:1 無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。12:2 私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に──肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです、──第三の天にまで引き上げられました。12:3 私はこの人が、──それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです、12:4 パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。12:5 このような人について私は誇るのです。しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません。12:6 たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。

 

12:7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。12:8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。