かつてデンマークに一人の男の子が生まれました。彼が生まれたのは棺桶の中でした。お母さんは他人の汚れ物を洗って生計を立てていました。おばあさんは庭掃除をしてお金をもらい、おじいさんは精神病院に入っていました。本当に貧しい家に生まれ、極貧の生活の中で彼は育ちました。彼は大人になって恋をしましたが、恋をした相手にことごとくふられ、失恋ばかりでした。ついに彼は生涯独身で過ごしました。彼は70歳まで生きて、最後に言ったことばは、こうでした。

「私の人生は童話のように幸せでした。」

彼はアンデルセンです。アンデルセンはこのように言うことができた秘訣をこう言っています。

「私を愛し、私を助けてくださるイエス・キリストがいつも共にいて下さったからです。」

 

イザ9:2 「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」

 

病と死への恐怖

 

フジテレビのニュースキャスターだった山川千秋さんは、1988年に食道がんのため180日の療養後、お亡くなりになりました。奥さんから助からないと告知された時、山川さんは絶望的な気持ちになりました。クリスチャンである奥さんは、山川さんを信仰に導きます。その時のことを、奥さんは次のように言っておられます。


「夫は、死の恐怖や、不安から逃れ、安心して死ぬにはどうすればよいのかと問うてきました。わたしは、その答えは人間によっては絶対に与えられない。それができる方は神様、すなわちイエス・キリストしかいないと答えました。

 

すると、夫はどうすればイエス・キリストに救ってもらえるのかと、尋ねてきました。わたしは、神の前に正直になること、これまで神に背いてきた罪を悔い改めて、主イエスを自分の救い主として受け入れると口に出して言うことだ、と答えました。夫はしばらく考え、自分の過去の罪を素直に告白し、やがて表情は穏やかなものになりました。」


その後、山川さんは遺言を残し、すべてを整えて非常に安らかになくなられたそうです。山川さんが亡くなられる前に「死は終わりではない」という著書を記されましたが、それは、彼が天国に行き、そこでイエス様とともに永遠に生きることを確信したいたからです。その著書の中で山川さんは、長男冬樹君に宛てて手紙を書きました。 

 

「冬樹へ。お父さんは病に倒れたが、そのことによって、主イエス・キリストを知った。

それは、すばらしいことだと思わないか。父親を亡くした君の人生は、平坦ではないが、主イエス・キリストに頼って生きれば、すばらしい人生が与えられる。また天国で会おうぜ。」

 

「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦と災いです。それは早く過ぎ去り、私たちは飛び去るのです。」(詩篇90:10)

 

「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうした私たちに知恵の心を得させてください。」(詩篇90:12)