なぜ?書くつもりがなかった入院生活のブログを書き出したのか
1つは、この闘病から私は出来ない事が増えた事
でも、凹んでばかりいても前には進めません
この出来事を糧に、また頑張るよ!って意味合いを込めて、自分に頑張れ!忘れんな!というやつ

いろんな人に感謝して、また一から頑張る気持ち大事だからさ。

もう一つは、もう退会された方が、たまにきっと見てくれてると思ってさ
結婚した時に、「同じ空の下」と言う言葉を入れたコメントで祝福してくれた、私の良き理解者の方が、何気にブログを開いた時に、思い出して
「あら、あなたらしいわね、私の言葉よく覚えてる。私の言った通り徹底的に治すのよ!わかった?」と思ってくれる様に、書こうと考えました

限定記事で私達夫婦の人となりを、ご存知である方、もちろん今回の一連の病名、術後の傷痕なども見ている方、でも退会されてしまわれて、限定ではわからないと思って、今回は公開で書いちゃいました。
節目節目で、こうして報告したいと思います

では書きます
7月26日外来
ついに、7月29日月曜日。
午後2時半から約2時間の手術が決まった

そろそろ切る?
切る気になったの?
はい、主治医の熊五郎との会話です

痛くて辛かったから
せんせーい!もうさ、切っちまおうよと言う言葉を言っていたのですが、熊五郎はまだ切らないと言うばかり。
炎症が酷い場合、すぐに切らないらしい。

それが、自ら切る?なんて!
あー、楽になれる!と思って嬉しくなる

じゃあ、7月29日
あー、決まった!と思いました
書類を持たされ、7月28日日曜日だけど、入院だと。
その日は、術前検査に回る
血液検査→麻酔科→歯科→心電図→胸のレントゲン→リハビリして、家に帰る
荷物をまとめる。
必要な物を買い足しながら、荷造り

書類に記入して、クリアファイルに入れ、28日の10時に着く様に夫と病院へ

そこは、整形外科の急性期病棟
骨折の時に入院した場所

部屋に入り、落ち着く。
看護師さんが部屋に来て、また説明をしてくれた
29日月曜日の昼2時半になったのは、夫が午前中仕事だから。
前日の9時以降食べ物はダメ
飲み物は当日の朝11時まで飲める

部屋にいると、オペ室の看護師さんが来た
手術当日の流れを説明して
2時間の予定ですが、全身麻酔なので…と言い出した
手術は右手だけ!なのに?と思い
先生がどうしても入れると言うなら入れるけど、今日の夜から飲まないし、絞り出すから!
患者強っての希望で、出来るならしたくない!って言って下さい。テヘ。 
オペ室の看護師さんは、笑いながら
わかりましたw
あー、後もしヤバそうなら、麻酔かかってる時に勝手にしてるやつは大丈夫です
記憶がなきゃノーカウント
って言うと、笑いながら
バルーンの形跡も消しときますwと了解してもらい、入ってるプレートはどうするかと言われたから
いらないですと伝えました
何度も書きますが、尿に管嫌いじゃないですw
ただ、入れられてる自分が恥ずかしいのです

そんな感じの入院でした。

当日、朝からシャワー。
例の早着替え要素ありの術着を着て、点滴開始
飲み物飲まなくても、点滴してると意味がないのですが、もうトイレばかり行きましたw

1時半になり、仕事を終えた夫が部屋に来て、あまり不安でもないどちらかというと全く屁とも思ってないけど
〇〇くーん♡おっかね〜よ
と、甘えて過ごして、あっという間に
早めに開始出来そうなんで行きましょう
と、看護師さんが車椅子を準備してくれて、それに乗りオペ室に向かう
2時に開始出来そうと言う話になった

2時間だから4時か…そんな事を思いながら、オペ室入り口の大きな自動ドアの前に来た

待ってるね!大丈夫だ!と、夫がハグしてきたから、なんか腕とかサワサワしといた

中に入り、また自動ドアの所に看護師さん2人がいて、名前をフルネームで答え、どこを手術するか聞かれて右手だと答える
連れて行かれ、この間とか違うオペ室に入る
人が沢山いた
珍しい症例の手術だから、作業療法士の2名と先生が3人入ると聞いていたら、熊五郎がいた

手術の時に先生がいた
前回の手首の手術の時に思った
手術室の魔法を見た様な気がした
そう!目しか出てない熊五郎がイケてる医者に見えてしまったのだw
泥棒髭が隠れているから?
なんだろう、なんかときめく☆
うしろでかかっかいるBGMのオルゴールが既に眠気を誘っていたがw
流石に熊五郎も
それ!代えて?僕が寝てしまうと言っていた

手袋をしてないから、手洗いの前だったと思うけど、痛い手をグイッと掴み
今日も腫れてるねと…
診察室ならせんせー痛いよーと言うとこだけど、魔法にかかってしまってるからさw
少し、照れてしまうw

手術台には自ら乗るパターン
三段ぐらいの台を上がり手術台に座る→寝る
アレよアレよと言うまに、左腕に血圧計が巻かれ、肩をビリンチョと剥がされ、胸に何かつけられて、鼻に空気が出るやつをつけられる
アレ?おじいちゃん先生がいない!と思ったら、いかにも神経質そうな若いメガネかけた人がいた
そして、天使がまた手を握ってくれた!
目しか出てないから、前の天使とは違う天使かな?と思ったけどやっぱり天使で安心感があり、このお姉さんも大好きになった

そろそろねむくなりますよ〜
と、言われ
あっ!数を…のあっ!の部分から、今回も記憶がありません

次に目が覚めたのは
いち、にい、さんと言う声の時、ベッドに下された私
今回は目が開いた、壁の時計が目に入る
5時25分ぐらいだった
すぐに目が閉じてしまう私
でも、何故か熊五郎の声?気配がわかった
今回は声が出た
先生?うん!いるよ!
はらへった
あははー、3時間待って
と言う会話をした
そこから、何故か迎えに来てくれた看護師さんが前の入院でお世話になった方って言うのも、わかったんだけど、病室までの記憶はない

気付いたのは、激痛で
肩に痛み止めの筋肉注射を打たれる時だった
夫がずっと隣にいたのはわかった
また、目が覚めた時は点滴のやつがピーピーなっていたから
来た看護師さんも、話した事がある看護師さんで、お腹にモシモシのやつを当てて
「お腹動いてます、少しづつお茶とか飲んでもいいですよ」と言ってくれた
夫は知らないうちに居なくなっていた

お茶とすぐ横にチョコレートがあったから、それを食べたw
板チョコ4枚程度の量をたいらげ、ピーナツ煎餅を歯と左手であけ1袋食べて、お茶を1本飲んだ

朝までトイレ行くのもナースコールで呼んで行かないといけない
心電図とか付いてるから、仕方ないんだけど

どんな時でも食欲が衰える事がない
これは、闘病する上で1番大事な事かと思う

あの泣いて、こんな生活なら1人になりたいと思った時は、指が動かないし、痛くない時がなく食べていなかった
あのどうにかなるさ〜と夫が言ってくれたから、気が抜け、なる様になるっと開き直る事が出来たかと思っている
私の手の症状などを検索して出て来たブログを読む事をやめて、どうにかなる!と適当に、考える事にした

もしかしたら、手は動かないかもと言う不安などあったけど、見て見ぬ事にした。
私は、この1週間後更に落ち込む事になった