いやいや、精力的に書いているのです
風呂なんてどうでもいいと思いましが、部屋にあるシャワーで髪の毛を洗いました
あー、ご安心を!
書くほど回復しております
ん?夫?筋トレ中です
知る人ぞ知る筋肉モリモリなんです
顔は、よくわからないけど、私のタイプではない爽やかな顔だと思います
着痩せするタイプだから、脱ぐと凄いw
ええ、惚気です
眠くない理由はわかっている
それは、バカなん?ってぐらい寝たからw
チマチマ書きためていきましょう!
忘れてはいけないからね。
術後、3日目にしてバルーンが抜けた
実は私嫌いじゃないのです
えっ?だって、入れる時と抜く時が恥ずかしいだけで、後は尿意もなく勝手にチッコ出てるシステムだから。
トイレに行く面倒臭い作業がないからw
こう言うと、たいがい変態だと思われます
3日目、立ち上がりこそフラついたけど、普通に歩けました
傷は透明のシール?みたいなやつを貼り付けられてた
そして、少し歩く練習をしましょう!と、理学療法士の人が来て、散歩
別に杖もいらないぐらい、普通に歩けたw
階段行っちゃう?と聞くとダメです、もうお部屋にもどりましょうと戻されるぐらい、普通でした
手術後1週間、私は高熱にうなされることになるのです
40度の熱、頭痛い?なんだか、怠いだけでした
別に何が痛いわけでもない、初めはそんな感じでした
すぐに採血、結果炎症反応が凄いことになってると言うこと
点滴スタートから8時間おきの点滴がはじまりました
夜中2時にスタートして、朝10時、夕方6時のセンスのない時間割の点滴
1日に何度も来るクッキングパパそっくりな主治医、ただただその姿に癒される私
体を拭いてくれる夫
夫が部屋に来る時に着替える
果物を切って持ってきてくれる家族
そこで約1年半前に骨折した右手が肩まで腫れ始める
もう、あっという間にパンパン
痛いと思った1時間半後には、指が全く動かなくなりました
風が当たっても痛い状態
腕が引きちぎられる様な痛み
とある、新しい病名が追加されました
たぶん、全ての元凶がこの右手だろうと判明するのは、もう少し後の事です
痛いけど、無理してでも指を動かさないと指が固まると言う判断の元、作業療法士さんとのリハビリが始まりました
傷のホッチキスの抜糸などが終わった時から始まったリハビリは、私が生きてきた中で最も痛くて辛かったです
たかだか、1ヶ月程度ですが
それ以降のリハビリは、別に〜痛いけど〜まだ大丈夫って余裕でした
私に関わる医師に整形外科の熊五郎みたいな人が加わりました
熊五郎先生は、凄く目がキラキラしている優しい先生です
私と話すとき、初めから笑ってるようなw
私は患者強っての希望と言うセリフをこの熊五郎に向けて、何度も言う事になるのですw
今のメインの主治医は熊五郎先生です
たぶん、病院にもよるのかもしれないけど
外泊は一泊、それ以上は一時退院になります
全て主治医の判断です
外泊、外出は届出と主治医の許可が必要
肩こりの湿布など、小さい事も全て主治医の許可がないとダメ
もちろん、薬も。
何から何まで主治医の判断です
例えば、包帯が汗ですっぱい!包帯を代えて欲しい場合、傷が空気に触れる事態であれば、主治医じゃなきゃいけません
主治医がいない場合、他の医者に頼む以外、他の人が触る事もない
大体の総合病院は、このシステムだと思います
星の人のブログは、やはり創作か☆
私は6月末日から7月27日まで、自宅療養をはじめるのです
手のリハビリが始まったけど、右手は腫れたまま
風船に水を入れた様な手で、指は自力では動かない
動かさないといけないけど、無理をすれば炎症が酷くなる
こんな、使い物にならない嫁、自分の事も満足に出来ない様な、洗濯物を干す事もできない嫁いらないだろ?普通と、自分を追い込みました
入院していても良いと言われていたのに、夫が一時的でも家に帰ろうと言う
通院は毎日、診察は週に3回、リハビリは半日
20分が1単位で6単位していました
こんなにしても良くならない右手
腫れを楽にする
お湯に5分、水に4分、お湯に3分、水に2分、お湯に1分、つける
お湯の温度は40度から44度程度
これで、血管の収縮を促す
その後、紐を指5本に巻きつける
指先が紫色になりそうだから、先を左手で軽く揉む
掌には包帯で圧をかける
それを15分
何をされても痛い
触られたくないけど、仕方ない
汗が凄く出て、フラフラになりながらする
15分たったら、指先から腕に向かってゆっくりながす
手があまり大きくない私の掌は24センチに腫れ上がっていました
それが、5ミリ縮むのです
腫れが引くと痛みも和らぐ、そんな錯覚をします
夫からは何にもしなくていいと言われていて、何にも出来ないのに家に帰る?と私のストレスは爆発しかける
とうとう、なんにもしなくていいって言われて引け目だけ残って、嫌だ、退院なら実家に帰りたい
何にも出来ない嫁いる?いらんでしょ?と、イライラを夫にぶつける始末
私が退院する時に、実家の母親が毎日手伝いに行くと言うのを、夫婦でどれぐらい出来るか、やれるとこまでやってみると断った夫
今は、もう落ち着いているから、アレは夫の愛情だとわかるけど、当時の私は夫婦でいる意味があるのか?体が弱いだけじゃない、満足に掃除すら出来ない女と居る意味があるの?と考えていて
こんな、欠陥品なんか、返品すれば良いと考えていくのです
自分の事、自分の気持ちしか興味がない人間の出来上がりです
昼から、夜のご飯の準備をする
夫が遅くなる日は、パンとかを食べていました
袋を開ける事が出来ない、サイフを両手で開けれない、出前をとっても運ぶ事が出来ない、1人でお風呂に入っても左手腕から手が洗えない、
まずブラが付けれないのです
食べずに寝る事もありました。
嫌で嫌で仕方なかった
ある夜、私は泣きながら夫に言いました
下着も満足に付けれない嫁はいらん子だから、どうぞ!惨めだから離婚してくださいと。
もう、惨めすぎて、外に出たくもない気持ち
もう、頑張れないと大人になって初めてぐらい号泣しました。
そんな時、夫は軽い口調で
誰が頑張れって?
家事しろって言われたの?
嫁だから洗濯しなきゃいけないの?
下着?スポーツブラならかぶればいいんじゃない?
大丈夫、なんとかなると言う
なんとかなるよ〜お手伝いさん雇っちゃうか?と、本気か冗談か判断がつかないが、なんとなく真剣に自分を追い込んでた自分が、笑えてきた
そうか、なんとかなるかwと、諦めと似た気持ちかな、一気に力が抜けた