まだ生きている横並び体質

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バブル崩壊後に経済が不調になって、衰退の傾向が出てきた時期に、こういう話を聞きました。

 

会社内で自分は先輩と同じくらい働いているのに、もらえるもの(給料やその他の給付)は先輩よりも少なくなってきている。このままでは生涯賃金に差が出ることになる。そんな劣位に甘んじるよりは、独立して(あるいは転職して)もっと稼げる道を探りたい。

 

その人は、もしかすると、もっと恵まれない人よりかは、高い給料をもらっていたかもしれないのですが、比較対象が同じ会社の、もっと会社が羽振りがよかった時代に入った先輩になっているので、一般的に見たら高い給料でも、残念に感じられ、先輩と同じかそれ以上でないと納得できなくなっています。

 

そして別の話では、投資会社のようなところに入る人は、年収一千万とかそれ以上を目指し、若くして資産を築いて、自由な働き方ができるように考えていて、そんな将来像を実現するためにも、今必死になって働く、ということがあります。

 

この話では、新しく入ってくる人がそれぞれ年収一千万以上を獲得しなければならず、資産も相当なものを得なければならないので、会社として、社会として見れば、お金儲けにあくせくするのに終わりがありません。希望する人全員に多額のお金を割り当てられる日が来るとは思えません。そんな日が来るまでに貧富の格差が拡大して、実体経済が瀕死の重傷になりそうです。

 

個人において、金銭的な豊かさの目標が高く設定されていて、一定の人がその目標を達成した時点で終わればいいのですが、次から次へと同じことを希望する人が入ってくるので、終わりがありません。

 

横並びで、先輩と同じ給料を私だけは手に入れたいと思う人も、後から後から同じような人が参入してくるので、終わりがありません。

 

この横並びの発想は、私だけ違うのはおかしいとか、私も豊かになりたい、私も置いていかれたくないと、非常に単純な発想から出来上がっています。もし我に返って、自分が言っていることを冷静に査定すれば、何々ちゃんだけずるい、と言っている子供と同じであることがわかるでしょうから、自分で自分の言うことが浮いたように感じられ、似合わない派手な衣装を着せられた時のように落ち着かない気持ちになるんじゃないでしょうか。

 

しかし物質主義的な世界観の中で生きていると、自分が言ったことをそんなふうにおかしいとは感じなくなるのかもしれません。

 

考え方も仕事ぶりも全てが幼稚なのであれば、自分で気が付かなくても周りで、この人は幼稚だと思われると思うのですが、何かの点で優れた人にしかできない技術力を発揮していると、それによってそれ以外の幼稚さが覆い隠されてしまうのかもしれません。

 

国政政党の自民党は、国内で最大の支持を取り付け、政権を維持することにかけては、抜きん出た能力を示していますが、実際の政治の取り仕切り方では、有力者のそれぞれに配慮することしかできず、全体のバランスの調整をする能力が全くありません。これは選挙に特化した能力と関心の集中が生み出したことかもしれませんが、入り口のところ(代表者として選ばれること)に最大の力を注ぎ込んでいるために、本業に使える余力が全く残っていないといった感じになっており、全体として愚かであると言わざるを得ないんじゃないでしょうか。

 

経済人が個人の蓄財だけを考えて、将来の生産体制の構築の構想に関して、簡単にできること以外は全く関心がない、ということも、部分的に飛び抜けて有能な人が、その実績ゆえに、それ以外の部分で幼稚なことをあまり指摘されないで済んでいる、というところに問題がある気がします。

 

本当のことを言うと、政治家や経済人の思慮のなさを指摘している人はいるのですが、数が少なく、多くの人は抜きん出た能力が何かあれば、それに幻惑されて、他のことは不問に付すところがあって、そんな多数意志が、多くの愚かさを見逃してしまっている、ということなんでしょう。

 

また衰退の傾向が出てきた時に、このまま行ったらまずい、何か手を打たなければならないと思った人の中でも、ある人たちは分配をしなければならないと主張し、別の人たちは経済発展の力をますます強めなければならない、そのためには技術開発にこれまで以上に力を注がなければならないと主張し、互いの意見に対して無理解で、対立し、お互いの力をそぐ形になった、ということもあったかもしれません。

 

今でも経済発展の主張と、人権擁護の主張が対立して、互いを敵視する状況は変わっていないかもしれません。経済発展の方向性は、物質主義的な方向性であり、欲得を開放する方向性なので、危険は危険なんだと思いますが、中和する精神文化が伴っていればいいとも言えて、人権擁護の観点から解体すべきものだ、とまでは言えないだろうと思います。

 

しかしそれぞれが大事だと思うものを守ろうとして、他の大事な価値が見逃されてしまう、ということが起きがちで、実際に起きているんだと思います。

 

その間に、社会をどうしたいとかいう考えがなく、私欲のみを追求する人たちが熱心に活動して、社会をますます歪ませている、ということかもしれません。