おばちゃんたちがインフルエンザの予防注射を打とうと話しているので、なぜ急に言いだしたのかと思って聞いていると、どうやらテレビで言っていたようです。
テレビで言うとすぐ信じるので、「テレビが死ね言うたら死ぬんか」と言いたくなりますが、実際死ぬのかもしれません(1億総玉砕)。
こうなってしまうともはや手遅れで、長い時間をかけてテレビ局の人たちが田舎の人たちの信用を勝ち得たのだな、という気がします。
役所(お上)が大企業にお墨付きを与えるということをやったので(これは優良企業なので大丈夫、こういうのは怪しい企業なので気をつけて)、大企業が役所(お上)に準ずる組織のように受け止められています。
それで人々にとっては、テレビ局もお上の一部になっているのかもしれません。
ただやはり、人々に気に入られるよう、信用されるよう、喜ばれるよう、テレビ局が長い時間をかけて努力してきたということも事実なので、その成果が出ているということもあるんだと思います。
テレビで人気を博する人は、田舎の人にとって子供や孫や親戚のように受け取れる人という面もあるんじゃないでしょうか。
地方局の情報番組の司会をやっているのは、アナウンサーですが、彼らはいい学校を出ていい会社に就職しているという意味で、田舎の人たちが子供になってほしい理想像でもあります。
それでぱりっとしたスーツを着たアナウンサーは、実際の自分の子供が二人いるなら、三人目の子供のような存在になるんじゃないでしょうか。空想的な世界で養子縁組しているので、身内の扱いになり、警戒心を解いて信用します。出世して知識とコネと権威を身に着けたという意味で、実際に頼りになる存在にも思えるでしょう。
古いタイプの人たちの思考法は、目の前の個別の案件を、分析・総合して理解するというものではなく、これまでの経験と似た経験を引き出して当てはめたり、信用できる人を見つけておいてその人の言う通りにするというものなので、もし自分の経験の中に似た事例がなければ、権威の言うことを丸呑みにすることになります。
そしてテレビ局のアナウンサーが権威になってしまっているし、コメンテーターをやっている芸人さんも、勉強はできなくても、一芸で世に出た人として出世頭として認められたら、権威とまでは行かなくても、信用できる身内の人間というところまでは十分行きます。
こうしてテレビのワイドショーから田舎のおっちゃん・おばちゃんへの情報の流れができてしまっていて、そこを通って、ワクチン接種の呼びかけであろうと、感染症予防のための外出自粛であろうと、ミサイル防衛の予行演習であろうと、何でも流し込むことができるようになっているんだと思います。
逆に言えば、こういうルートを作れていない人が何を言っても、よそものの不穏な働きかけとみなされて拒絶されてしまうでしょう。
もし外部の人の言うことを信じるとどうなるかというと、空想上の子供たち(アナウンサーや芸人さん)を否定することになりますし、周囲の同類の人たちから仲間はずれにされる恐れを感じることになります。そして、テレビを信じたかつての自分を否定することにもなりますし、いい学校を出ていい会社に就職したら、いい人間になりいい人生になるという基礎的な人生観が否定されたようになります(アナウンサーが間違ったことを言っているなら)。
テレビを信じていれば何の問題もないのに、外部の人の言うことを信じた途端に、これまで経験したことのないほど、無数のややこしい問題が降り掛かってくることになります。楽をしたい、苦しいのが嫌だと思えば、どちらを選ぶべきか明白です。
人々を統制したいと願う人だけが、テレビの権威化に関っていたのなら、ここまでのことは成し遂げられなかったかもしれません。その他の、芸術バカ、芸能バカなど、独自の美学を持って努力した人が、結果として、大衆の統制を願う人に助力してしまったために、こんなに強力な大衆誘導のチャンネルができてしまった、ということではないでしょうか。