市長の議員の一般質問に対する答弁を見ていると、いろいろなことに気がつきます。



① 一礼


全国どこの自治体でも、議場中央の演台に立つと、まず一礼して発言に入ります。

首長であれ議員であれ、議場のおける礼儀として必ず行っています。



今回、はじめて気がついたのですが、石丸市長は中央の演台に立つと一礼もせず、発言に入ります。

見ていて、「野風増(のふうぞ)」そのものの雰囲気です。



どうしてこういう態度に出るのでしょうか。



市長が相対しているのは、市民を代表した議員であり、傍聴席には市民が、今回の動画では、約240名の人が見ていました。

「人の感情は往々にして態度に出る」ことからみると、市長が議員を「完全にバカにしている、見下している、相手にしない」姿としか見えないのは、私だけでしょうか。

市長には、傍聴席の市民や動画を見ている市民の姿を感じることはないのでしょうか。



市民の皆さんも、議会のホームページから入れば、最近の動画が見られますので、見られるといいと思います。どのように感じられますでしょうか。



② 色分け


「反問権」を記述した時にも触れましたが、市長の「市長の意に添う議員(市長派)」と「市長の意に添わない議員(反市長派)」との違いが極端に出ています。



国会中継を見ていても、首相の与党議員の質問に対する答弁と野党議員に対する答弁では、答弁の仕方や雰囲気に違いがありますので、安芸高田市だけに求めるものではありませんが、余りの違いに唖然とします。 



反市長派の議員には、反問権を駆使し、「そこまでするのか」というくらい攻撃し、貶めていきます。



一方で、市長派の議員には、大枠の質問でも市長は忖度して答えます(熊高議員の例)。

時には、「よく読みこんで、ご理解をした」と持ち上げることもします(秋田議員の例)。

議員も心得たもので、市長の自慢したいことに質問をもって行きます(南沢議員のインターンシップの例)。

市長は待ってましたとばかりに、目を輝かせて答弁しています。



市長は、一定の節度を持ってする答弁する必要があるのではないでしょうか。

こんなことを続けて、市長と議会の関係が行くところまで行くと、にっちもさっちも行かなくなることをご存じないのでしょうか。



[中国新聞の記事から]

9月14日付の社会面のトップ記事「コロナ 集骨や対面禁止」の中に、「県内の火葬場の取り扱い状況」の一覧表が載っていますが、安芸高田市は載っておらず、表外に「* 安芸高田市は回答なし」となっています。



市長はいくら中国新聞が気に食わないといっても、市長に関することの情報は提供しないまでも、市民の生活に係る情報まで提供しないのは、いかに言ってもおかしいのではないでしょうか。



市長は、常識的な判断が出来なくなっているのではないでしょうか。