マイ シークレット ライフ -6ページ目

マイ シークレット ライフ

誰も通らなかった愛の新世界

・「THE OTHER SIDE OF THE MOON」  カーディガンズ


・「Delight Slight Light KISS」  松任谷由美


・「Med kroppen met jorden」  Lisa Ekdahl


・「The Herethereafter」  MIRANDA LEE RICHARDS


・「ゆらゆら帝国Ⅲ」  ゆらゆら帝国


・「now in a minute」  Donna Lewis


・「CHUPACABRA」  imani coppola


・BASIA


・レナード・コーエン


・pooka


(・∀・)

 

・「われらの歪んだ英雄」 1992年 韓国


・「私は人魚の歌を聞いた」 1988


・「ブリキの太鼓」 1979 西ドイツ・フランス


・「銀河ヒッチハイク・ガイド」 2005


・「アダプテーション」  ニコラスケイジ主演


・「KYOKO」  村上龍監督


・「アニマトリックス」 2003




�しょぼん

・ひと一番ザウルス似


・植物のほが石ころのほがもっと強し


・ほんとはなんにもやらなくていいんだけれども生きてるあいだの愛嬌ですよ


・ひとみしり赤ちゃん


・名前なんかつけられてあほみたい


・人にどう思われるかは愛じゃないから


・小説プロット「コインふってする旅」


・あなたがたみたいに常識を疑わない人間こそがコドモたちをけがすのさ


・不思議によって助けられ、フシギによって生かされる


・目的設定をホントにやめられたのなら、いますべてに出あえる


・捨て身アート


・肉体労働も結局は合理性の追求じゃあないですか?そんなこととはまったく逆の業に走りたい


・マトリックスを実体験したわけやな


・あやしい者です


・豆乳はスジャータ


・繰り返さない!出て行け!!


・命は燃やしつくすためのもの by布袋


・ロリコンです


・アニメーションの静けさよ


・はやく結果でぇ 俺の結果もやつらの結果も はやく出ぇ







チョキ

・できないかもしれないけど、それをあえてやるんだと発言することは、すごく大切なことなんじゃないかなぁ、と、最近は、よく思うんです。


・「イチロー」でいるときには、強く、美しく、しなやかでいたい。ふだん、持ちあわせているものでないものになれる瞬間なんです。


・いつも、さらに、上を目指している姿勢がある。そういう人に、魅力を感じるんじゃないかなぁ。


・気持ちも、尊敬している人になりきる。いつも、だれかになりきっていました。


・かがやいている人は、だれにも、対等なんじゃないですか。上とか下とかっていう価値観すらない。


・失礼ですけど、魅力のない人って、上から、モノをいってきませんか?


・「教えてあげる」というスタンスでこられると、「この人は限界なんだろうなぁ」と思うんです。


・いままで、いちども、自分のグラブを人にかしたことはない。チームメイトにだって、グラブのなかには手をいれさせない。


・小学生のときのやりかたに戻したら、二六二本の安打を打つことができた。「長年やって、結局、コレかよ・・・・」ちょっとガッカリしましたけどね。


・自分は、自分のことを知っている・・・・本来は、それで充分です。他人やメディアの評価は、プレイには、必要ないはずなんです。



「未来をかえる イチロー262のNextメッセージ」  ぴあ刊  より






ラブラブ!






・オーナー、生意気なことを言うようですが、‘人間3人の友を持て’と言うじゃないですか。原理原則を教えてくれる人、師と仰ぐ人、直言してくれる人。オーナーには直言してくれる人がいないんじゃないですか。みんなオーナーが気持ち良くなる話しかしてこないでしょう。人間偉くなるとそうなるものです


・自分の持っているイメージと違うとすぐ矯正しようとする。こんな上司のもとにいる部下は不幸


・優勝というのは強いか、弱いかで決まるんじゃない。優勝するにふさわしいかどうかで決まる


・感じる人間が勝ちを制する。感じないことは罪であり、鈍感は人間最大の悪


・極秘事項は、どんな親しい友人にもしゃべってはいけない。自分の口から漏らしたことは、必ず広がる


・残酷なヤツほど優しくなれる


・人間的な成長なくして、技術的な進歩なし


・大舞台が選手を育ててくれる。逆に言えば、大きな舞台を経験しないと、飛躍はない



「野村の流儀 人生の教えとなる257の言葉」  野村克也著  ぴあ刊 より





カゼ

・まず、体をゆっくり休めて、野球がやりたくなるまで待ちます。


・相手が変えようとしてくるときに、自分も変わろうとすること、これがいちばんこわいと思います。


・打てない時期にこそ、勇気を持ってなるべくバットから離れるべきです。勇気を持ってバットから離れないと、もっとこわくなるときがあります。そういう時期にどうやって気分転換をするかは、すごく大事なことです。


・「そう思わないようにする」というなら「そう思ってしまっている」ということです。


・人が勘違いしているのは、「太いバットだと、たくさん当たる」と思っていることです。たくさん当たるってことは、ミスショットも多くなりますから。


・確実に当てたいから、細いバット、なんです。スイートスポットは、小さいです。扱いはむずかしいですし、細いバットなのですが、確実にとらえようと思ったら、ぼくの場合は、でっかいバットではだめだと思います。



「夢をつかむ イチロー262のメッセージ」  ぴあ刊  より





ひらめき電球

・桃屋のにんにくみそにあったかごはん うみゃ。<)


・ダンボール


・無能アート


・歯なしに豆乳


・エブリナイト浮気しちょる いまさら罪悪感なぞ


・願望は現在形で


・お金のことはなんとかなる


・布袋ってぶっさいくやなー


・子供らには異様に歓迎されるよになった


・あざみ(あずみ?)のカレーそば うみょ。<)


・Mステ出演が夢


・食卓ハコやねん


・カフェオーレはBossやの


・ひとの思いがすべてをだめに


・三味線てエレキギターやな ほとんど


・バカバカしい日々をあんがぽ


・休日はこじきしてます


・今日の答え






キスマーク

・人間は、皆、等しく、


同じこの地球の上に住んでいます。


しかし、それぞれの人は、皆、


決して、「同じところ」から来た のではありません。



・不毛な砂漠には、あるがままの砂漠として存在意味があるのに。なぜ、どこもかしこも、花が咲いていなきゃ、いけないんだ?そんなのは、生命じゃない。岩だらけの土地だってある。それが星というものである。


・グーゾンビが他人からの受け売りばかりで、人間の中から、「何かが生まれるという事実」すら、信じられないんだね。だから、「誰がそんな事言った?誰に何された?」なんて言うんだで。


・では逆に、ゾンビ独特の嫌味とか陰険さとか、気持ち悪さというのは何によって生まれるかというと「自分の中でグルグルしているだけ」つまりはエネルギーとか考えが、自分の中だけを回っていて、外側に発射されていないのです。なにしろ、他人を批判するときには、それって、そいつは、自分自身のことを言っているのですから。つまりは、自分で言ってしまって、知らないうちに、それが、「自分に突き刺さっている」のです。言えば言うほど、その投稿が、「みじめったらしく」なってゆくのも、口を開くほどに、自分で知らないうちに、自分そのものをズタズタにして、勝手に消耗してゾンビ肉が、崩れていっているからなのです。



「ゾンビ化する人々 人類には4つの種族がいる」  鈴木ほうざん著  無明庵刊 より





叫び

・「言葉」が弟子を打てるのは、弟子が、まだ小悟していない場合のみだ。


・苦しみはそこにあるが、「苦しむ者」は、もういない。痛みや苦しみはあるが、そこから逃げたいとか、それに対して「なぜ、私はこのような目に遭うのだ」といった葛藤をする「精神的苦しみ」というものは、彼らには、もう全く存在しない。しかし、旅人は、木陰の涼しさという「恩恵を受ける立場」にいる。それは、旅人が、その恩恵を「生み出している、原因の次元」には、まだ至っていないという事なのだ。


・木は、旅人が苦しんできた、灼熱の太陽の光そのものを、「自らが覆い茂る力」としているのだ。


・自我が言っているのは、この、「たったの一言」だ。 「私は、ここにいるんだ。この私という存在価値を失いたくない」 その一言が言いたいだけの機能しか、自我は持ち合わせていないのだ。だから、それは「幸福によっても肥大するし、不幸によっても肥大する。


・落ちるところまでおちた人間というのは、「自分が」幸福を手に出来なかった場合は「私はこんなに不幸なのだ」と不幸にまで「自分のだ」というシールを張り、それにしがみつくのである。


・人間には、「二つの方向」に対して感じる「二つの恐怖」がある。ひとつ、それは、「落ちる方向への恐怖」だ。しかし、もうひとつの恐怖とは、「上昇する恐怖」だ。


・何かを知る、わかる、認識するというのは、そこに分離があるということであろう。だとすれば、絶対的な悟り、大悟の徹底というのは、「完全に、何もわからない」ことこそを、その本性そのものとしているという事は、明白な事だからだ。


・その日、自我は「生まれて初めての悲しみ」と共に、消滅していきました。そして、その先には、本当の私(意識)が、待っていたのでした。


・そして変化前は、過去を思い出せば、「私が、あの時、ああ考えた。」「私は、あの時、こう思った。」「私はあの時こう感じた。」と・・・過去のその場面を思い出すと、必ず「私が」となり、過去の現象よりも、やはり「私」が前に出てきてしまうのでした。 しかし、変化後は、過去は思い出されるが、その場面だけが思い出され、その場面を「誰が見ていたのか」、というのは二の次になります。 さらに言えば、それを経験していた当時の自分すらも、その場面の、ごく一部になってしまった、と言えます。


・自我というのは、その最中にあっては、塊(かたまり)のようなものと感じられ、それに向かって、色々なものをくっつけよう、離すまいと試みる、そのベクトルの、動きそれ自体のことのようでした。 その『塊』は、さながら、その塊それ自体が、「自分が存在しているという証拠集めに必死」で、そうやって集めた証拠に、「安定性」を求めているらしい。 そして、その証拠は多ければ多いほど良い、という方向で動いている、という感じでした。


・変化前は、過去の出来事に対して、あきらかに感情をもって思い出せていたのですが、今では、感情が伴わないのが特徴的です。


・石ころが、驚くほど生きている。元気でイキイキしている。石ころは、ユーモラスで、わんぱくだった。 石ころが、『宇宙』だったのです。 私は涙が止まらず、泣き終えているはずなのに、私でない何かが、まだ泣き続けていた。 石ころが、それ自身を通して、「とても満足な状態にあると、とても静かになる。」ということを、私教えてくれたのでした。 石ころは、満足のかたまりでした。それ故に、静かだったのです。でも同時に、わんぱくで元気というものがそこには共存していたのです。 それまでは、静寂を志向すると「静けさ」が来る、と私は思っていました。でもそれは、完全に間違っていました。 人のイメージにおける「静か」は、間違っていたのです。そうではなくて、「満足」に圧倒されてしまうと、「静か」になってしまうのでした。


・君にとって最も美と思えるもの、それは実は『終わり』のはずだ。君は「いかなるものも、終わりに勝る美はない」と明確に確信しているはずだ。君にとっての『美観』とは、幾何学的な、バランスでもなければ、数理的な調和でもなく、何か特定の形状や色彩や運動の中に『美の究極の次元』を求めているわけではないはずだ。


・もしも高次元的な世界、光に満ちた世界にいたままであるなら、決して彼らは自滅願望など持てない。しかし、自我がもたらす心理的な重圧のみが引き金になって生まれる『自滅への志向』こそが、『虚無の次元』に繋がるためには、最も都合がよくて、かつ「効率的」だったのだ。



「虚無の微笑 悟った人たちへの伝言」  EO著 無明庵刊 より




目  



・あなたの思考はそのままでよい。それを無心にする必要はない。というのも、無心になどしようとすれば、無心はよくて、思考は悪いとあなたは、またもや善悪を言い始めるからだ。


・君達がこの世で最低の者であることが出来たら、誰も君達に注目しない。誰も君に何かさせようなどとせっついたりしない。そして君が最低であるとき、君には緊張というものは何もない。もしも君が誰よりも最低で在れば世界一の能無し、宇宙一の塵にも満たない無価値な者でいたならば、君は決して混乱などしない。なぜならば、その時こそ君は本来の本性以外に意識が『出掛けなくなる』からだ。君達は本当に自分が宇宙の塵に過ぎないということを実感したならば、君達は今日にでも静かになるだろう。そして宇宙で最低の塵であることを知ったという、その知った自分を自慢するなどということすらもなく、本当にただの塵として、落ち着くだろう。そして、肝心なことは、宇宙などというスケール以前に、まず、君達は君たちの世界の中でも塵であることだ。宇宙で塵であることは出来ても、人々の中で権威や自己優越性を回復してしまうならば、それでは『最低』ではない。まず身の周りで最低を競いなさい。君の子供より最低でいなさい。君の上司より最低でいなさい。誰よりも最低でいなさい。そして、誰よりも最低でいるということは、誰よりも何も知らなく、何もできなく、何もしないということだ。無論これは内面的な次元での話である。なぜならば、意識とは、そういう性質だからだ。


・『私は列の一番後ろにいる。したがって、誰も私を押したりできない』 by老子


・『希望こそが絶望の原因だ』 そして希望がなければ人は決して絶望しない。あなたがいなければあなたも傷つくまい。何もなければ、何も壊れまい。そうすれば、世の中や宇宙はただ、自然に起きる。出会いも別れも、語ること聞き耳をたてる事。味わう。眺める。ありのままだ。それが宇宙の美しさだよ。ありのままに何も手をつけないことこそ存在への優しさと愛だと感じるがね』


・しかし、どの宇宙人からも、全くコントロールできない民族が存在する。それはそもそも生命に依存していない、いつ死んでもいいような無力で欲のない人達だ。欲があれば、それは必ず利用される。だが、欲のない人たちは利用できない。これが『泥棒は乞食の家には入らない』という禅の鉄則だ。


・宇宙のほとんどすべてが、何事も2つのものに分けられているんだ。その一番大きな原因は、2つに分けないと活動というものは起きないんだよ。


・自然の中に死を恐れて嫌がるようなものは何ひとつない。自然はその半分が死ぬということで支えられている。枯れることを拒む花などない。そんなことになったら、自然は草と花だらけとなり、そうすれば、虫だらけとなり、世界はそれを食べる鳥だらけになってしまう。死ぬことは生きることと全く同じ大切なものだ。


・自然から何かを切り取れば、結局このように、心を労して無理に自然に近づけるための水や土や光への配慮の苦労が絶えない。もともとのままなら、草はひとりでに生え、ひとりでに死ぬ。それが植物にとっての、最も幸せなことだ。もっとも愛ある行為は無為、すなわち余計な事をなさないことだ。


・記憶が過去であり、記憶を寄せ集めた、ただの予想が未来だ。


・飲酒・・・世界を基本から認識しなおすために有益な他のドラッグが合法化されないために、とりあえず仕方なく猿たちが利用するドラッグを飲む行為。ただし、利用者の多くは認識を深める為ではなく、認識を「浅はか」にすることによって苦痛を軽減する目的でこれを摂取する。


・馬鹿・・・馬鹿に思われたくないという動機から馬鹿な行為をする馬鹿は避けられるべきものであり、行為の出来ないほどの無為な馬鹿ならば、それは促進されるべきである。無為は無為自然に至るが、行動主義と能動主義は葛藤だけを生み出すものである。


・進化・・・・自由と同様、この宇宙で一度も起きたためしのない死語。「合理化」や「変化」に一般的には、この進化という用語を乱用するが、それは適切ではないであろう。


・現実・・・銀河系宇宙では一般に現実とは、「限定された世界」とも言われるように、それはなんらの客観性も持たぬ、完全なる主観の産物である。ただし、地球のような低脳な人類の惑星では、集合的な多数決による主観の総体が、まかりまちがって「現実」などと呼ばれることがよくある。知覚器官が似たような生物どうしでは、似たような現実という「夢」を共有することがあるが、それが同一であることは、まずありえない。


・憎しみ・・・外界あるいは自己の内面において、そこで起きている現象の全体ではなく、一部だけを拒絶し、それを叩きのめそうとする事から生まれる感情。ところが実は、他人を憎むのも、自分を憎むのも、そこにはなんらの変わりもない。何であれあなたが『許さない』こと、これが憎しみである。


・愛・・・・私の言う事をきいてくれて、私をご機嫌にしてくれて、私に従ってくれるかぎりは、私はあなたの事をこよなく好きになるでしょう。しかし、私を悩ませたり、私の機嫌を損なうような事をするならば、お前なんか死んでしまえばいいと思うようになるだろう・・・という精神状態のこと。これほどの「深い愛」はない。なぜならば、誰ひとりとして、そこから抜け出すことが出来ないからである。


・宇宙は『存在しようとする意志故に存在する』ということだ。その意志を加速するためなら、宇宙は多様性であれ、娯楽性であれ、苦悩、恐怖、達成欲、なんでも生物にプログラムするさ。存在への意志が宇宙の根拠だ。だが、その根拠の原因はない。ただそうなのだ。しかし、ひとつだけ、その存在の意志には相対的な原因がある。それは、無の領域への恐怖、ないしは、反発力だ。


・あらゆる2分離が創造の根源である。そして、それを合体への葛藤状態におきながらも合体しない距離を維持することで、元素も生物も男女も、惑星と恒星も、なにもかも、分離のままで活動し、回転し、永久に回り続ける。これが輪廻である。それは生まれ変わりの事ではない。やめられない、『終息しない活動自体』を『輪廻』と言うのだ。


・僕が悟った時、まわりのなにもかもが悟っていた。 ということは、言い換えれば、僕が、なんでもない者になった日、まわりも、世界も、宇宙もまた、 『なんでもないもの』になった。


・平凡な、平均的な人格者、社会人に適応しなさい、という最低限のモラルさえも、私に言わせれば、充分に人を狂人にしてしまう。事実、精神病院にいる人達は、その最低の社会人になれないで、苦悩しているのだよ。しかし、その最低限の社会人になることは、それ自体が、ある意味では『ひとりの教育された無害な気違いになれ』と言っているようなものだ。事実、その平均的な社会人という人格者どもが多数決でこの社会を作り上げたのだ。それは合理的ではあるが、何千年もの間、人類の内面の不幸の撲滅に対して、なんらの処置も施さなかった。


・あなたの『単純な存在状態』、そのままがサマーディである。そして、そのサマーディは最終段階では、ただの無だ。 そこまで無になったら、そこから存在へと帰還したときに、丸裸であなたは存在に出会う。そうしたら、万物全部が、光明そのものだったと知る。


・人々が本当に幸福を得たならば、それによって膨大な被害を被る場所があることを、死ぬまで覚えておくがいい。すなわちそれは、社会システム、経済そのものだ。経済も商売も、なんと人間の不幸なしには成立しないのだ。だとしたら、幸福は、それ自体が社会的罪悪なのだ。これはなんという愚かさだろうか。


・『自由こそが』と、口では人々は言うものの、いざその自由を駆使しようとした時には、いわゆる反体制だのという人種がやらかすことは常に「しょせん、体制というものを立てた上での、反動にすぎない」ものだ。すなわち、この時点で既にそれは自由からのものではなく、対立要素への依存がそもそも存在するのである。


・快楽主義というものは、快楽にどんどん麻痺してゆくが故に最後まで欲求不満を増大し続けるものとなる。たちの悪いことに、転生というものがシステムとして現実に存在するが故に、一度の人生で成熟出来なかった欲望は、何千回でもかけて、満たそうとするが、それは決して満たされないように出来ている。


・我々はなんのための自分や宇宙の存在なのか?と問うが、その疑問そのものによってこそ、何とか存在が維持されているとしたら、万物とその法則はすべて『存在の維持と活動』のために作られたのであってそこには何も高尚なる目的などと言うものがなければならない理由はただのひとつもない。もしも、宇宙がなんらかの目的で作られたのならば、宇宙にも、我々にも、そしてあなたの家の台所のゴキブリたちにも、その高尚な目的があってもいいだろう。


・宇宙の次元の記録にあるかぎり、この宇宙存在という皮膜が破れて、その外側の無が入り込み、宇宙がまるで風船がはじけるように一瞬で消え去ったことは何十回とあるという。おそらくその回数は無限回数だろう。 宇宙は、風船のように存在し、ある時、爆発する。そして、一体どこから沸くのか、また、風船ができる。ただ、それが繰り返される。


・寂しさの感情の発生は我々生物の自我の発達と比例している。そして自我発達という今まで知らなかった冒険のおもしろさに釣られて、けっこうたくさんの天体から地球に生まれ変わりを志願した者が、なだれ込んだ時期があったようです。自我なんていうものは噂でしか知らなかった民族は、かなりいるみたいである。そこで、自我とはどんな経験だろう?という事で人間の肉体経験を選択するのであるが、ここでまんまと『いいお客さん』としてハマってしまう。  


・淋しさは自我を前提に発達するとすると、では自我は何によって発達するか?となる。それは意識への圧力の強さである。  1/極端に知覚が敏感な肉体を持つと、外部と自己の「境界」を意識する。2/外側の敵に対して緊張し続けることが発生する。3/他人や外界との誤差の認識が発生する。4/動くことによる肉体の体感的実感が発生する。5/これらにより自分が外部とは仕切られたひとつの個体存在であると認識される。


・感覚の圧迫と、葛藤要素を増やせば、自我がより発達し、自分という自覚意識が生まれ、その結果、あらゆる個体生物は、個体を自己保存しようとする。個体意識のない生物ほど自己保存意志が希薄であるが、個体性を強く自覚すればするほど、そう簡単に、分解したくないという意志が発生する。


・人間に言わせれば「自分は動物になんかなりたくない、いわんや植物になどなりたくない」と言う。だが、逆に植物に言わせれば『動物になるなんざ、とんでもない苦労をわざわざ背負うようなもの』になるのだ。


・世間では、とりあえずは人間のようにしゃべり振舞っても、基本的には、、歩けば犬猫のように歩き、座れば植木のようになり、眠れば石のようになる、ということである。そして死ねば、ただの砂になるわけである。それがTAOである。


・ある時、その弟子が死んだ。さて、天界の門番はこう言った。『君は、もうあと一歩で悟りを得られたはずだ。いっやー、実におしいものだ。ほんと、おしいよな。残念だ。あと一度だけ生まれれば悟れるから戻りなさい』するとその弟子は「今度こそ!」と戻って生まれた。ちなみにこの弟子はこの「今度こそぉ!」を、かれこれ300回繰り返している。


・それでも自殺を躊躇したのは、やってもどうなるか分かっていたからだ。記憶が一部消されてしまう。そうなれば、また次の生では、なんとなく漠然とした嫌悪を生命に持ち、ある日、また同じ結論になって自殺する。それの繰り返しだ。それを見て、宇宙は、『毎度ありー』と言って、私の苦悩をペロリと食う。


・いくら自分では捨てたつもりでも、それはあなたの手にくっついている。執着している「もの」を捨てても、あなたは別のものを拾うことだろう。あなたが捨てなければならないのは、握っている手そのものだ。ダルマの面前で、自分の腕を切り落とした弟子のように


・あなたの葛藤が『行き場がない』という圧縮があってこそ、あなたに爆発が起きる。


・どこかで、「自分は、なんとかなる。」「少しは生きている価値がある」とほんの僅かにでも思考すれば、その心の騒音のせいで、あなたには静寂も光明も100%不可能だ。




「ひきつりながら読む精神世界 【間抜けな宇宙の支配者たち】 」 EO著  無明庵 刊








えっ