老子・荘子 | マイ シークレット ライフ

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誰も通らなかった愛の新世界

・これが道だと説明できるような道は、ほんものの道ではない


・万物を自然の成長にまかせて、みずから手を加えない。手を貸しても見返りを期待しない。功績を立てても鼻にかけない。だから、いつまでもその地位を失わないのである


・聖人というのは、自分から先に立たないので、かえって人から立てられる。自分を度外視してかかるので、かえって人から重んじられるのだという。こう語ったあとで、老子はさらに、「自分を捨ててかかるので、かえって自分を生かすことができるのだ」と、付け加えている。


・理想的な生き方。そういう生き方をしようと思うなら、水のあり方に学べというのである。なぜなら、水は万物に恩恵を与えながら、自分はというと、相手に逆らわないで、人のいやがる低い所に流れていくからだという。


・三十本のヤを一つのコシキにさしこんで車輪をつくる。コシキのなかが空洞になっているからこそ、車輪として機能するのである。粘土をこねて焼き物ををつくる。なかが空っぽだからこそ、物を容れることができるのである。戸口や窓をくりぬいて部屋をつくる。なかが空っぽだからこそ部屋として使えるのである


・大いなる「道」が見失われるようになると、やれ仁だ、やれ義だと、声高に叫ばれるようになる。こざかしい人間の知恵がのさばり出すと、大きな虚偽がはびこるようになる


・才智をひけらかさなければ、人民の生活は安定する。仁義を振り回さなければ、人民は道徳意識をとりもどす。利益の追求に走らなければ、盗みを働く者はいなくなる


・学を絶てば憂いなし


・自分を是としないから、かえって人から認められる。自分を誇示しないから、かえって人から立てられる。自分の功績を誇らないから、かえって人から讃えられる。自分の才能を鼻にかけないから、かえって人から尊ばれる。聖人は、人と争わない。だから、争いをしかける者がいないのである


・天下とは不思議なもので、取ろうとしても取れるものではない。取ろうとすれば、バラバラに崩れ、握ろうとすれば、逃げ去ってしまう


・縮めようとするなら、まず伸ばしてやる。弱めようとするなら、まず強くしてやる。追い出そうとするなら、まず味方に引き入れる。取ろうとするならまず与える


・この上なく大きい四角は、角ばって見えない。この上なく大きい器は、完成するのもまた遅い。この上なく大きい音は、耳で聞きとることができない。この上なく大きい形は目で見ることができない


・相手が幼児のようないたずらをすれば、ともに幼児のようにふるまうがよい。相手が放埓にふるまえば、ともに放埓にふるまい、相手が無謀なふるまいをすれば、ともに無謀なふるまいをするがよい。どこまでも従順にふるまいながら、おのれの徳で相手を包み、相手をおのれに同化させるのである


・生に執着するでもないし、死を忌避するでもない。この世に生を受けたからといって喜ぶでもなく、この世を去るからといって悲しむでもない。ただ、無心に来て、無心に去っていく


・奇人とは、人に奇(こと)なりて天にひとしきものなり


・現代でも、法網にからめとられるのは、いたずらに雑魚や小者のたぐいで、悪い奴ほどよく眠っている傾向がなきにしもあらずだ。 それだけならまだよい。さらに始末が悪いのは、法網をかいくぐったいわゆる「大物」たちが、こんどは一転、口をぬぐって仁義や道を説き出すことである。こうなると世も末ではないか。


・辞退するのもとらわれている証拠


・この世の中で、最大の災厄は足るを知らない心に起因し、最大の罪悪は利益をむさぼる心に起因している


・「道」を体得した聖人というのは、外に出なくても物事を理解し、目で見なくても物事を識別し、作為を弄さなくても成果をあげるのだ


・外に出なくても、天下の動静を知ることができる、窓を開けなくても、天体の理法を知ることができる。遠くに出かければ出かけるほど、いよいよ知識はあやふやになる


・学問を修める者は日ごと知識をふやしていくが、「道」を修める者は日ごとに減らしていく。減らしに減らしていったその果てに、無為の境地に到達する。そこまで到達すれば、どんなことでもできないことはない


・この人生では、なにごとにつけ、減らすことを考えれば、それだけ俗世間から抜け出すことができる。たとえば、交際を減らせば、もめ事から免れる。口数を減らせば、非難を受けることが少なくなる。分別を減らせば、心の疲れが軽くなる。知恵を減らせば、本性を全うできる。減らすことを考えず、ふやすことばかり考えている者は、まったくこの人生をがんじがらめにしているようなものだ


・「道」を体得した聖人というのは、いつも無心であって、民の心をそのままわが心としている


・善であれ不善であれ、そのまま善として受け入れる。だから、いつも善を体現している。信であれ不信であれ、そのまま信として受け入れる。だから、いつも信を体現している


・赤ん坊は、毒虫にも刺されず、猛禽や猛獣にも襲われない。骨は脆く体は柔らかいのに、こぶしは固く握りしめているし、男女の交わりも知らないのに、性器は力強く勃起している。精気が充満している証拠である。一日中泣き叫んでも声がかれないのは、調和がとれている証拠である。調和がとれているのは、「道」と合致しているからだ


・知る者は言わず、言う者は知らず。


・禁令がふえればふえるほど人民は貧しくなり、技術が進めば進むほど社会は乱れていく。人間の知恵が増せば増すほど不幸な事件が絶えず、法令が整えば整うほど犯罪者がふえていく


・無為の政治を行なえば、人民はなんの気がねもなくのんびり暮らすことができる。苛酷な政治を行なえば、人民は裏をかいてずるがしこく立ちまわる


・いかなる困難も容易なことから生じ、いかなる大事も些細なことから始まる


・「道」を体得した聖人は、初めから大事を成し遂げようとしない。だから成し遂げることができるのだ


・勝つことの名人は、力ずくの対決に走らない。人使いの名人は、相手の下手に出る


・こちらからは積極的に仕掛けないで、相手が仕掛けてくるのを待つ。進んで戦うよりも、退いて守りを固める


・知っているのに知らないふりをする。これが最高のあり方だ。知りもしないのに知ったかぶりをする。これは重大な欠点だ


・同じ勇気でも、前へ進む勇気はわが身を滅ぼし、後ろへ退く勇気はわが身を生かす


・天の道は、戦わないで勝利を収め、命令しないでも服従され、呼び寄せなくても向こうからやって来、のんびり構えていながら深い謀を秘めている


・柔らかいものや弱いものは堅いものや強いものよりもまさっている、というのが老子の認識であった。なぜなら、柔らかいものや弱いもののほうに、むしろ、いきいきとした活力が宿されているからだという。それを語っているのが、この「堅強は死の仲間、柔弱は生の仲間」ということばである。


・人間の体は生きているうちは柔らかいが、死ねばこわばって堅くなる。草木も生きているうちは柔らかいが、死ねば枯れて堅くなる。軍にしても、強い軍は敗れるし、木にしても、強い木は折れてしまう


・この世の中で、水ほど弱いものはない。そのくせ、強いものにうち勝つこと、水にまさるものはない」そして、「その理由は、水が弱さに徹しているからだ」


・価値のないものを賭けると、余裕をもって勝負することができる。だが、少し価値のあるものを賭けると、とたんに心がぐらつき、さらに黄金のようなものを賭けると、まったく平常心が失われてしまう。惜しいと思う気持ちが生じてくるから、心が乱れるのである


・「直木」は、まっすぐな木。よい木材がとれるので、まっ先に伐り倒されてしまう。同じように、おいしい水の出る井戸も、まっ先に飲み尽くされてしまう。人間もそれと同じこと。なまじ能力があると、その能力ゆえに使い潰されてしまうのだという。流行の言い方をすれば、使い捨てである。だから、不幸にして能力に恵まれているなら、なるべくそれを包み隠して、人に見せないようにせよ


・君子のつきあいというのは水のように淡々としているが、小人のつきあいは甘酒のようにべたべたしている


・なぜ水のように淡々とした交わりがよしとされるのか。言うまでもなく、そのほうが長続きするし、味わいも深いからである。これに対し、甘酒のようにべたべたしたつきあいは、すぐにあきがきて、長続きしない。


・器量のいいほうは、なにかというと器量を自慢するので、それが鼻についてなりません。もう一人のほうは自分の不器量を恥じて、何事も控え目にしているので、こちらもその心根がいじらしくなって、顔かたちのことなど忘れてしまうのです


・最高の礼は、他人だということを意識しない。最高の義は、対象を差別しない。最高の知は謀をめぐらさない。最高の仁は、親愛の情を見せない。最高の信は、証文を必要としない


・為政者は、盗みをはたらくな、人を殺してはならぬ、と偉そうな教えをたれている。だが、貴賎の差別をもうけたとたんに苦しみが始まり、財貨を重んじたとたんに争いが起こる。苦しみや争いのタネをつくっておいて、あくせくと人々を駆り立てているのが、今の政治だ。これでは、おまえさんのような罪人が出るのも、あたりまえの話ではないか。たしかに、争いのタネをつくっておいて法網を密にすれば、罪人ばかりふえるのは道理である。根本を正さなければ、悪循環の尽きるときはない


・力が足りなかったら、ごまかすようになる。知が足りなかったら、だますようになる。財が足りなかったら、盗みを働くようになる


・あの方は、私を理解してくれたわけではない。人から言われて食糧をとどけさせたのだ。事情が変わって、私を罪に陥れるときでも、やはり人のことばに動かされてそうするにちがいない、というのだ。主体性のない相手は信用できない


・恥知らずな奴が金持になり、口の達者な奴が偉くなる。金持になったり偉くなったりするのは、ほとんど恥知らずで口の達者な連中だ


・人間が窮地に立たされる原因となるものが八つ、逆に、栄達の条件となるものが三つあるのだという。 まず、窮地に立たされる原因であるが、それは、次の八項目である。 1)姿が美しいこと (美)、 2)立派なひげをたくわえていること (髯)、  3)上背があること (長)、  4)恰幅がよいこと (大)、 5)威勢がよいこと (壮)、

6)はなばなしいこと (麗)  7)勇気があること (勇)  8)決断力に富んでいること (敢)   この八項目は、ふつうは美点や長所とみなされているが、そのためにかえって窮地に立たされることが多いのだという。  また、栄達を保証する三つの条件とは、次のようなものである。  一、自分に固執しないで相手の意向に従っていくこと。  二、対象世界に調子を合わせて無理をしないこと。  三、臆病者の精神に徹し慎重を旨とすること。  





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