効率(要領)よく生きたい事と自分に自由でいたい事 | のんびりと。ゆったりと。

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統合失調症の回復が長年の課題ですが、なんとなくいい感じになりそうな気がしています。
自分の気づきで幸せな世の中になるように願っています。
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自分の人生や性格を振り返って思うことですが、いつのまにか「自分に自由でいたい」から「効率(要領)よく生きたい事=目標の早期達成」へと行動パターンが変化していました。


高校生の時に楽器(ウッドベース:コントラバス)を始めて大学卒業までの6年間は、自分の劣等感(生育環境によるもの)から解放されて「音楽においては自由でいられる感覚」を感じていました。

いざ、このまま音楽で生活していくのか?と考えると

①「嫌な仕事(自分のやりたくない傾向の音楽)」を収入の柱にしないといけない

②自由な練習環境を自分で整えるほど音楽で収入を得るのは難しい

ということにより

「大学を出て会社員になることを経験してみる」を選択しました。

理由の一つは父親が家庭環境により(昭和30年代当時信じられていた)「良い大学を出て、良い会社に就職して安定した生活を過ごす」ということが出来なかったので、会社員になってみたかったのです。

※大学では全く勉強せずに楽器(コントラバス、エレキベース)ばかり弾いていたので学業成績はすこぶる悪く、大企業は採用してもらえそうになかったので「どこでもいいから面白そうなところ」という基準で特許をたくさん持っていて、業界トップシェアの中小企業に就職しました。


昭和のモーレツ社員(死語)をやってみて、働いても「搾取されている」と感じて経営者になろうと考え、父親の商売(屋台のラーメン屋)を発展させれば「お金持ち」になれるのでは?と思いました。

時を同じくして好きな女性が進行性のガンにかかり、その人に自分のカッコいいところを見せたいという虚栄心もありました。

※それが後の統合失調症発病の一因であると思います。


独立開業前にチェーン店のラーメン屋さんで修行している頃「効率的に動くこと」が非常に要求されました。

1日に多い日で1000人の来客のあるお店で必要人員の7割で運営する状態でした。(後に聞いた経営者の考え:少ない人間が必死で働いているのを見るとお客さんは活気があると感じるので、従業員の苦しみは店のアクセサリーとなる!)

仕事に追われて何も考えられなくなっていったのを思い出します。(1ケ月あたり300時間労働でした。)

※母親から「昔の〇〇(私の呼び名)から人間性や魅力がなくなった」と言われていました。


統合失調症発病前に自分の内面と深く関わることがあって自分の本質は「ともにいるやすらぎ」であることには到達したのですが、発病後の人生の目標は「統合失調症からの解放」となり、「効率(要領)よく生きたい事=短期間での目標達成」を優先して「自分に自由でいたいこと」をないがしろにしてしまいました。


障害を抱えながら働いて、老化により身体が仕事環境に適応できなくなったり、両親の生活の見守りをしたいことより退職(引退)して市営住宅での生活へとシフトしました。

一応、働けて(一般就労は無理だと言われていました)、統合失調症も寛解したことにより同病の親族が苦しんできた「統合失調症からの解放」はひと段落したのですが、「自分に自由でいたいこと」からは現実に引き戻されることが、ちょくちょくあります。

①味へのこだわり

②ミスを起こさないための事前の準備へのこだわり

③自分のどうでもいいプライドがものごとを真っ直ぐに見ることを阻害する

など、反省することは起きます。(後悔はしない性格ですが…)


今、なりたい自分は「何も考えずに自由に音楽をすること」です。

楽器を触ると無駄な先入観が出てきて、心の中から溢れ出す音楽が表現できてない自分を見つめることになり、楽器から離れがちとなります…

※ハプニングを楽しめていない感じがあります。


今の安心できる日常生活のように、複雑なことは考えずに単純なことに立ち戻って音楽を楽しみたいと思います。


まぁなるようになるや、とのんびりしています。

基本的に私はものぐさなので。