27日の午前中から作業スタート。

 

今日は、前面パネルの下半分の後ろにくるサブパネルの切り出しをしました。

 

 

過去付いてたサブパネルと新たに切り出したものを並べてみました。

 

写真内の下側が過去のものです。ロッカースイッチを固定するためのネジ穴が各2カ所。そしてスイッチの逃がし穴。

結構、加工に苦労されているのが分かります。

 

 

 

上側が今朝がた、同じ寸法に切り出して、前面パネル取り付け用のネジ穴を6個明けた状態です。前面パネルとくっつけてロッカースイッチ用の角穴を鉛筆で描いてみました。この形で逃がし穴を明けます。

 

 

 

 

ロッカースイッチは真中の両側に、機構部品が付いて少し出っ張っています。この逃がし穴もあける必要があります。

 

このサブパネルの加工は明日にします。

 

 

元々のこのプリアンプの背面にはG端子が付いていました。この端子はプレーヤーから来たアース線を接続するためのものです。

但し、G端子を独立して取り付けるスペースが背面になくて、RCA端子の4個の取付穴のうちの1か所に、ネジの替わりに取りつけられていました。

 

RCA端子の黒ベークの板が邪魔して、取り付けられないのなら、ベークとシャーシに穴を明ければいいのです。

アマチュアの方はスペースがないと判断した時点で諦めてしまいがちですが、工夫してみればいいと思います。

 

 

今日も蒸し暑かったですね。16:00で終らせてシャワーを浴びました。

 

以降の作業は、ロッカースイッチ取付けのための加工。インスタントレタリング入れ。

 

ケース上蓋の塗装(これ大変ですが)。実体配線図作成、配線開始です。

 

また報告します。

 

 

 

日曜日の24日。18時台の飛行機で四国へ出発でした。

 

午前中から14:00頃迄、猛暑の中、加工をしました。

 

ポットに氷水を満タンに注いで準備。

 

この日は前面パネルのロッカースイッチの角穴を修正しました。入手した際に加工はされていましたが、少し曲がっていたり、加工面がきれいな直線でなかったりで、6個の穴を薄いヤスリで微調整しました。

 

何も手を加えずそのままでアンプを作るのは、気分的にいやなのです。

 

最終製作者は結局自分になりますから、この不完全な部分も自分の成果だとみなされてしまうのが嫌なのです。

 

 

 

 

写真でみると、それなりに見えますが、実物はさほどきれいではありません。アップでみるとよく分かります。

 目標は金型で打ち抜いたような仕上りですが、とてもそのレベルではありません。ただ手を付けないままよりはマシかなと。

いいように取ればアマチュアのほほえましい手仕事でしょうか。

 

MCトランスケースのRCA端子窓の穴も整えました。

 

ピンぼけで失礼。穴の微調整拡大は、丸ヤスリで行いましたが、みためきれいな円になりません。こういう時は最後の仕上げに、リーマを使って、くるりと円にするのです。

 

 

これが限界です。最終的にはケースの中で隠れてしまいますが、ここまでで良しとします。

 

ここまでで、汗がだらだら、頭皮から、首から、背中、脇の下から流れ出ます。水分をとろうとポットを手に取り、冷水をごくごく流し込みます。

 

いったん休憩で家に入ります。家族がシャツの上から肌が見えてる、まあ乳首まで透けて見えてるというので、私が若い女性のグラビアでこんな×××と言ったところで、軽蔑の言葉が返ってきて会話は終了。

 

このままでは昼食もとれません。かと言ってシャワーを浴びても、まだ作業が残っているので、すぐ汗もかくし、結局作業を完了させて昼食をとることにして、再度外に出ました。

 

板シャーシの加工です。1.2ミリ厚みですから、苦労することなく穴は簡単に明きます。

 

 

これらの穴加工は35分で完了しました。最近は加工時間が気になり、よく時計を見ながら進めます。

 

加工前にこの作業は40分でやってしまおうとか、目標設定をするのです。それがよく当たります。±5分で終ります。

 

作業で重要なのは段取りです。工具を準備して並べる。穴は穴径ごとに、連続加工をする。Φ3ならそればかりを明けて、次はΦ4の穴を連続して明ける。シャーシパンチで明ける穴には、シャフト軸の穴をΦ12までリーマで広げる。これも連続して進める。

次はシャーシパンチでやはり連続して大きな穴を明けていく。大きなドリル刃を使ってのバリ取りも連続作業です。

 

何パターンかの作業を、連続で進めていく、これが効率的です。

加工中もイメージして進めます。あと何個、次の作業は○○だ、必要な工具はこれとこれ。穴を明けながらも確認作業をしていきます。正しい位置に明いているか、ソケットを当てがってきれいに収まるか。

 

しんどいななどと考える前に、やるべきこと、流れ、確認などを実施していると、そんなことを考える暇さえなくなってきます。そのうちゴールが見えてくると気持ちもさらに前向きになります。

 

結果手直しが少なく仕上がると満足感を感じるものです。

 

 この日はここまで。出張から帰ったらまた、水曜日あたりから加工再開です。

 

 

 

 

家内と長崎に行った。

 

ずっと行かなければと思っていたが、なかなかその気になれなかったけど。

 

原爆平和公園と資料館をこの年齢になって初めて訪れた。

 

 父が16年前に亡くなったときに、棺に被爆者手帳を入れた。手帳には「爆心地から1.9Kmの地点で被爆」と書いてあった。

 

原爆資料館に行ったときに、生々しい被爆者の様子、写真が展示してあった。息をのむ、これが本当に人の姿なのかと、重苦しい気持ちになる。

 

家内と黙ってそれらに見入っていた。館内には外国人も多かった。おそらくアメリカ人だと思しき家族もいた。

 

若い10代の息子さんが、いささか飽きたのだろうか、落ち着かない様子で、もう展示物を見ていなかった。でも父親たちは黙って展示物を見ていた。もちろん英語の説明文章もあったので、リアルさは十分伝わっていたと思う。

 

80年前のあの日、父は16歳。長崎市から北の方の訓練場で、学徒動員として鉄砲の弾を磨いたりの訓練を受けていた。

 

昼頃に教官が市内に大きな爆弾が落ちたらしい。今日はこれで訓練終了、全員帰宅するようにとの命令が出た。

 

 何がなんだか分からず、不安にかられながら、一生懸命自宅を目指して走った父。

 

 途中から、川の中にたくさんの黒焦げの人々が浸かり、中にはまだ生きていてうめき声をあげている様相。

 

 水をください。絞り出すような、弱った声があちこちから聞こえて。ますます不安と恐怖にかられた父が帰宅してみたものは。

 

 朝、行ってらっしゃいと見送ってくれた、母親や幼い妹たちが黒焦げになって、形も顔もわからず横たわっている状況。

 

 思えば16歳でこんな経験をした父が、毎年の原爆の日に大人になっても嗚咽していた理由が痛いほど分かった。

 

父の父親、弟の2人は造船所にいて直接熱線を浴びることはなく助かったのでした。

 

 「爆心地から1.9Kmで被爆」の意味が分かりました。自宅のあった場所なのです。自宅で二次被爆。

 

 父からは原爆の話を直接聞いたことはありませんでした。原爆の熱線は数千℃まで達したと聞きます。生き物が原型をとどめるわけがないのです。目玉が飛び出たり、顔がなくなったり、体が曲がるのも、皮膚がただれて剥がれるのも無理はありません。

 

 資料館の説明で、原爆使用の許可を出したルーズベルト大統領、トルーマン大統領。

 

「戦争を早く終わらせるのが目的でその判断は正しかった」現在でも投下の是非を問われてその答えを繰り返しています。

 

父は言っていました。「被爆者とは見せしめじゃ」

 

私は違う意味でとらえています。「被爆者とはモルモットだ」

 

 現在も核兵器は世界に12,241発存在しています。その90%は米国とロシアが保有しています。これらを全部投下したら、何千回も地球を破壊できるそうです。

 

 日本の中でも、「生意気な中国を抑え込むためにも、日本も核武装すべきだ」という意見の方がいます。これだけ沢山の核兵器が存在していて、日本がいくつか保有したところで何の効果があるのでしょう。

 

 勇ましいことを言う方は、一度広島、長崎の資料館に行ってみて欲しいのです。人が人として、生き物として扱われないおぞましい様子が分かります。自分の家族、友人、大事な人たちが、そして自分自身がその被害にあったらどうなるのかを知ってほしいのです。

 

 現在も戦争をしている国があります。長引けば長引くほど、死者がたくさん出ます。どちらかが降伏するまで続けたとしても、多くの人が命を落とすことになります。もちろん築き上げてきた文明、文化がことごとく破壊されていきます。

 

 正しい行動は戦争を直ちにやめることです。赤勝て、白勝てではないでしょう。

 そんなことよりも人類はほかに取り組むべき重要なことがあります。

 

 今のままでは人類は、近いうちに滅亡すると言われています。

 

滅亡の原因は、

1.大規模天変地異 (地殻変動、大雨、洪水)

2.飢餓飢饉 (食料の枯渇)

3.疫病の流行 (ペスト、コロナなど)

4.紛争(殺し合い)

 

早ければ数十年で人類は滅ぶという説もありますし、数百年のうちには滅んでしまう、という説もあります。

 

どうなんでしょうか。核兵器?殺し合い? 人類はそんなことをしている場合ではないと思います。

 

大規模天変地異で被災した国の人々をどこの国が受け入れるのか、飢饉のときの食料配分を国際レベルで協議しておくなど、人類は協力して存続のために協議しておくべきだと考えるのです。

 

場合によっては、好き嫌いにかかわらず、大規模地震が起きて日本人が領土を捨てて、中国に頭を下げて大陸に住まわせてもらう可能性だってなくはないのですから。