実装図を描こうとすると家族が、あなたは不健康だから都府楼政庁跡まで散歩にいくよ、と言い始める。

 

ここで断って、いや俺は作業をすると主張するとそのあとは険悪な雰囲気になることが分かっているので。

 

どうせ小一時間じゃないと言うので、分かった行こうと。

 

都府楼政庁跡というのは西暦500年とか、大化の改新のころから地方にあって政治を行っていた建物があった場所です。

 

菅原道真さんは800年代に京都で藤原の時平だかの策略で太宰府に左遷され、幽閉されていたそうです。政庁跡とは関係が無いようです。

 

政庁跡は家から歩いて20分で行けるところです。今は何も残っていなくて、だだっぴろい広場です。今日は花見客が大勢きてシートを広げて食事をしていました。少子化で子供が減っていると言われていますが、ここだけ見てると子供が多いという印象です。

 

政庁跡の奥のかどっこに、坂本神社があります。令和に元号が変わった時に、太宰府に関わる何かの書物に(詳しくなくてすみません)令という字と和という字がその中にあったということで、坂本神社は令和の里と言われているそうです。

 

こじつけみたいな気がするのですが。

 

 ちなみに、道真公が神様になったのは、幽閉されていたけど、近くにある天拝山という小高い山に登って、頂上で

 

「私は無実だ」と叫んだ瞬間に落雷に打たれ,その時に神様になったという説があります。

 

 これは恐らく作り話でしょう。本当のところは彼が無くなって都では天変地異がおこり、たくさんの人々が亡くなったので、これはおそらく道真公の怨霊が祟ったのではないかという噂が広まりました。

 

九州では神様ですが、東のほうでは怨霊と呼ばれていましたから。

 

 祟りを鎮めるために、没後10年から20年で、道真公を祀って神様にしたという話しがあります。

 

ええとなんでしたっけ、そうでした帰宅して、基板の実装図の作成に取り組みました。

 

 推敲3回目が下の図です。

 

 

ごちゃごちゃしています。これからさらに、もう一度推敲します。

 

ハトメラグ端子の位置を縦横に揃えます。さらにパーツの位置を縦横方向に変化させたほうが良い箇所を捜します。

 

絵と実態は違います。端子位置を決めても、配線の段になるとパーツを少しずつ動かして、見た目を整えます。

 

 明日のうちに、前面パネル側の基板も実装図を考えて、ハトメラグを打とうと思います。