ブラタモリで放送されたときから

ずっと行きたいと思っていた新潟長岡


やっと日程調整出来て
ちょっくら行ってまいりましたので
その時の健忘録を記します





花火夜の長岡


仕事終わりの夜
新幹線に飛び乗り長岡に到着
もう少しのんびりしている街かと思いきや
到着が夜だったからかも知れないのですが
繁華街って感じで
想像していた駅とはちょっと違いました。

早速ブラタモリでも放送されていた
正三尺玉・二尺玉打揚筒と
長岡城本丸跡を観に大手口へ
本丸跡は本当に標柱があるだけでしたが
大正時代に製作された打揚筒は
堂々とそこに佇んでいました。
約74年もの長きに渡り現役で空を彩り
役目を終えた今、
花火文化および鉄工業遺産として
駅を行き交う現代の人々を
どんな気持ちで見ているのでしょうか




ちなみに
長岡城二の丸跡の標柱は
アオーレ長岡敷地内にある
城内稲荷神社の片隅にありましたが
これもあるだけで
名残というものはほとんどありませんでした。

私が写真を撮っていても
標柱近くに腰掛けて
微動だにしないサラリーマンを見て
私もこれくらい心臓に毛が生えていたら
気が楽なのにな〜と思ったのですが
私も彼を気にせず写真を撮っていましたので
どっちもどっちですかね笑





花火感動したホテル

出張とかでたくさんのホテルに泊まるので
それぞれ良いことも悪いこともありますが
今回泊まったホテルは
余計な私語もなく
自然な笑顔で対応されていて
受け答えもはっきりとした口調だし
本当に素晴らしかったです

私が感じているだけなのかもしれませんが
誰かがちょっと質問したり指摘したりすると
面倒くさい客が来たな〜
みたいな顔をする若いホテルマンが
増えているように思うんです。
だけど仕事だから笑ってますよ〜的なね

客だって気付きますよ
あ〜あの人面倒くさがられてんな〜とかね

だけどこちらで出会ったホテルの方々は

久しぶりに気持ちが良かったです
フロントの方も食事担当の方も
全ての対応が気持ちよかったです
そして
口コミ通り朝食が本当に美味しかった!
美味しすぎて食べすぎてしまったのだけれど
本当はもっと食べたかったです!

大浴場もとてもキレイにしていたし
脱衣場のロッカーは鍵付きだし…

でもまぁ
そんなことより
やっぱり接客態度が満点なんだろうな〜

全ての接客業を目指す人は
一回ここで研修した方が良いってくらい
大袈裟ではなく本当に良かった

こんなブログで

名前を出さない方が良いのかも知れないし

他の観光客でごった返しても嫌なので
本当は紹介したくないのだけれど
今回泊まったホテルはこちらです↓↓↓

ホテル法華クラブ新潟長岡
ホテル法華クラブ



また長岡に行くことがあったら
絶対またここに泊まります!





花火長岡戦災資料館


混雑が嫌なので開館直後に行ったのですが
既に修学旅行の生徒たちに占領されていました。
案内をお待ち下さいと言われたけれど
一向に案内されないし

一部の展示品前で

延々と説明を受けていた生徒たちは

当たり前ですがそこから一向に動かないし


…ってことで

その周辺の展示品をちゃんと観ることは

叶いませんでした


若い修学旅行生も大事だと思いますが
一般の観光客にも優しい案内にしてほしいなぁと
一般観光客は思いましたよ!
なので、
大して滞在はしていません。
"長岡戦災資料館"とありますが
"長岡の"というより

戦争の記録って感じでした






花火山本五十六生家


資料館を早めに切り上げたお陰で
10:00前に着いてしまったのですが
開いていたのでお邪魔しました。
ありがとう、山本記念公園!
時間を無駄にせず済みました。

防犯カメラはあるようですが無人で
他の観光客もいなかったので
こちらはひとりでゆっくり
生家を観ることができました

五十六の勉強部屋とされている
二畳の部屋の窓際に置かれた
小さな座卓前に座って
小さな五十六の気持ちになってみたのですが
よく考えたら実際の生家は
今の位置ではなく
銅像のある北側だったんですよね

生家には
この銅像を作ったときの
石膏の型が展示されているのですが
大きすぎて
一瞬ぎょっとしました

この石膏の型は
なんの型なのかというと
霞ヶ浦海軍航空隊内に建てられていた
五十六のコンクリート像の型を
取ったときものなんです

なぜ胸像かというと
敗戦後
米軍によって壊されることを恐れた人々が
もとは3.6mの
コンクリート像であった五十六の像を
上下二つに切って
霞ヶ浦に沈めたからなんですね〜

後年
引き揚げられたのは上半分の胸像のみでしたが
長年発見されなかった下半分も
2002年にやっと発見されたそうです。






花火明治公園


明治公園には
令和5年2月に閉館してしまった市立互尊文庫と
長岡空襲爆撃中心点の碑があります
1945年(昭和20年)6月
米軍は8月1日の長岡空襲に向け
6月には長岡を空撮しリト・モザイクを作成
これに沿って
現明治公園を中心に焼夷弾を投下したのです
長岡空襲は計画的な空襲だった
ということなのでしょう…

爆撃中心と高野家は目と鼻の先なので
長岡に空襲が襲った原因が
五十六の出生地だったから説が出てくるのも
頷ける近さです。

一応
公に言われているのは
単純に日本の主要都市への空襲計画による
空襲の順番が来たから爆撃しただけってやつ。

空襲計画作成の際
米軍がピックアップした180都市のうち
新潟市内の爆撃の順番は以下の通りでした。

新潟市32番
長岡市73番
三条市135番
旧高田市168番
柏崎市172番

しかし
原爆投下計画の都市に
新潟市が選定されていたために除外され
長岡市が繰り上がったとされているのです

互尊文庫が閉館してしまった明治公園は
人っ子一人おらず
鳥のさえずりくらいしかきこえてきません。

空襲直後の長岡は
どんなだったのでしょうか

平和な世で感じたこの静寂の中

そんなことを思いながら

シャッターを押しました







花火山本五十六記念館


こちらも一番乗りで入館したのですが
半分以上回ったところで
例の修学旅行生がゾロゾロ入ってきてゲンナリ
館長さんにひとつ質問したところで
彼らというか
引率の男性の先生に遮られてしまったので
記念館をあとにしました。

で!

電話がかかってきたので

記念館の外で話していたら

早々に彼らが出てきたんです!
そんなに早く出てきて
ちゃんと修学してんのかよと思いながらも
彼らを通すべく端っこに避けたら
その中の男子学生が
「なんでここにもいるんだよ〜」
と言っているのが聞こえました。
私に言っているとしか思えない発言に
少しイラッとしていると
周りに気を配る余裕もなさそうな
引率の若い女性の先生が頑張っていたので
許すことにしました。
でも一言
そのセリフ
そっくりそのままお返しします!



…ふぅ
ちょっと毒を吐き出しすぎちゃったので
記念館についてちょっとだけ触れますと…



五十六の達筆な手紙や
ベンジャミン・フランクリンを尊敬していた
中学時代の五十六少年が
勉学ノートに「不乱苦林」と
名前をつけていたという実際のノートなど
見どころはたくさんありますが
なんせ平屋ですので
そこまで広くはありません。
広くはありませんが
ど真ん中に
一番の展示品がありました。

それは左翼

1943年(昭和18年)4月
五十六の乗った搭乗機は
ブーゲンビル島(パプアニューギニア)で
米軍から攻撃され墜落、
乗員11名全員が戦死していますが
そのときの搭乗機の左翼と座席の実物が
ここには展示されているのです。
最後の方で紹介する「如是蔵博物館」にも
機体の一部が保存されていますが
やはり実物というのは
身が引き締まります。





花火柿川

ブラタモリで寄ってた柿川は
かつての舟運の痕跡ですが
当時を思わせるようなものは
何も残されていません。

「渡里町河渡」という案内板がある場所は
タモさんたちが歩いた付近より
上流側に位置する渡里橋付近にあり
一応そっちにも行ってきました。

案内板には
渡里町は川船の乗客・物資が輻輳する
船継場所・旅籠町であり
長岡城下でとても賑わった繁華街だったと
記されていました。

今は静かな柿川ですが
沢山の人々が往来していたんでしょう

そして
長岡空襲時には
火から逃れるために飛び込んだ人々が
大勢亡くなった場所でもあります。

時代時代のそんな風景を想像しながら

暫し柿川を見つめていました







花火水道公園


こちらには登録有形文化財があるとのことで
てくてく歩いて行ってまいりました。
・旧中島配水塔(水道タンク)
・水道ポンプ棟
 ・監視室棟
 ・配水ポンプ棟
 ・自家発電棟
・旧中島取水塔
そして
・長岡市水道発祥の地碑も建てられていました

水道タンクは平成10年9月に
水道ポンプ棟は平成25年12月に
国の登録有形文化財に登録されたんだそうで
とても重厚感のある建物で
所々にアールデコを感じました。

給水に必要な圧力を生み出すために
長岡市は昭和初期に
あんなに背の高い水道タンクを作り
長岡空襲で壊れることなく残り
それを今も補修しながら保っている。

本当
ありがたいなぁと思います。
残してくれてありがとう!

そして
長岡空襲直後は
駅からこの水道タンクまで
遮るものがなにもなかったとも言われており
戦争の恐ろしさを痛感しました。

私的には
トイレ兼展望台となっている小高い山から
旧中島取水塔を望む景色が
一番心に残りました。

反対側を向けば
長岡市街を見守るような水道タンク
風も気持ちよくて
暫くのんびり佇んでいました








花火平潟神社


ブラタモリでも取り上げていた平潟神社
不死鳥のように蘇る平潟神社は
私に力を分けてくれているように感じました

1894年(明治27年)
→火災で社殿焼失 
1945年(昭和20年)
→長岡空襲により再び全焼
1979年(昭和54年)
→社殿を災害に強いRC造に新築
2004年(平成16年)
→中越地震により地盤沈下が発生
 鳥居や建造物が倒損壊

現在の立派な鳥居は
その後に新築された青銅製の鳥居で
2005年(平成17年)建立とありました

境内には
番組でも取り上げられていましたが
長岡空襲時の焼け焦げが残る忠烈靖献之碑や
中越地震の被災跡として
折れた鳥居の根元が残されていました。

平潟神社では防空壕があるため
多くの人々が避難していましたが
そこに焼夷弾が直撃してしまい
空襲で死者が集中してしまったという
辛く悲しい過去があります。
境内(平潟公園内?)には

長岡空襲犠牲者慰霊塔もありました






花火越乃雪本舗 大和屋 本店


安永7年(1778年)より
創業240年の歴史を持つ大和屋本店は
伝統的な表構えをもつ商家として
登録有形文化財に登録されています

こちらもブラタモリで初めて知りましたが
日本三大銘菓である「越乃雪」は
創業時より変わらない形と味を守っているのだとか。

明治天皇も巡幸の際に召し上がった「越乃雪」
原材料である和三盆糖が
店内に保管されている壺に入れられて
柿川を流れ運ばれていたのかと想像すると
なんとも味わい深い

高杉晋作が末期の雪見として
お見舞いにくれた「越乃雪」を
松の盆栽にふりかけて
雪見の名残をやったとされていますが
どんな感じだったのでしょうか
松には被らない様な気もしますが
土が積雪したときのように

白くはなるかも知れませんね






花火如是蔵博物館


いやはや素晴らしい知識量
こちらの女性スタッフの知識量は半端ない
自分の知っているわずかな知識を絞り出しながら
彼女と会話しましたが
もっと勉強してから来れば
もっと有意義な時間を過ごせたんじゃないかと
ちょっと後悔しました。

私のときは結局90分くらいいたのかな?
予想を超える長時間滞在でしたが
本当にとっても勉強になったし
とても愉しかったです

こちらは事前に電話で予約が必要ですが
ちゃんと学びたい人にとっては
とても有意義な時間を過ごせる博物館であることは
間違いないと思います。
展示内容や彼女の説明内容は
ここでは割愛しますが
ぜひ時間に余裕を持って
実際に訪問して

自分の目で耳で感じてほしいです

全身全霊で教えてくださいます







花火模擬原子爆弾投下地点の碑


いやぁ〜遠い!!!
長岡市さん!バスを出してほしいです!
一生懸命探したのですが
ここまでの交通手段がないのです。
車であればすっと来れますが
ここに来るためだけに
レンタカーを借りるのもなんだかなぁだし
タクシーでってものなんかなぁ〜
と思ったので

このときは宮内駅から

30分弱歩いて向かいました。


ただ碑が建っているだけですが
どうしてもここに行きたかったんです。

ここは
1945年7月20日に
米軍が原爆の訓練として
投下した模擬原爆の投下地点です。

訓練だったからと言って
死傷者が出なかったわけではなく
住宅なども被害にあっています。

なぜ
模擬原爆投下が長岡で
原爆投下が広島、長崎だったのか

私は
どうしてもこの地に立ちたかった
ただそれだけのために
往復70分歩きました!!

そう
宮内駅に戻った方が
長岡駅に行くより徒歩で10分は短縮できるのですが
行きと同じ道を通って帰るのがつまらなさ過ぎて
その時の私は長岡駅まで歩くか!
となってしまったんですねぇ

でもまぁ案の定
旅の終盤の私の足はもう
悲鳴をあげまくっていましたので
途中で休憩がてら甘味をいただいてから
長岡へ戻りました。






花火おまけ


散策していて気になったのは

長岡市内の道路が

鉄錆色(赤錆)になっていたこと

街中が敷鉄板に覆われているようでした


これはなんなんだ?
と思いながら歩いていると
何にも繋がれていないバルブが
あちこちに立ち上がっていることや
消雪管が
あちこちに布設されていることに気づきました。

この赤錆は消雪のせいか?
でも消雪のための水って
赤錆が出るような薬品がはいっていたかな?

なんて思いながらずっと歩いていたんです。
そしたら
如是蔵博物館のあの博識な女性が
消雪管の水は地下水だけど
長岡市付近の地下水には
鉄分が含まれているからこうなるのだと
教えてくれたんです。
さすが!!

その後、帰りの新幹線で
もう少し調べてみると
消雪パイプは長岡発祥だということも知りました。
今度は消雪パイプが稼働している

雪深い時期に行ってみたいなと思います







花火まとめ


ブラタモリを観て
それを踏まえて
長岡について予習してから散策をする
そして
復習して答え合わせをする
足りなかったところは

また来る言い訳に繋がるから良し!


…なのですが

なぜか

やらなきゃいけない勉強は

思うように捗りません

というかやる気がでません笑






さてさて
次はどこへ行こうかな〜♪





バス