久しぶりに
とても見応えのあるドキュメンタリーでした。
仕方のないことなのだけれど
あっちの正義とこっちの正義が違いすぎて
本当に辛かったです。
特に核に関しては
ずっと前から主張が違いすぎて
これからも変わりそうになくて
核関連のドキュメンタリーは
本当に辛いし悲しくなります。
日米関係を壊したくないという理由で
世界遺産の登録に
消極的だった日本は想像できましたが
世界遺産に登録するなら
トリニティサイト(世界初の核実験地)と
原爆ドームをセットで!
と言っていたという当時のアメリカに
物凄い憤りを感じましたし
本当に正義の定義が違いすぎると思いました。
まぁ当たり前ですよね。
勝戦国と敗戦国ですから。
政治的に投下は誤りだったと認めることは
あってはならないのかもしれませんし
本当に悪いことだと
思っていないのかもしれません。
多分本当に思ってないのだと思います。
だけどそれって
終戦後も
私たち日本人を"人間"として見ていない
ってことなんじゃないかと
いつも思うんです。
差別する人やいじめをするような加害者は
相手が自分と同じ"人間"だと
認識していないからできるんだそうですが
その仕組みと似ている気がするんです。
仲間には優しいのに
敵とみなした人間…
いや、"何者か"には
容赦なかったりするんです。
自分たちと同じ言動じゃないからいじめる
自分たちと同じ肌の色じゃないから見下す
自分たちと同じ言語じゃないから…
自分たちと同じ思想じゃないから…
敵は自分と同じ"人間"ではないから
何をやっても良いという思考に
なるんだそうです。
現に日本も
戦時中は敵は"鬼畜米英"
彼らは"同じ人間ではない"のだと
思わされていたし、
原爆投下時、
B29に同乗した記者、
ウィリアム・ローレンスは
"もうすぐ死ぬことになる可哀想な悪魔"
と言っていたそうです。
だからこそ戦えた。
相手が自分と同じ"優しい人間"だと
思っていないから出来るんです。
そう思わなければできないし
そうでなければおかしくなってしまう。
そして実際に
戦時下で人間らしさを失った人は
各国にたくさんいたと思います。
恐ろしいけれど
戦時下とはそういうものなのです。
でも
否が応でも
同じ人間なんだと気付かされたとき
戦えなくなるんだと思うんです。
アメリカの元国務省外交官は
世界遺産の会議にも出て
資料で原爆ドームを見て
分かっているつもりだったのに
世界遺産に登録後
初めて現物を見た時の気持ちを
このように率直に語ってくれました。
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写真を撮ったりポーズをとることが
あの場所の価値を損なうと感じた。
目の前に立つと
これほど心に強く迫ってくるとは
思いませんでした。
圧倒され
その場で立ちすくむしかなかった。
これは日本だけの体験ではない。
真に普遍的なことなんだ。
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現物を見たことで
自分たち(アメリカ人)だったら?
を想像してしまったのだろうと思うのです。
そこで初めて
彼ら(日本人)も
自分たち(アメリカ人)と
同じ"人間"なのだと実感した。
いつ自分たちが
そうなるかなんてわからない。
その時に
あれは正義だったと言えるのか。
彼はそう思ったのだと
私は感じました。
原爆開発指揮者である
トーマス・ファレル准将が
現地を訪れて
その威力と惨禍に衝撃を受け、
「このとてつもなく強力な兵器が
我々によって
そして我々に対して
使用されてはならない理由を示す
恐ろしい証左である。」
と言ったように
現地を訪れて自分の目で見たとき
人間が人間にした恐ろしいことを
初めて実感するのです。
それでもアメリカは言うのです
そうは思うけど
あの時のあれは正しかった。と。
結局は
どこまでいっても勝戦国と敗戦国
東京裁判とかもそうですが
勝った方が正義
と言うことなんでしょうかね。
