遅遅と長岡のブラタモリを観ましたので
ちょろっと感想を…



テーマが不死鳥というだけあって
長岡といえばこの人的な
山本五十六や河井継之助に
全く触れずに終わったので
ちょっとびっくりしましたが
このテーマであれば
歴史的人物を
そこまで深堀りする必要もなかったと思うので
キレイにまとまってたかなと思いました。
(←何様w)





慶応4年(1868)年、北越戦争(戊辰戦争)
河井継之助の中立構想が
新政府軍に受け入れられなかったことから
河井継之助率いる長岡藩は、
新政府軍と戦いましたが惨敗、
長岡は焼け野原となり
長岡城も消失しましたが
河井さんには触れませんでしたね。




明治11(1878)年、天皇北陸巡幸
戊辰戦争で敵側だった
明治新政府を代表する人々の訪問を
街の有力者は迎え入れる決断をし
明治天皇巡幸のために
町や道路整備をすることで
復興を加速させたのだとか。




明治12(1879)年、花火大会開始
神社と花街
良い組み合わせですサングラス




明治中期頃、
鉄道の躍進により
長岡の物流の主流だった舟運が衰退するも
同時期頃に石油産業が発展

石油の発展は
プレートの力によるものということで
番組説明によると
地下に溜まったプランクトンの死骸は
バクテリアと地下熱の影響で石油に変化
水よりも軽い石油は上昇し
丘陵の上層部に存在する粘土層に溜まり
更に盛り上がった箇所(長岡)に
自然に集約されたという理論でした。

大正時代には衰退していくものの
関連する鉄工業などで
長岡の経済を支えたとか…。




で、ちょっと飛んで




昭和20(1945)年8月1日、長岡空襲
終戦間近の空襲
番組で触れていませんでしたが
長岡が標的になった理由としては
石油産出の地であることも
関連しているとかいないとか…。

そしてこちらも
番組では触れていませんでしたが
長岡空襲のちょっと前、
1945年7月20日に
米軍が原爆の訓練として
投下した模擬原爆のことも
忘れてはいけない史実だと私は思っています。




で、更に飛んで




平成16(2004)年10月23日
新潟県中越地震
平潟神社には当該地震で折れた鳥居の跡も
残っているということなので
空襲の痕跡とともに
是非一度この目で確認したいと思いました。




そして現在の花火大会には
鎮魂と復興の意味を込めた花火も
打ち上がっているとのこと

白一色の花火は
戦友の鎮魂のための花火として打ち上げられ
コロナ禍で花火大会が中止になった年も
これだけは
空襲が始まった8月1日の夜10時30分に
打ち上げられ、

フェニックスは
中越地震からの復興を願って
地震の翌年に
初めて打ち上げられたのだそうです。

そんな意味があるなんて
全然知りませんでしたが
エピソードを聞いただけで涙してしまったので
長岡の方々にとっては
本当に特別な花火大会なんだろうなと思いました。

長岡の花火大会って大規模ですごいらしい!
なんて軽い感じで思ってて
本当にごめんなさい。




なんも悪いことしてないのに
何度駄目になっても不死鳥のように蘇る長岡
やっぱり
時間を作って訪れたいと思いました。




サングラス