2024年3月9日。
父親が永眠いたしました。
昭和4年(1929年)生まれ。世界大恐慌の年に生まれた事になりますね。凄いな…。
第二次世界大戦終戦時は16歳。
これだけでも、激動の時代を生き抜いた事は間違いありません。
静岡県出身の父親は、旧制静岡中学校(現:県立静岡高校)から中央大学に進学するため上京。旧制大学学部の最後の卒業生だったそうで、予科3年、本科2年の計5年の為、学年が1つ下の新制学部の人達と合同の卒業式を経験したと言ってました。
その後、ブログではとても書けないほどの紆余曲折を経て、最期は群馬県にて旅立っていきました。
その個性爆発キャラは、家族としては最期まで手を焼きましたが、総じて大往生だったと思います。
とにかく駿河凧マニアだった父親。
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駿河凧・凧八さんの凧をほぼ強制的に作り方から上げ方まで仕込まれました(笑)。左が私、右が兄貴です。よくゲンコツ喰らったなぁ…。
やたら地声がデカいので、とにかくうるさい。だから一緒にいるのが非常に恥ずかしい(笑)。まさに「豆タンク」でしたね。
父親が45歳の時に私が誕生した為、世代のギャップにも常に直面。授業参観ではおじいちゃんが来てると言われるし、鼻歌はもっぱら軍歌だったし…。「同期の桜」や「月月火水木金金」や「ラバウル海軍航空隊」なんて、ほぼ毎日聞かされてましたからね(笑)。なので私、今でも軍歌は相当数歌えてしまうんです…。
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それと、陸軍歩兵第34連隊(橘連隊)の話を良くしていましたね。 若かりし頃、何らかの接点もしくは経験があったのでしょう。
家族関係もホントに謎だらけ。
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これは数少ない祖母と父親と私の3ショット。
当時、神奈川県藤沢市の特養に入っていた祖母に面会に行った時の写真です。祖母は相当気の強い女性であったと言ってました。誰かさんにそのまま遺伝したわけですね(笑)。
そんな祖母の母親はサトさんという名前で、徳川将軍家御用達の産婆だった為、お墓が屋根付きの特別仕様になっていたそうです…もうナニソレ(笑)。
私が生まれたときには、父方、母方の祖父はすでに他界しており、私には祖母しか記憶にないんです。
これだけでも我が家系は全体的に曲者感があるのに、まだまだ続きます(笑)。
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こちらは杉山家集合写真。この時、父親がカメラマン。一番右が若かりし頃の母親です。
私の肩を支えている人物が伯父・茂雄さん。
そして後列中央が従兄弟の晋輔さん 。
これだけ年齢が離れている事もあり、現在は親族としての接点は完全に無し。
伯父・茂雄さんの存在は、父親にとって「偉大なる兄」だったようで、極めてよそよそしい感じだった印象です。 一般的な兄弟関係とはかけ離れた距離感があったように思います。
伯父が陸軍士官学校へ進んだ際は、帰省時に馬に乗って帰省してきて近所中大騒ぎだったという仰天エピソードがあるようで、その記憶から「偉大なる兄像」を作り上げてしまったのではないかと思います。
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たった1枚だけ、父親と伯父が並んでいる写真がありました。伯父の家の応接室にて。真ん中が伯父の奥様で、この方は第5次吉田茂内閣時の草葉隆圓元厚生大臣の長女。
一番左が高校生の私。恐らくこれが最後の面会で、以後一度もお会いしていません。
そんな伯父の残した書籍。
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とにかく呆れる程のタフさで様々な武勇伝を刻みまくった父親でしたが、その最期は穏やかに息を引き取ったと施設の方から報告を受けました。
湯灌納棺を済ませた安置室で線香を上げ
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本日、最後のお別れとなりました。94年間ホントにお疲れ様でしたの一言に尽きますね。
火葬後、収骨の儀を終えるとやはり本当に天に召されたんだなぁと実感しました。
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骨壺が実家に帰ってきたので
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精進落とし風な意味で昼食を一緒に。しかし、ここで一段落という訳にはいかず
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役所手続き諸々が猛烈な量あるので、1つずつ処理していかなければなりません。
まぁ、人が一生を終えるというのはこういうことなんですよね…。ホントに大変な事です。後はこの世に残された我々がしっかりやっておきます。
ともあれ、親父。本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
合掌。