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拝啓 おばあさま

職なし、家なし、胸なし。全国を車でふらふらしています。   おばあちゃん。 ほら、孫はこんなに元気です。

拝啓 おばあさま


暑い日が続きますねえ~。

富山県なう。のわたくしです。昨日は富山県の八尾(やつお)というところに行っていました。
美人の多いと言われる八尾(by地元民)。柴田理恵さんとかの出身地です。


拝啓 おばあさま


八尾は、坂の多い町。
そして、「おわら風の盆」 が有名。

先日おじゃました下北沢のスナックで、お店のお姉さんが「風の盆は今まで見たお祭りのなかでいちばん!」とお勧めしてくださった。まだ前夜祭だけど、その前に町を散歩してみる。

人が少なくて、見晴らしがよくて、美しい町並み。

祭りが始まってしまうと観光客で町があふれかえるらしい。
もう、隣県の金沢市のホテルまで、風の盆を見るための予約がいっぱいらしいよ。
そう聞くと、行こう!と思ってた気もすこし萎えた。あたし人ゴミ苦手やねん。わはははは。人がゴミのようだー!あたしもゴミの一部だーうわー!みたいな。そんなこたないか。

とにかく、身の振り方を考えなきゃなあ。

富山で泊めていただいていたお宅を出て、今夜。
明日は石川県に行ってみようかと思っております。
うーん、ちょっと決めかねる。
ので、おふとんのなかでうとうとしながら決めますね!

北陸も暑いよー
これから台風の季節らしいけど、まだまだ熱中症にも気をつけて。

では、アディオス!←さいきんスペイン語かぶれ。


敬具

拝啓 おばあさま



拝啓 おばあさま


あちい、まじで。

このあと気温はまだ上がりました。
現在北陸におります。友人の実家にお邪魔中。
大学1年から仲良し。大学卒業後は3年間同じ家で暮らした、プチ同性歴7年(今年5月に破局)の友人です。ちなみに破局の原因はわたくしの日本旅行ですごめんなはれ。


富山では即、発電所美術館 へ行きました。
富山へは2回ほど言ったことがあるのですが、行ったのは富山駅と利賀村(毎年、演劇の演出家コンクールやってる)のみ。他ははじめて。
発電所美術館では、ヤノベケンジさんの企画展をやっていました。長期にわたって滞在して、作品を作っる企画だったそう。5トンの水が一気に落ちてくる、とても大掛かりで迫力のある(そして涼しい)企画でした。

美術館の上はカフェと広場があって、このあーちい日でも風が通って気持ちよかった。辿り着くまでの階段が修行だったけどね。


拝啓 おばあさま


まもなく9月ですよ。

どうしたことでしょうこの暑さ。溶ける。真夏のアイスの気持ちがわかる。もう溶けてしまいたい。でろーん。

富山へ向かう途中、新潟の上越市でも、道ばたの道路標識がでろーんとなってましたよ。


拝啓 おばあさま



あ、これは違うか。事故か。


まだまだ猛暑日。
わたしはクーラーつけずに肌着一枚でねばるおばあちゃんのような精神と肉体の強靭さは持ってませんが、現代っ子のわりに扇風機で我慢しております。
熱中症には気をつけてくださいね。


敬具



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ご無沙汰しております。東京にくると筆無精の桃子です。ひー

拝啓 おばあさま
                              東京・歌舞伎町


「東京に入ってからツイートの数が減りましたね。やはり東京は情報が多いですか」
と関東圏の方からツイッターでコメントが。

ザッ ツライト。
ブログもツイッターもぜんぜん書くタイミングが掴めません。
なして?


考えてもようわかりません。
1日が24時間なのはどこにいても変わらないのに、東京へ来たらまるで浦島太郎ですよ。時間の過ぎることの早いこと早いこと。なにやってたんだろこの数日。


そうたとえば、
海へ行ってクラゲに刺されまくったり、

ロボットアクション恋愛映画だよと言われ「インセプション」を観に行ったり、
(渡辺謙シブイ)

前職場の送別会(屋形船もんじゃ!)にお邪魔しありがたいセクハラを受け、

新宿で友人に会うこと数回、

それと壊れた車の修理。

青森でウインカーのカバーを無くした(破壊した)ので、馴染みの車屋さんへ見せに行く。「どれどれ」と言ってしゃがみこむ車屋さん。ガコッ。「あれっ?」  おわー!ウインカーそのものが本体からはずれとりますがなー! 「これじゃあ走れないねえ…」って、今までくっついてたんですっての!それが今やコード一本でぶらんぶらんと車から垂れている始末。
「これねえ、部品注文するから、明日まで待ってね(笑)」いやいやいや。笑いごとじゃあらへんがな(笑)
とりあえず殴ってむりやり車本体にくっつけ、車屋さんをあとにすること数分。

ガコッ

あーあ、はずれたよ。走りながらもわかるよ。今きっと車からウインカーがぶらんと垂れてて目玉はずれた人間みたいになってるよこえーよ。
しゃーないので路肩に車を停める。もーどーやってもはずれた目ん玉は本体に戻りたがりません。コードという名の視神経がでろり。うげ。
通りがかりのおじさんがぷるぷるしながら「テ、テープ…」とセロハンテープを差し出してくれるも、いやそれじゃどうにもならんぜと丁寧に断り、養生テープでぐるぐるまきにしてつたない応急処置をする。いくらすっぴんノーブラ寝癖つきの私でも、これはちょっと悲しすぎる。
翌日すぐになおしていただきました。よかったー。

そんなかんじのことをしていた数日でした。


そして結局、いまだ関東圏。


ええ。25日に関東を出ると行っておりました。しかし実行ならず。
どうぞ嘘つきだと罵ってください。罵倒してください。このメス豚めっっ!ああ申し訳ございませんお許しを……



はい。早く抜け出します。

28日の昼から、富山の発電所美術館に行く予定なの。
こちら、長期にわたっていろいろな現代アートイベントをおこなっているそう。
友人の家に泊めていただく予定なので、これこそは間に合わねば友情にヒビが入る…一回築いた友情を失ったあとはなかなか取り戻せませんです。
しかし遠いなー、富山。


安全運転でがんばろー。
行ってきますです。



敬具



拝啓 おばあさま


この数日まったくご無沙汰しておりました。
便りのないのはよい便り、とは言いますが、まったくもってそのとおり。便る内容すらありませんでした。


たくさんの人に会い、
遊び回りっておりました。

友人達の芝居を観に行き、観客として来ていた同窓生たちとプチ同窓会みたいになり、
鎌倉の夜の海で泳ぎクラゲに刺され肌がぶつぶつになり、
建築学科卒の友人の集まりにおジャマして大騒ぎして帰り、
わいわいと過ごしておりました。
まるで夏休みみたーい。

あたくし以外はそうでしょう。
あたくしだけ万年夏休みですよ。優雅なもんです。すいません。



このままぐだぐだ過ごしていてはただただお金がなくなっていくのみ。
そろそろ旅行を再開しようと思います。

決めました。東京出発の日。

8月25日。


8月25日の昼に、東京を出て新潟南部/西部を経て、富山に入ります。


なにをやってんでしょうねあたしゃ。
ブログを見ると、優雅なもんです。まあ実際優雅か。

この一週間。ぐだぐだ東京生活で出会ったたくさんの人たち。
仕事を始めたばかりの友人に辞めたばかりの友人。
シェアハウスの住人たち。
大学院生。
就職4年目をむかえる同級生たち。
休学から復帰した後輩。
働く先人たち。。。

のんきな人から悩んでる人から猛進している人から、いろんな人がいました。
共通しているのはみんな、それでも前向きだということ。
前向きな人は大好きです。


そういえば、知人が本を出しました。
『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)

そうっす。
以前インタビューさせていただいた古市くん です。


即読了。おもしろい。笑った。

「若者にあきらめさせろ」という彼の主張は、わたしと同意見で、それは多くの人たちによってあんまり好ましくないものかもしれない。「解説、というか反論」として、教育学者の本田由紀さんは熱く否定しているし、それはそれでまあ、人間くさくて好きだ。わたしもできれば否定したい。

けれどこの本田さんも書いているように、『「改革はやりたい人/偉い人がやればいいじゃん」という若者の主張』は、まあよく聞かれる。そんな、自分で動かない人間にとって、“希望”なんてただの願望にすぎない。
どこかにもっといいものがある、と夢見ているような希望を持った若者は、さっさと現実に目を向けて、働くなり諦めるなりなんかすればいいのだ。待ってればどっかから降ってくる“希望”なんて、そんなにあるもんじゃない。

「わたしだって希望を持っていたい」という願望と、「なに夢見てんだ」という脳みそと、どっちも同じくらいの力でひっぱりあっているので、自分でも自分の主張がなんだかわからない。「理屈じゃ感情は割り切れないわ!」という恋愛ワードは、ほかにも活かせるものなのですね。「どんなにダメな男でも、彼が好きなの!」ということです。
いやまあ、希望がダメなもの、とは言いませんけどね。
けれど、『論理的な根拠なき希望』は、船の底にあいた穴に気づかないようなもんです。

批判的なわけでも否定的なわけでもなくて、「そういう状態」なのは目の前に存在している現実として受け止めたい。“希望”というフィルターなんて通さずにね。


まあ御託を並べていても仕方がないので、若者の閉塞感や未来に興味のある方、また理解ができない方、読んでみるとやさしーく説明されています。



旅行中は運転運転の毎日だけど、ときにはゆっくりと、本を読んでみるのもいいですねん。

さて今からは、東北でお世話になった方に手紙を書こう。
午後は車屋さんだ!



敬具


拝啓 おばあさま


べんぴでうんうん言っています。あうあう。
おばあちゃんが毎度帰省のたびに大量にくれる整腸剤ビオフェルミンに頼りっぱなしですが、いくら飲んでも減りませんビオフェルミン。魔法の井戸ですビオフェルミン。

先日、数年ぶりのショートカットにしました。若返ったと思います。私は思います。でももうすぐ26です。そろそろキャピキャピできない歳です。

「27までだな」

と立て続けに2人の男の先輩に言われたことがありました。
キャピキャピの賞味期限は、27歳だそうです。
あかんもうすぐや。


そんな27歳目前のわたしですが(正確には26歳目前。でもそんな変わらんような気がする)
お気に入りのカバンこれ。

拝啓 おばあさま


かーぅわいいでしょーーー!!!
コンドームのカバンなの!

カナダのバンクーバーですれ違った女性が持っていたのに一目惚れした数年前。
ネットで「コンドーム/Bag」と検索して無事発見。アメリカのエイズ団体の制作している鞄でした。即輸入。
左端の下からふたつめの黄色のゴムが丸まってるのがなんとも言えんでしょう。
渋谷でフランス人のお兄さんに「オウ!クール!」と言われました。
新宿で韓国のお姉さんに「コレスゴイネ!」と言われました。
友人に「これでいつでも安心だね」、と言われます。
ええ、ナイフを持ったおっさんが現れても、「せめてコレを!」と差し出します。おじさんの持つナイフは、鞄からコンドームを取り出すのに最適。一石二鳥とはこのことです。
けれど昨晩気づいたところによると、このコンドームの賞味(消費?)期限はすでに切れていました!!なぬ!?
しかしご安心を。計32個もあるカラフルゴム。3枚重ねにしても10回は使えます。
サイズはアメリカンですので、3枚重ねでぴったりフィット間違い無し。なんて素敵な鞄でしょう。



この鞄を小脇にかかえて、昨日も初めて会う人たちが集うシェアハウスへ向かうわけですinトーキョー。
『シェアハウス』と一口に言ってもいろんなものがありました。
昨日行ったのは、何人もで住んでいて、ホームパーティとかWSや事業など、いろんなイベントをおこなっている「まれびとハウス」 というところです。

最近多いですねこういうところ。
ここ数日で、いろんなシェアハウスへ行きました。
昨日は品川のシェアハウス「まれびとハウス」でワイン会。
その前は大崎で30~40人入れ替わりたちかわりのホームパーティ。
千葉にも新宿にも京都にも、そんな場所があるそうな。

年齢さまざまな友達もでき、名刺交換したりマンガ読んだり起業したり付き合ったり、サロンのようなところです。

そういやイギリス?には、共有の作業サロンがあって、それぞれが仕事をし、情報交換をし、新しい事業が産まれたりする場所があるそうですね。
“異業種×異業種=ニュー業種”
たのしいっすよ。

こういうのも、耳をすませている人には入ってくる情報なので、気にしていれば、いくらでもおもしろい人と出会うチャンスがあるというわけで す。
数ヶ月前に某キー局で、となりの某人気番組では『シェアハウスって知ってる?特集しない?』みたいな会話をしていましたが、 『Twitterってナニ?Ustってナニ?』という会話も繰り広げられていたので、情報はあるところにはあり、ないところにはないんでしょう。
耳をすませば、ですね。
耳をすませば天沢聖司くんと恋に落ちる可能性がうまれてくるわけです。
朝日を背に「結婚しよう!」って言われるわけですよ。
あー、ちゅーしたい。



そんな悲しい25歳の欲求は悲しいので置いておいて。
昨日、新コラムが掲載されました。

“働く”ってめんどくさくね? vol.6
「『実りある退屈』な時間を過ごすこと」


彼、赤坂君は北海道で会った84世代です。
自身のブログで、インタビューしたときのことも綴ってくれました。
よろしければ合わせて読んでいただければ幸いです。→『赤坂君ブログ』


私がいつも書いている、84ismのコラム はインタビューコラムです。
しかも個人の考えをメインにもってきているので、賛否両論好き嫌いは、インタビューされた個人のタイプに よるところが大きいです。
しかし、反対意見が出るときは、私の力不足が大きいところではあると思います。できるだけ理解しやすく共感しやすく書くのが私のやったほうがいいことなのかもしれないとも思うので。ですが、わたしはできるだけありのままに書きたいので、偏った意見の場合は偏ったまま書きたい。
「人類シネ」とか思ってる人は、 「人類シネ」とそのまま書かせていただきます。そういう人はまだいませんが。

いろんな人の話を聞けるということは楽しいです。
ときには発見、ときにはケンカ。
あたくしどうも、博愛主義も八方ビジンも無理みたい。

作家の高見順さんは、「傷ついたのは、生きたからである。」と言いました。
まあ高見さんほど激しくバトりながら生きていくことはしませんが、でもその言葉を、重々しく実感している若き日々ですわ。
真剣だから傷つくし、主張するから傷つく機会も増えるんじゃないか。
とりあえず、若いうちはそんなかんじでいいのではないかと思っております。
でも優しさは大好物です。寂しいと死んじゃいます。めんどくさいです。

めんどくさいあたくしはここいらで消えましょう。あんまり長いとめんどくさいんでね。
え?自虐的?かまってちゃんはめんどくさいって?だから消えるっつってんだろーが!…すみませんすみません。

ではでは、生きていく切実な問題として、べんぴとバトるべく、ちょっとお花を摘みに行ってきます。
お花っつーか、花束ができる予感。

さようなら。



敬具