石川県の富来町は、映画/歌「岸壁の母」 のモデルになった端野いせさんの町だという。
ずっとずっと息子の帰還を待ち続けた母。
そして死んでしまった母。
その後名乗りでた息子は、その母のようすを異国で見ていたという。
有名になった母のイメージを変えたくなかったと。
本当に息子さん本人かどうかは疑問が残るらしい。
けれど、個人的には息子であって欲しくない。
死んでから会っても、意味がない。
青い空の下でそんなことを考えました。
歌「岸壁の母」 に続き、その後、息子の立場から書かれた歌… ↓↓
一、 母と別れて何百里
お国の為と戦いて
果て無き荒野、さまようも
戦雲暗く、望み絶ち
せめて己の命をと
守りし姿ここにあり
ニ、 母の姿と岸壁を
風の便りで耳にする
今日本の、あこがれと
子を持つ親の鏡ぞと
いわれし人の真心に
背くまいぞと誓う我
三、 母亡きあとの二十年
心は常にふるさとで
一念発起名乗り出で
今こそ尽くせし孝養を
させてくださいお母さん
岸壁の母いつまでも
彼ら母子がなんの宗教を信じていたかは知らんけども、
死んだら無。少なくとも、生きている人とは交わらない。そう思う。
アタシには霊感なんてものもないもの。
でも、勝手にふらふら日本旅行してるアタシだから、
会いたくても会ったほうがよくても会うことを望まれていても、会えないことがあるってのもわかる。嫌なことに。
今日はね、ひさびさに雨に出会ったの。
そういう出会いはね、嬉しいね。
日本一雷の多い土地、石川県より
敬具