小泉進次郎大臣は、アホだのバカだの言うレベルの生易しい考えの持ち主ではない。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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絵の勢いを見れば、このセリフはかなり違和感がある。バカっぽいことを言いながらも実は裏では色々握っているという政治家のセリフもコレぐらいに違和感を抱かないと思われる。

 


5年前の記事ではあるが、今話題の環境大臣小泉進次郎氏に「自助」が全面に打ち出された社会保障の方針を若手議員の代表として発表していた。ここの記事では、すでに「自助」という言葉が使われているというのが注目するべきことだろう。

 

 

小泉氏といえば、親が元総理大臣の純一郎氏で、当時言われたのがワンフレーズ政治である。その息子の進次郎氏はその親の地盤を受け継いだ自民党議員である。受け継いだものは、地盤だけではなく、ワンフレーズ政治というのもあるだろう。そのワンフレーズは、いまは、環境である。本来環境は人間社会を包み込む多くの事象を含んでいるものであり、複雑な事象として考えなければならないが、ここにワンフレーズを持ってくるのである。それは、レジ袋であったり、スプーンであったり、ペットボトルであったりする。このようなものは、すでに社会の中に浸透して、循環システムが作られている。その環境の取り組みは、そんな仕組みのことをは全く無視して、象徴的な問題に対して集中的に対応するのである。

 

そのやり方は、社会の実情に沿ってやるのではなく、観念的な短い言葉で表されることを精緻な理屈を作るのではなく、一部の側面で見た点だけの整合性を取る形となっている。実際にそれが動くためには、そこにすでにある安直な利権につながるということである。その利権は、ぶち上げた言葉の単純さとそれが社会に関わるところが上辺っつらだけということもあり、社会全体というよりは、非常に偏ったところのみの広がりが少ないところにしか影響がない。経済の連鎖があるというものよりは、連鎖を奪う働きをするという負の作用を伴うのである。

 

環境ビジネスが手放しで喜べないのは、この点にある。太陽光発電のビジネスでは、日本の治水の根幹をなす山林を削ってまで山肌に太陽パネルを貼り付けるという恐ろしいことが生まれていたりするのである。

 

その裏側で「自助」について進めてきたというのが上記の記事のポイントであろう。

同じようなタイミングで言われていた、活力のない1億2千万より、やる気のある6千万がよいという事も言っている。要するに、半分の人口が死にたえるような、格差社会があってもよいという感覚なのである。当然、コロナの災禍の今においても、かつての中共が10億の人民など、国家のために犠牲になっても良いというような感覚で語っていたこともあったが、まるでそのことを拒否するようりは、受け入れるかのような感覚の考え方である。

 

ワンフレーズ政治も、そういう思想のもとで行われる政治であり、内容がどうのと言う前に、そのような格差を「自助」という形で助長するような事をすすめるのである。環境のワンフレーズにしても、日本の技術力の向上というよりは、そういうものを全て無くして、その場にある一部の利権に対して融通をするだけというじつに狭い了見をもとに進められる政治なのであろう。