日高本線の大部分を廃線・・留萌本線も続いていくのか・・。根本的にやり方を変えなければ消滅する | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

見なきゃいけないことを見ないで、袋小路に入っている気になっていてもそれはどうしようもないことなのである。しっかりと出口はあるし、もちろんその出口をで持ても苦労はするがちゃんと未来につながる道はあるのだ。(イエスタディをうたって)

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/599fbe2db42e1529d3d2c377143c27ef2e2a8b89

 

 

 

JR北海道のニュースといえば最近は廃線のニュースしか聞いていない気がする。北海道という土地に鉄道はいらないという考え方が常識化してしまってそれが停められない状況では、自然災害によって沿岸部の路線が破壊されてしまった路線を、修復する気にもならないという鉄道会社としてはその存在意義を問われかねないことが、平気で行われていることをに問題を感じないという世論も問題があるといわざる得ないだろう。鉄道に役割を担わせると、その鉄道は必要なものに変わり、それを基準にするだけで、意地どころか拡張の考えさえ起こってくる。そうすることで、事業に従事する人も増えますますその存在意義が高まってくるのである。

 

北海道という土地は、日本の食料の基地であるという認識がない限りは、ロシアにとられてもしょうがないというぐらいの価値のさがりになってしまうだろう。それは、日本の食料自給率を上げなければ、安全保障上の問題が高まってどうしようもなくなるということにつながるという認識がなければ、なしえないことである。要するに、いつまでも世界は平和であり、こちらが要望したとおりに食料を輸出つしてもらえ、それが安全安心の食料であるという前提が全く崩れないという状況として、その場で安けりゃ何でもいいというグローバリズムの考え方に支配されているのである。いや、グローバリズムより、都合のいいことを考えているといわざるを得ないだろう。グローバリズムでは、国家やその国民の都合などは関係なく、如何に商売で利益を上げられたいいという一点だけを指標に、あらゆるものかね人をリソースとして使い倒すというのが行動原理だからである。要するに、そんなものに頼っても救いようがないことである。

 

鉄道で結ぶのは土地と土地とのつながりである。それを維持発展するためには貨物輸送も活用されるべきであろう。車と鉄道を組み合わせた物流のシステムは省エネルギーという側面でもその発展の可能性も秘めているのである。鉄道システムの制御のしやすさを馬鹿にしてはいけないのである。それを、人が今いなければ成り立たないような民間的な企業に任せることではまったく発展はできないことは火を見るより明らかである。これも新自由主義の「民営化」信仰の結果の失敗であったということだ。鉄道システムを活用して北海道を自給食料の生産地にするための国土利用の改善を図るという観点では、JR北海道は国営企業として再出発し、金儲けという鉄道システムにとっては全く意味がない目的ではなく、北海道の発展のためのインフラ企業として、北海道の再開発の中核企業・団体として再編するべきではないだろうか。