この記事は、まだ訪れていないが近いうちに訪れたいなぁ、と思うところを書いた願望記事である。もちろん、願望といっても、存在しんないものではなく現実にしっかり存在する道路である。
訪れたいと思っているのは、山越えのような急峻な地形にあるわけでもない平野部にあるのになぜか未開通な状態が続いている不思議な区間であるが故であろう。あとは、塩那道路方面に向かう道中に寄れなくはないという訪れやすい場所にある、ということもあるだろう。
当方が訪れるのが早いか、コメントを頂く人のほうが早いか、あるいは全く別の人の訪問のコメントが入るかはわからないところではあるが、できれば自分が写真レポートできれば一番良いとは思っている
□栃木県道62のルート
件の道付近の地図を示そう。
上から下に向けて県道63が走り抜けている方向とは直角に右から左に抜けていく道が、県道62号である。県道の名前の付け方から行くと左から右、と言ったほうが良いかもしれないが、なんとなく県道63からのアプローチが多いせいか右から左(東から西)の方向のイメージが有る。
栃木県道62とは次のようなルートだ。
栃木県道62号今市氏家線 - Wikipedia
今市、氏家ともに平成の市町村合併で消えてしまった自治体名であり、それぞれ日光市、さくら市の中心地区をなしている。それらの地域間を結ぶ都市間道路と言えよう。走ってみると全体的に歩道のない少し狭めの2車線道路が続く道であり、都市間道路としてはもう少し幅を広げたほうが良いと思われる。路線番号も2桁であり、当然主要地方道の扱いである。
□今市から小林橋付近までの動画
上記に紹介した方向とは違い、今市から氏家(地図で言うと左から右)の方向に進む車窓の動画があった。
□風見自動車通行不能区間
語弊を恐れずいえばよくある主要地方道であり、400番代の国道と言われても驚かない雰囲気はある。
ただし、この道は他の道にない特徴がある。それは、ど真ん中に自動車通行不能区間があるのだ。同じ栃木県道である県道28のように山越え部分というわけではないのが他とは違う。
通行不能部分は下記の地図のように、鬼怒川を越える辺りの数キロの区間である。
地図上の黄色の横ラインが県道62である。
上記の動画は小林橋を渡って右折した当たりで終わっている。
黄色の部分が県道として供用している部分であるが、自動車通行不能部分となっている。一部は黄色の線が切れており、指定部分の道が存在していないt頃もある。
また、右から見れば道が突然南に折れ曲がっているところがあるが、現在絶賛工事中の道路建設中の道路があり、地図においては、+++++のような線で描かれている堤防上に作られている。他のところとは一段上に上がった地形となっている。現在までにバイパスとして建設されている右側から伸びる道は用水路を越える橋が終わったところで途切れているが、これが堤防の土手につながる予定になっているようである。
2014年撮影のストリートビューである。上記地図の右側から伸びてきた道が途切れている付近だろう。
このルートに関しては、地図の右側から端の手間の通行止めの手前まで走ったあと、上がわの迂回ルートから左の方向に走ったあと、道の草が多くなってきたので行くのを断念したことがあった。また。この道の迂回路である地図の上方、風見山田付近を走る市道を経由して小林橋付近まで出る道を通ったことがある程度である。既に少なくとも先人が3名レポートを上げているのでそれをなぞる形にはなるだろうが、山ではないところにもこのような道があることを体験するのも意義のあることだろう。ちなみに山と違って冬季通行止めということはないので年中訪問可能だ。
□先人のレポート
(小林橋方面から)
道路レポート 栃木県道62号 今市氏家線 風見不通区 - 山さ行がねが
(風見方面から)
□水路構造も楽しめる
前項で示した先人たちのレポートでは、風見地区の水路についても触れられていることが多い。上記の地図でも長いトンネルで鬼怒川から引かれた水路が描かれているのが分かるだろう。地形の関係で水路を上に通すようにして道がその下をくぐるという構造まであるのが驚きだ。おそらく、上記の地図でいうと発電所のマークの書かれた付近の、水路と道路の交差する場所だろう。県道ルートの迂回路に相当するところであるが、自動車で訪れた時は迂回路を使うことになるはずなのでここを訪れるのも一興であろう。
□県道の年代変化
さすがは廃道界隈の頂点といえる「山さ行がねが」サイト主の記事だけあって、ただただ訪問するだけでなくその道の歴史にも触れている。
Wikipediaによれば、
とのことであるから、普通に戦後に指定された県道のように見えるのだが、上記の記事によればこのルート自体は、明治時代からはあったという記載があった。
過去地図の参照サイト
からこの辺りの道を見てみると、
☆現在の地理院地図
☆1975年の航空写真(左側で木野川を渡る小林橋はまだない。左側で鬼怒川を渡る橋は今の橋よりも高さの低い橋っぽいものがある。鬼怒川の水量が増えたら水につかりそうだ。現行の謎めいた県道指定の道はこの瓦道をベースに指定されているのではないかと考えられる。)
☆昭和前期地図(8年ごろ?)(県道62に相当するような道が存在する。河原のようなところを通過しながら水流のあるところに小さな橋、あるいは渡り船で鬼怒川を越えているように見える。)
☆明治大正地図(基本的には昭和前期の地図に似ているが、鬼怒川の流れが微妙に違う。流れが変貌する川だったことがうかがえる。そのために、道も流れが変わるたびに変えざるを得ない状況だったのかもしれない。すくなくとも大雨の後などは道そのものが水没して通行止め状態になっていたのだろう。なんといっても、鬼が怒る川と書いて鬼怒川を読ませる川なのだから。)
□氏家方面への動画
ここをこえると、下記の動画のようにさくら市氏家方面につづいていく。
小林橋で右折した当たりからとても通常の車両が走れるような道ではなくなるため、下記の動画のように迂回路の市道を経由して氏家方面の開通路まで迂回して進むしか無いのだ。
この予習を受けて実際に訪問した際の報告は次の記事にある
→ 栃木県道62風見未開通区間訪問--2018/01/21(日)