ステーキセンターから君の名は。1時間半歩行 | ずるずると道・郷・話を愛でる

ずるずると道・郷・話を愛でる

房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

最近、このネタについては、映画のレポートというよりは、前後の出来事のレポートという気もしないではないが、数を重ねてはや38回目の鑑賞である。本編の内容そのものも相変わらず良いにせよ、それからあふれる影響がいかにその出来事に影響しているか、というのが実は面白いような気もして、こんなことを書いている。

 

今回は、2017/06/23(金)の第38回目鑑賞のレポートである。

 

すでに、全国では、次の5個所に限られている中当然のように、君の名は。にうえている人々にとっては、貴重な存在となりつつある。

 

君の名は。の興行収入だけを見守るスレ 56

    金  土  日  月~ 
池袋 2100 2100 2100 2100(6/23金まで継続確定) 
川崎 1915 2120 2150 2150(6/23金まで継続確定) 
佐久 1610 1345 1345 1345(6/22木まで継続確定) 
名古屋1840 2055 2055 2055(6/23金まで継続確定) 
徳島 1920 1350 1350 1450(6/23金まで継続確定)

そんな貴重な上映館の一つ川崎にある川崎チネチッタは、その前身の映画館を含めればそれなりに歴史のある映画館らしい。当方が上京した1999年以前のことはよくわからないので、らしい、というぐらいの感覚である。1999年には既にそのような名前で呼ばれていた。チネチッタは、イタリア語の読みのようで、当初英語読みして、シネチッタなど読んでいたが、間違いをある時指摘されてそれ以来正しい読み方ができるようになった。(5年ぐらい後だったので結構恥ずかしい思いをした。)

 

もちろん、チネチッタというものは、「映画都市」を意味するイタリアの施設名であり、川崎の映画館はその名前を借りてきた感じのものである。

チネチッタ Wikipedia

 

チネチッタ(川崎市) - Wikipedia

チネチッタ(CINECITTA')は、神奈川県川崎市川崎区小川町にある株式会社チネチッタが運営するシネマコンプレックスである。イタリアの首都・ローマにある同名の映画撮影所から命名。イタリア語の原義は映画都市

映画都市というだけに、映画館だけでなく周りの飲食店や服飾店、ゲーセンなどがある領域となっており、少なくとも映画館周辺部分はイタリア風のデザインで統一されている。

 

チネチッタは1936年頃に川崎映画街の最初の映画館として『川崎銀星座』を開業した[1]。その後、1939年までの間に川崎に同系列の映画館が6館開業し映画館街を形成した。第二次世界大戦中に空襲によりほぼ全ての映画館を焼失したが、戦後は川崎銀星座を手始めに映画館街を再建するとともに同一地区内にボウリング場なども建設し[1]、かつて松竹蒲田撮影所があった蒲田に同一資本が開設した映画館街とともに、それぞれミスタウン(美須の町)と呼ばれていた[3]

1987年に、これまで別個の建物だった複数の映画館を1つに収容したビルを建設し、チネチッタと改称、現在のシネマコンプレックスに近いものとなった[4]

 

川崎チネチッタ チネ11

 

川崎チネチッタのチネ11番のスクリーンは最大スクリーンであり、そのチネ11で君の名は。が上映される実に貴重な機会が17日(土曜)から22日(金曜)に得られたのである。しかし、その機会もそこに行って鑑賞しなければ宝の持ち腐れというはなしではある。

 

その機会を活かすのにはこれまで以上の覚悟がいることであった。それは、上演の開始時刻の問題である。21時50分開始。そういうアナウンスが有ったのが先週の木曜日あたり。今週も上演が続くという嬉しさもありながら、その時間には複雑な思いを抱かざるを得なかった。

21時50分開始23時40分終了と書かれていた表示をPCの画面で見ながら、どうしたものかと思ったのである。頑張って走って川崎駅まで行って、23時50分発の大宮行きに乗れたとして、有楽町に0時14分に到着する。そこからバスのりばに行けば、最終1つ前の深夜バスに乗れた・・・というのが、6月4日以前の平日のことである。そのバスは、運転はされているが、出発が10分繰り上げになっており、同じ電車に乗れたとしても既に間に合わず。しかも、最終の0時40分発のバスは、行き先が変更となり、さきっぽのルートの運転が打ち切りとなってしまっているのである。既に利用できない状況となっていた。

 

どうすれば、見て、帰れるのだろうか。

 

その不可能に近い解に、一つの光明がさしたのは、なにげにバスの運転をもう少し広い範囲で見たときであった。深夜バス、東京付近から周辺の衛星都市に向けての深夜バスは各方面のものが10分単位で発射している。総武線、京成線、北総線の千葉県方面に関しても、京成バスを始めとする各バス会社が深夜バスを走らせているのだ。千葉駅方面へのバスは、千葉から先の行き先ごとに運転しているのであるが、先日のダイヤ改正と称した利用客の少ない路線の統合と時間の繰り上げで、利用できるバスが変わってしまったのである。

 

しかし、深夜バスならではの、自宅近辺への直通性という最大のメリットにばかり目がうつっていたのであるが、似たような地域へのバスがいろんな名目で走っていることに気がついたのである。普段車で近辺を訪問していることを考えると、その行き先は、それほど自宅から遠くないのではないか・・と思ったのである。そういう観点でバスを見直したところ、少しずらした方面のバスが1本走っていることにがついた。0時50分発である。

 

この時間なら、23時56分発の京浜東北線大宮行き最終に乗っても十分間に合う。

 

行き先のバス停をつぶさに見ていくと、行ったことのある所を示していた。大きな視点で見れば1つの点に見えなくもないその場所は、千葉駅から移動することを考えれば現実的な距離とも言えなくはなかった。最近はグーグルマップで徒歩の所要時間の見積もりもできたりするため、それによってシミュレーションを重ね、まだ実際にはやってはいないがその実現性に自身を持てるレベルにまで、少なくとも気持ちは高めることは出来たのである。

 

勝った!俺は勝ったぞ。

 

何に?というツッコミはその時には許されなかった。ともかく何かの壁を打ち破ったのである。それは、無責任に岩盤をドリルで壊して決壊した大量の出水には責任を持たないボンボン政治家とは違い、もし、水が流れいでたとしたらその水も正面から受け止めなければならない責任が伴うことではあるが、それでも、それでも、できる道が見つかったのはしょうじきうれしかったのである。 

 

決行だ!

 

詐欺的な電話では、使ってはいけないフレーズ、結構です、にモニタその言葉の響きに酔いしれながらその日を待った。結構の日は金曜日。なんか、男女3人組の歌い手がそんな歌を歌ってきたような気がするが、まあ、いいように言えばそんな雰囲気もなくはない。

 

 

B席は、いつもように見上げる席であることを警告されたのであるが、実際に行ってみた所そこまで見上げるほどのものではなく、これまでの小さな箱にくらべて、比較的見やすいのである。

 

3つの予告編、

 

 君の膵臓を食べたい

 メアリーと魔女の花

 打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか

 

をやり過ごして、映画泥棒の、ポップコーンくんが自宅でヘッドフォンをしながらくつろいでいる時に、自分の頭のポップコーンを一粒とって、口元にとってくる時、どうやって食うんだよ!というツッコミをしてしまう流れから、始まる本編の導入はいつもの気持ちが先行したかのような気持ちいいものがある。少し鳥肌が立つ気もするのだ。そう、そのときは、久々(と言っても一週間半ぶり)に見た映画と思いっきり堪能しようという気合は十分だった。気持ちというのは大事ではある。しかし、気持ちに抗えないモノというのもあるのだ。

 

 

違和感は、最初からあった。一度まばたきした時にそれを再び開くときに感じたのである。

 

重い・・。

 

明らかにそのまぶたは重く、抵抗力がいつもの3倍増しぐらいであった。引き開けるのにそれぐらい力が居る割に、閉じるのはほっとけば閉じるこの感覚は、そうあれである。眠い。

オープニングに至るまでの流れは、四谷、新宿から糸守までの浮遊感をしっかり体験した。最初の起き抜けの場面もしっかり見たはずで、それは、入れ替わりエピソードのシーンまで続いていったのであるが、御神体に訪れるシーンが終わりそうなところ、あんた、今、夢を見とるな。からあとのくだりは、夢か現かはっきりしない状況が続いていた。現実に見た映画なのか、それまで覚えていた映画の内容なのか。

一葉が最後の日に言う言葉、「大事にしな(い)よ、夢はいつか消える。」その言葉より、夢は現実を上書きしてしまう、ということを体験したのである。「大事にしないよ、現実(映画)は夢で消える。」とでもいったところか。

 

そんな上映を終え、駅についたのは23時50分すぎだった。分かっていたが近くのバス停に停車する深夜急行バスに乗車する時間に間に合う電車を逃してしまったのは明らかであったのだ。現実を突きつけられて、予め用意しておいたプランを実行せざるを得ない状況を確認しながらそれほど混んでいない電車に乗った。大宮行きの最終電車である。

 

そんな帰りの電車、京浜東北線で、衝撃的事件があったのである。

 

それは、7人がけの椅子の真ん中あたりで起こった。自分は、端っこの疲れているときには最高のポジションに陣取っていたのであるが、ことは突然に起こった。

隣二人が突然立ち上がったのである。その二人で遮られた風景が目の前に現れた。

それはいかにも自然体の、飲み会の帰り少し眠くてすやすや眠る若いサラリーマンが佇んでいた。ただ、いつもと違うのは、少し白味がかった固形物が含まれた液体が大陸を流れて海に流れる大河のごとく口のあたりから流れい出ていた。

 

とらドラ! Wikipediaより 「逢坂大河

 

それは、いかにも吐きますという動作をすることなく、さも自然体という感じで、まるで夢を見ているのような風景であった。なんとなく匂いもいつもと違う雰囲気をなんとなく醸し出していたのであるが、そこまで鼻につくわけでもなく、その姿を2つ横の席から、夢の中の出来事のように見ていたような気がした。

 

衝撃的、たしかに衝撃的であったはずなのだが、横の人の機転の良さなのか、吐出物の拭き取りも十分ではないが周りの人のポケットティッシュの提供もあり、なにより、横の人の問いかけに対する本人の槍都などを見ていると、孤独になりがちな状況を打破できているようで、なんともいい雰囲気になっているようすであった。もちろん、状況が完全に解決したわけではないが、その彼は、気まずい思いをしたにせよ、それは良い体験として記憶されるのではないだろうかと思ったのである。

 

困った人を助ける、そういう雰囲気はまだ残っている。自分がそういう立場だったらどうなのか、という想像力がまだ残っている。そう信じたいところである。

 

 

世界の最先端のやりかたで期待をかけていたの日本にデフレ20年で幻滅された現実があるがそれでも取り戻せる何かがあるとすれば何があるろう。そしてそれを守り取り戻せるものがあるのであれば、まだそれをやるべきなのだとも思った。
 

 

有楽町は下車駅である。そんな思いを頭に残しながら席を立って京浜東北線の電車を降りた。毎度のことではあるが、この駅では、周辺の施設から集まってきた人々が乗り合わせる駅らしく、補助員が押し屋(電車のドアに溢れそうな人を押し込む役)をやるぐらいにそれまで余裕のあった席がぐっと埋まるぐらいの人が押し寄せていた。吐出物の彼は、少し気まずい状況に追いやられているのではないか・・と心配はしたがそれ以上はどうしようもなく、大宮行き最終を見送って階段を降りていった。

 

あんた、今夢を見とるなぁ?

 

君の名は。の一葉(三葉のおばあちゃん)の言葉を引用するまでもなくその夢見心地はこれまでにないぐらいのところにまで至ったといえるだろう。

 

思い起こせば、この電車に乗る前までに見ていた、久々(と言っても1週間と半分ぶり)の鑑賞時にはこれまで、これ以上とないぐらいの眠気に襲われたのである。たしかに、全てのシーンを見ていたという思いはあるのであるが、しっかり思い出してみてもその記憶は歯抜けである。上記の一葉(ひとは)の言葉は、御神体からの帰り道、妹の四葉から声をかけられて彗星を見ようと空を見上げたときに、一葉にかけられたそのシーンは、全く記憶に残っていなかった。夢を見ているな、という言葉すら聞きそびれるほど、夢現(ゆめうつつ)だったのである。

 

そういえば、チケット代が妙に安かった。

1100円だったのだ。

 

レイトショーの値段はいつもの1800円に比べると1300円で安いことはわかっている。しかし、1100円と言われたときには、妙に前の席を取ったから特別に安かったのか?とかレイトショーでも終わる時間が11時以降になるという深夜にかかるタイプのものだからより安い料金となっているのか、とかいろいろ考えて、もしかして、夢の世界の出来事で実は、映画すら見に行っていなかったのではないか、とかそこまで考えるぐらいに現実と夢との間でフラフラしていたような気分であった。

 

その前に食べた、川崎ステーキセンターでの半熟成ステーキ250グラムが何か身体にインパクトを与えたのかその眠気はなかなか侮りがたい状態になっていたのである。

 

肉のこだわり - | 川崎ステーキセンター

 

 

なお、上記の謎のチケット代の安さについては、種明かしがあって、川崎チネチッタの独特のシステムで、毎月23日はチネチッタの日ということで、月初1日の1100円と同様なサービスがなされていたのである。

 

チネチッタ | ニュース | 毎月23日はチネチッタデー!

 

なお、ここのチケット購入窓口は、昔ながらのアクリル板で仕切られた形でのやり取りであり、すこし窓口担当の声が聞き取りにくいことも多い。それ故に、何を行っているのかわからないときは、常識的な判断でそれを推測することが多いのである。もちろん、料金や席の指定場所のような間違えるとまずい場合は、聞き取れなかったとき、伝わらなかったとき(列番号はアルファベット表記なので、BやDの聞き間違えがある。)には何度も、いろんな手段で確かめることも多い。最終的に担当が、お客に対して、チケットを渡す前にこちらに提示して間違いがないかを確かめる決まりもそのことを考慮してのことなのだろう。

 

 

話を戻せば、有楽町からのバスである。かつてほんの少し前までは、地元まで運んでくれていた0時40分発のバスは、無情にもその行き先を変え、地元の遥か手前で車庫に向かってしまうことを、無情につ告げていた。その後に入ってくるバスが今回のバスとなる。

 

バスに乗ってみるといつもの高速の風景とは異なる風景が広がっていた。微妙に走る高速の路線が異なるのである。と思っていたら、気を失っていた。映画鑑賞も実のところ3分の一はまともな状況で見ておらず、まさに夢の中で、映画音楽に触れながら見ていた気になっていただけの状態だったのである。その状況は、京浜東北線の車内でも続き、さらに深夜バスの中でも続いていたのである。夢の中での出会いの出来事がテーマの一つである映画を見る体験としてはこれまでにないぐらいよく出来た話である。夢の中で、帰っている。そして、その行き先は、多分、知っている地元だ・・・。ということだったら良かったのに。

 

そろそろ降りるバス停だというところで、降りねばという気持ちになって少し目が冴えてきた。このバスは後者ボタンを押すタイプでなく、チケットを購入時に、車掌が降りる所を把握してくれているのである。といっても最終的に降りる段になったときには自分ひとりになっていた。この路線も場合によっては末端が打ち切られるのではないかという焦燥に襲われながらも、チケットに書かれた下車バス停で降りた。まだ終点ではないが、バスは、「回送」という表示に変えて出発していった。

 

夢の中での出来事であれば、ここで朝を迎えるという落ちになる。

 

しかし、朝にはならなかった。時間は午前2時10分、朝には到底届かない丑三つ時である。既にときは土曜にを迎えていたが、家の近くではない。もちろん、車で行けば、15分もあれば十分な距離であるが、手段は歩きである。そう決めたのであった。計画の時点では。しかし現実においても、その手段にブレはない。それ以外にないのである。

 

地図というのはなかなか想像力を使わないと現実に合わせ込められないツールである、平面上の移動に関しては性格に把握できるのであるが、奥行き・・あるいは起伏については、上手く表すことが出来ない。最近では、移動の際の標高の変化も表示するようになってはいたのであるがいまいちピンとこない。今回はそれが大きく現れてしまった道中であった。

 

 

バス停からまず少し下る。以前はあった電気屋(コジマ)がなくなってからずっと空き店舗になっているところがそのままになっていたのが少し寂しいものである。近くにショッピングモールができたのでそこに集約されたのかもしれない。それだけにこのあたりの店舗がジリ貧になってしまうのは仕方がないことなのだろうか。駅前のシャッター街の構図と似たところがあるかもしれない。

 

下りきると、道路の交差点があるが、それをこえると一転して登りに変わる。その交差点はどこに向かっても登りなので、交差点付近が底なのである。其処からの近道は、昭和時代に整備されたストレートの車道とは違い昔からの道であり、うねうねとうねりながら比較的急な勾配を登っていくのである。上りの入口にあるコンビニで、バスの中で飲んでいたスポーツ飲料のペットボトルを捨て、先を進む。狭いながらも歩道が確保されているのは好感が持てる。車で走っているときは、この道はそれなりのスピードで走りたくなる道なのである。歩行者にとっては危険度が増してしまう。この時間に通る車はないかと思ったが2台ほどすれ違った。頂点に達した跡すぐに丁字路の交差点となる。左折する。左折するといきなり下りであるが、すぐ先ですぐに右折する。本来は十字路の交差点であるべきなのだろうが地形の問題で少しずれた形の丁字路の組み合わせになってしまう地形もたまにある。

 

丁字路を左折した道からさきの道は歩道が消え去る。右折してからかなりの急勾配で登りきったと思うとすぐに同じ勾配で下っていく。下りきったところは周りがひらけるところがある。そこは、底であり、同じ勾配で登りきる。コレは歩いていて林道を歩いているような気分になる。いや、これは林道そのものと言えなくはない。登りきったあとには、畑が周りに広がる所に出てくる。道路は若干広くなったためか破線のセンターラインが現れる。しかし歩道のスペースはない。たまにやってくる車は、当然ながらハイビーム状態の車が走ってくるのは相当な威圧となる。歩道がないことの恐怖感は歩いてみないとわからないものであろう。

 

 

その後、別の道の丁字路に到達するそこを左折する。

この道も一旦下って、また登る。書いていて簡単すぎることではあるが、その勾配さは20米はあるだろう。行き先にある十字路にはコンビニがあった。久々のコンビニであったが、あとは、家の近くのコンビニまでコンビニはない。中間地点というところである。

 

ここで、県道方向に右折していく。そこからは、勾配さはほぼ無くなる。しかし、そこからは距離がある。しかも、そこまでの足の疲れが出てきたところである。

県道だけあって、歩道は確保されていた。その距離以外は満足である。しかし、県道であり道路が良いせいも有り、トラックも高速で走っていくのである。歩道があるとはいってもその幅は最低限のものしか無いのである。新小岩駅を高速で通過する成田エクスプレスよりこわい感じがする。

 

空を見上げるとすでに朝の先にある光が薄っすらと空を照らしているような気がした。時間は3時30分。まだ深夜の時間になるはずであるが、たしかにAMラジオでは、走れ歌謡曲など、早朝メニューに切り替わっている時間である。

 

 

夢を見る時間を夜通しで色々やりながら過ごしてしまった日であったが、満足ではある。

映画の中に夢が混入したというのはちょっとあれだったのであるが、それはそれ、映画を見た、ということだけなく、林道歩きまで入り込むというなんとも豪勢な構成となったのははからずも良いサプライズにはなった。ただ、もう一度やれと言われたら、やれる気になるかどうかは自信がないのは確かである。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

夢だけで勝手な理想を考えて煮詰めていたところで、現実が見えないことは確かであった。いつも自動車で通り抜けている道がこんなに体力をつかうものであったとか、その車が歩行者にどれだけのインパクを与えるのかとか、深夜の街灯のない道での無灯火の自転車が如何に怖いかなど。一回の体験にしてはいろんなものを示唆する体験ではあった。よく見る、実際に考えてみるためには、そこにあるものをよく見ないと、わかった気になったところで、結局わかったということにならないこともあるのだ。近所の、よくある風景と思っていたところにもあるのだ。

 

それでも、林道を歩いていることはこの現状の把握には役に立ったということもある。いろんな観点で物事を見ることは、物事のあるべきところを考えるためには役に立つのだ。それについても適用先を得て初めて分かるものである。新しいと思うことに考えを至らせなければならないときは、歴史に学ぶのである。地形を徒歩で訪ねるのは、すっ飛ばしたはずの歴史を訪ねていることにもつながるのである。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

ちなみに土曜日からの川崎チネチッタの上映時間は、・・

 

    日 月~木 金 
池袋 1535 1535 1535 
川崎 1650 1650 1635 
佐久 1110 1110 1110 7/2(日)終了予定 
   1540 1540 1540 7/2(日)終了予定 
名古屋1830 1830 1830 6/30(金)終了予定(延長可能性大) 
徳島 0840 0920 0915

ちょっまっ・・・。少し時間が早すぎるのではないだろうか!

さて、どういう対応をしたらよいか。考える時間はまだあるが、常に上演が終了する可能性を考えながらの判断はなかなか難しいものがあるのは毎週のことではあるが、今回は簡単そうでいて意外に対応が難しい部類のものとなるだろう。更に次の週のスケジュールの変更に期待する事も考えられるが、早朝に移行するという可能性も含めて考えると、やはり、実に、悩ましいことである。