高速訪問・県道黒磯田島線(福島県側)1--2017/06/18(日) | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
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今回の訪問先は、県道黒磯田島線。この道は先々週も訪問したが、今回は峠を挟んだ反対側、福島県がわからのアプローチである。例年は、秋ごろに制覇するか、諦めるかという形が多いのだが、前回の訪問と合わせると、今年は、県道黒磯田島線の制覇が早めに実現することになる。

 

 

今回の訪問の前に、先々週の

県道黒磯田島線(栃木部)貫徹(1)--2017/06/04…

も合わせて確認していただけると県道黒磯田島線の通行止め区間の今年の様子を窺い知れることができるだろう。

 

なお、今回の訪問、県道の福島県側の訪問については、それを後押しするものがあった。

そのきっかけともなった記事をリブログさせていただこう。

以前にここのブログにコメントを頂いていた方が実際に福島県側を一部訪問した記事である。


 

□県道黒磯田島線とは

 

今回の訪問の対象の道、黒磯田島線は、「県道」といいつつ県境にある大川峠を挟んで栃木県の黒磯(栃木県那須塩原市の中心地区)と田島(福島県南会津郡南会津町の中心地区)の両地区を結ぶ県境を越えて一体となった「都市間」道路である。その道路自体は昭和42年ごろに完成した模様だ。

 

完成した当時は、それぞれの県で、農免林道大川線、町道男鹿嶽線と呼ばれており、名前的には一体感はなかったが1997年(平成9年)にめでたく栃木・福島県道黒磯田島線(両県の整理番号はともに369)に昇格した。

しかし、完成時以来30年の時を経て本来あるべき名前となったのもつかの間、土砂崩れによる通行止めが発生し、そのまま、本来あるべき修復がなされることなく通年通行止めとなってしまったのである。

 

□県道指定直後の通年通行止め

 

通年通行止めの措置は、栃木現側が先に行われたようである。この後紹介するゲートに残っている掲示にはその旨が書かれているが、今は福島県側も通れたものではない状態ではある。

 

その措置の遠因は、栃木県側は、道路の道中が陰になる福島県側と違って、太陽が当たる方向であることもあったが、政府の指針が東北よりは早くに伝わってしまうということもあったのだろう。

通行止めが行われてしまう、1997年といえば、時は、バブル崩壊後におそった、戦後の日本成長モデルの否定である、緊縮財政、小さな政府の考え方による、本来必要な公共事業である道路工事に対する予算割り当ての削減の嵐が吹き荒れた時代である。

 

それ以前の時代にも、町道、林道時代の保守状況では脆弱なのり面の保護もままならず、土砂崩れが多発していた。それでも、福島県側は法面補強のための構造追加の工事は最後まで行われていたようである。今回の訪問でそれは強く感じた。それに比べて、栃木県側は、林道時代から数えれば福島県側に比べると開通は10年は先んじていたこともあるかもしれないが法面の補強は、昔に行われたままの姿で、それを補強するだけで根本的な構造は変えられなかった。代わりに行われていたのは、砂防ダムの建設である。

 

因みに、前回の栃木県側の訪問は2週間前の日曜に、栃木県側、深山ダムの上流部分かかる深山橋から大川峠の広場までの訪問であった。1997年の最後の4輪車の乗りとおしレポートの大川峠広場の写真と、現在の大川峠のありようの写真を比べて感慨にふけったものである。しかし、思った以上に寒くて長居はできかなった。

 

□福島県側のアプローチ

 

福島県側については、今年のGWの連休中にアプローチしかけたことがあった。あたりも暗くなっていたので基本的には徒歩の訪問はあきらめていたのであるが、それでも、見たことがないぐらいに手前で通行止めになっていたのは少々ショックだった。通行止めの理由は「積雪」である。その様子は、上記のリブログ先の写真にあった。当方も写真は撮ったが、ヘッドライトの明るさで標識の文字が吹っ飛んだ絵しか撮れていない。

 

福島県側の昨年の自分の訪問では、それ以前とは異なる様相を呈していたことは注目に値する。10年は動かされていなかった、ガードレールの足をI型鉄鋼で固めた重そうなゲートが置かれていたのであるが、それがあっさりとよけられており、しかも、頻繁に車両が通行したような轍があったのだ。そして、いつもの通行止めの手前にある、釜沢橋(その直前で林道・萩沢釜沢線を右に分ける)の手前にトラロープに三角の目印がいくつかぶら下がったものが一本貼っているだけという、これまでにないぐらいに簡易的な通行止めの表示だったのである。

 

そういうようになった理由は、杉の伐採工事がなされており、その運搬のため、これまで通年通行止めであったゲートが横に避けられて、車両が通行できる状態にしていたのである。もちろん、その通行は業務上のものに限られ、通年の通行止めが解除されていたわけでもないので、一般車両は相変わらず釜沢橋の手前で通行止め扱いになっていた

 

今年、ようやく積雪の通行止め表示がなくなって、いつもの通年通行止め地点まで、4輪車で進めることができるようになっていた。リブログ先の記事にある写真を見ると釜沢橋の先のゲートが元のように置かれている様子であった。昨年に大々的に行われていた伐採工事は昨年で終了して通行止め扱いに戻ったということであろう。

 

リブログ先の写真では、車両が通行できる状態になっているところで終わっていた。ゲートから1.5キロほど歩いたということであった。当方の認識では、法面補強の構造が右側に現れる右の急カーブのところに本当に轍が消えるところがある。下記の写真のようjな縦書き、反射板に書かれた「落石注意」、というような真新しい文字だけの表示があるところだ。

そこから右のカーブして道は進んでいくが、これまで開けていた道が一変し、人一人が通れるスペースを残して小さな木々が横から張り出して来ており、長い間車両が通行していないことを示すのである。

 

 

□今回の訪問の流れ

 

前置きはこれぐらいにして、天気は曇りで場合によっては小雨がちらつきそうな具合の天気であったが、県道黒磯田島線の福島県側通年通行止め区間を訪問してきた。

 

*行きは、千代田石岡IC下車、矢板西那須野間も利用

 

現地までのアプローチは、県道30が国道400に交差するところまでは、栃木ルートと同じで、そこから、国道400を山間に向かう。そのまま尾頭トンネルで山を越えて、みちなりに国道121を進んでいくと、道の駅たじまに到達する。

そこで軽く食事を取ってから進んでいく。

本来であれば田島の中心地区を通るのであるが、今回はその手前の林道(2車線確保された立派な道)でバイパスして栗生沢に至るルートを利用した。これまでは帰りに使っていた道である。

 

 

以下の図は、国土地理院の地図にプロットしたものである。

 

*出発は16時15分。車はだれも止めていない。

以前は道路の2重にふさぐ形で縦に並んでいたゲートが、今回見てみると横方向に延長する形で、横に並んでいた。横からの進入に対する防御を行いたかったのかもしれない。

 

また、これまでになかったことといえば、ゲート手前から右に進む道が補強されていた。かつては、叢となっており、道なのか判然としなかったルートが、はっきりと道となっていた。道の先は、先ほど渡った釜沢橋の下を流れる水無川の支流の河原で終わっていた。その先の斜面は気が伐採された状態になっていた。昨年の木の伐採工事の続きがその道の先でお行われていて、その運搬路として使われていたのだ。徒歩で確認しにいったのだが、残念ながら写真を撮り忘れてしまった。。

 

*ゲートから先の直線路までアスファルト舗装は続く

ゲートを越えると途切れていた舗装が復活する。轍のようになっているのは、4輪車の両輪の間に草が生えてきてしまっているためである

右カーブの先の切通を通って、その後は直線のルートでぐんぐん登っていく。

 

直線状に伸びる道は、見た目より距離がある。しかも、直線で楽に進めそうなのに、実はコンスタントな角度の地味な上り坂であるため、思った以上に息が上がってしまうのだ。

 

 

 

途中に、造林契約地の看板が目に入る。この辺りは植林した林になっており、昨年の工事で多くの木々が伐採されている。その運搬ルートとして県道のルートが使われていたのである。ただし、近隣の地域にも造林が存在するため、支道がいくつか作られており、県道本線より轍がしっかりしている道もある。この看板の左に分ける道もそんな道の一つである。県道から見て左側は、水無の流れがあるため、谷状の地形をなしているため、支道は、少し下り気味に進んでいく。そのため、県道との標高差があっという間についていく。

途中の足元を見ているとアスファルトとが続いている。その上に表示された白文字の一部のようなものが見えたが、いったいなんの後なのかは不明である。直線路を登りきっていくと、少し左カーブしながら林道の様相を呈していく。右側に山が迫り上に木の枝と発破が覆いかぶさってくるのである。

*縦書き「落石注意」のカーブで轍は終わる

ここまではかろうじて車の轍が続いている。道の迫っている枝の類も自動車が通行するのを死傷するほどでもない。そうこう言っているうちに最後の「落石注意」の看板が見えてくる。ここから先は右カーブする。右側に落石防止のコンクリートの土台とその上の網の構造が現れる。この形式の落石防止柵は、これからも多くあらわれるものである。

 

ここまで標識を用意しているということは、ここまでの通行をイメージしていたのでは?と毎回思う。

*新設の法面補強の構造は多くある。

田島町の通行止め看板。土砂崩れが有りすぎて、もはやどこのことを指しているのかわからない

 

*平成2年竣工の砂防ダム確認

 

 

以前から路盤がえぐれているところは、今回、以前より微妙に路盤の欠損が進み、ついに、一旦2メートル下に降りないと歩けなくなっていた。ここにも通行止めの看板があった。

 

 

*草に覆われた落石は躓き注意

 

*オーガ沢橋は突然に

 

ここには、栃木県側のリスの代わりに取りが居た。

 

 

*次の男鹿沢橋までは、結構長い。

 

 

路盤が90%欠損しているところは以前と変わらない感じがした。

唯一の交通標識である落石注意の標識である。たしか、黄色だったようなきがするが、色が抜けて白くなっていた。

もう少しで男鹿沢橋・・である。

水量があるのか、けっこう水無川の流れる音がよく響く。

 

高速訪問・県道黒磯田島線(福島県側)2--2017/0 へ続く