ダンス佐藤氏への諫言とは | ずるずると道・郷・話を愛でる

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なるほど。ファンであることの態度というのはこういうものか!ということを知った記事であった。

前からのダンス佐藤氏のファンであったリブログ先のみぬさ氏は、戦後レジーム強化の左右のプロレス状況を知らしめ、とくに保守派に喝を入れたいそのスタンスはなかなか素晴らしいものであるが、最近はいま一つ物足らないところがあるという。

 


 

保守の態度を示すものとして、日本国家を保守する態度としては、分析に忙しすぎてその先が大名草理になっているのではないか?ということである。まさに、水島氏のあおられたとき決まり文句「じゃあどうするの?」にもっと果敢に取り組んでほしいといういわば諫言である。

 

水島氏の「じゃあどうするの?」と似てはいるが、これまでのあおりを踏まえて飲み込んだうえでのその質問は、相当期待に飢えた状況であるが故のものである。

この質問の答えは、国家の中核たる国民に対して、経世済民になることを進めていく、ということなのであるが、それを望む方法が国民には分からない状況になっているという。その方法を考え、試していく必要があることを示唆はしているが、そういう抽象表現から先の活動に対する発言が聞けなくてもどかしいのだ。

 

水島氏は言っていた。もっと具体的な話にしようよ、と。

 

水島氏の真意は、あまりに本質的なところを突かれて、そんなところも迄前提が崩されたら、読んできたメンバーが話す内容がない、と思ったのだろう。そこにいるメンバーでできる話を具体的にしたかった、ということではある。

 

しかし、佐藤氏は各論にはあまり参加しなかった。それは、いつもの保守派の好きそうな議論だったからかもしれないが、本質論をいうのであれば、その各論に対して具体的にどういう態度をとればよいのか、ということを発言して、「具体的に」知りたがっている水島氏はじめとする、保守派に保守的な態度とは何かを知らしめることを期待したい・・ということなのである。

 

Youtubeの意見でもダンス氏はいらないよ、といっていたのは、下界に降臨してきてこういう時はこういう態度をとるのがいいのよ、といってほしかったことの裏返しなのではないだろうか。視界の上すぎてまぶしいだけの太陽やんけ、ということである。光を弱めて視界の位置に降りてきて、こういうことですよねー、とあるべき態度を示して、それが結局、民を救うという意味の経世済民へつながっていくことになるということを示さないといけないのだろう。天皇、防衛、グローバリスト。それらの話を経世済民につなげるための態度である。

孤高を気取っていては実にもったいない!

 

 

伝わらないがゆえに、水島氏は「何言ってるのかわからないのだけども」と正直に表明して、夜桜Barで、いつまでたっても、妄想宰相安倍に片思いを続けてしまうのである。あの討論では、見苦しくてもメンバーに伝えないといけなかったのだろう。もちろん、3時間という時間制限の中で行うのはなかなか厳しいとわかってはいるが、期待してしまうのだ。

 

この物足りなさは、当方ももっともやもやした気分というぐらいの正体不明のものとして感じていた。

それを「具体化」したのは、さすがは上記の記事は秀逸と言わざるを得ないのである。

 

天才はここであってほしいと同時に、たまには下界に降りてきて迷える子羊を導く(そういえば、頭髪も迷える子羊さんは最近どうしているのだろう。)