深夜のサイキッカー軍団 | ずるずると道・郷・話を愛でる

ずるずると道・郷・話を愛でる

房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

すでにはるか遠くの昔にも感じられる三〇年から四〇年前。そういう表現をすると本当に昔のように思うが、日本がイケイケドンドンだったバブル期のことである。

 

元号が平成になったその頃に、当方は、高校生や中学生をやっていた。特に高校の頃は、それまでの高度成長期に変化が起こり始めたときである。九〇年前後にはバブル景気と呼ばれる時代が来るのだが、それより四年ぐらい前の八六年のプラザ合意の関係で、一挙に円高が進み、輸出に安易に頼っていた中小企業が多数倒産したこともあった。そういう中小企業に勤めていた親父も失業者になったのが、高校2年のときである。幸い蓄えがあってなんとか次の仕事につくことができたため、路頭に迷うことはなかったが、そのおかげか奨学金の候補者になることができた。それは余談ではあるが・・。ともかく、そういう時代であった。高校生ともなれば、ヤンタンやヤンリクなどの深夜AMラジオに夢中になって寝不足になりながらも聞きふけってしまうということもあるだろうが、どうもそういうものにハマることはなかったのである。

しかし、それでも、ラジオ番組欄の、端っこの端っこにひときわ輝いて見えたのが、

 

MAKOTOのサイキック青年団

 

という文字であった。

当時、MAKOTOと名乗っていた北野誠の冠番組であったが、その文字からは全く何をする番組なのか知れない。

なんで聞くことになったかは思い出さないが、まあ、いわゆる高二病的な感覚でものを物色しておりそんな中で見出したものだったかもしれないが、一回聞いて、ハマったというのが本当のところだろう。

 

誠のサイキック青年団 - Wikipedia

 

朝日放送のの放送休止の直前の時間、日曜の深夜・・と言うか月曜日の未明の時間、朝の5時ぐらいまで、放送機器点検のためか、ラジオの放送の休止時間が設定されていた。その最後の枠という、空き時間に、趣味全開な番組を放送していたのである。

 

朝日放送の放送作家の板井と呼ばれるヒトと、MAKOTOと竹内と名乗るおっさんが3人でトークしていたように記憶する。(Wikipediaによれば板井、平野という名前が見える。頭のなかでごっちゃになって、板野と記憶していた)

 

その後、なにか似たような名前の人がいるとかで、いろいろあって、本名の北野誠と芸名を変更した関係で、番組のタイトルにも影響した。ただ、ただでさえ狭いラジオ番組欄が狭くなってしまうほどのMAKOTOの文字列よりは、一文字の誠の方がきちっと入りきってよかったのかもしれない。

 

大学に入学するころには、大学の学園祭にも大学の有志がイベントを開催することもあった。せっかくその大学の学生だったのにもかかわらず有料のイベントなどに参加するパワーがなく、それらしい大教室で外からちらちら覗くのが関の山であった。

 

大学の学生期間中も結構聞いていた気がするが、すでに記憶はおぼろげである。聞きっぱなしで、それをフォローする書籍なども持っていなかったためどんどん記憶はこぼれていくのである。そういえば書籍などはあったのだろうか。

 

 

アマゾンで探したらあっさり見つかったりする。しかしその存在には気に留めなかったかもしれない。ホイチョイプロダクションのマンガ気まぐれコンセプトの同じような本は買った記憶があるのにこの本は今の今まで気が付かなかった。サイキッカーとして失格かもしれないなぁ。

 

状況直前の1998年頃に知り合った東京の人にサイキックの話をしたところ、北野誠って何か好かんのやな、という旨のこといわれて、それ以上突っ込んだ話もできなかった記憶がある。入口で門前払いされた形になってしまったので、本当の楽しさを伝えられなかったという可能性もあるが、単に濃すぎて、おぇーと戻したくなる世界に辟易しただけかもしれない。

 

その後1999年に上京し、帰省するタイミングぐらいしか関西に帰る機会がなくなりすっかりきかなくなってしまった。就職先の会社の同期で関西出身の1人がじつはサイキッカーだったことを知ったのではあるがその後にその話をした覚えがないので意気投合して話が盛り上がったこともなかったのだろう。

 

その後、あまり聞けないで、番組は崩壊という形で終了するとともに、それだけに限らず芸能界から一時干されるという事を知った。

桂朝丸ことざこばが、まっこっちゃーん、げんきにしとるかー、ばーにんぐ!とかそういうことをラジオで言ったとか言わなかったとか。明らかに何かの逆鱗に触れて活動停止の状況まで追い込まれたのである。

それまでも、どこかの宗教方面からの話があったりしてたのであるが、そこまでひどいことになっていなかったように思う。ここまでのことが起こってしまうのは流石に怖いものを感じた。

【誠のサイキック青年団】北野誠の現在は?不適切発言の真相は?【毒舌 

上記の記事に色々かかれている。

 

この間購入したDVD

 

 

これは2008年8月末の制作であるから、番組は崩壊する2009年3月までにまだ半年以上もあるときだったのである。

全くその前時代にワープした世界を舌作品だったのである。そのあたりの感覚がなかったので、古き良き時代を垣間見た結果だったのである。もうサイキックの世界は戻らないのであろうがそこで撒かれた物の見方は確実に浸透しているとも言えるだろう。

 

今はなき噂の真相という雑誌などはこのラジオを聞かなければ知りもしなかったし、見えている見せられている世界の裏側についてそんなに関心も持たなかったのかもしれない。もちろん、そういうところの情報は、有象無象のものであり、よりわけなければ、問題の核心に至ることができないこともまた事実。

実際に、少なくとも、政治経済の世界について、見えない世界を見出したことで、嫌韓、嫌サヨク、となり、それのアンチとしてのウヨクがそれだけで正解というわけでないということに気がつくのにまた時間がかかったものである。そして、国を維持するために公共事業の大切さを知り、自由貿易がそれだけで絶対善ではないことを知ったあとにそれっぽいことを実現してくれる現首相の登場にころりと騙された口であった。すでに、その当時に標榜していた事は殆ど骨抜きにされほとんどサヨクも顔負けの亡国に勤しんでいるという悪夢を見せられていることも、悪夢とわかるだけの技量が身についたのである。裏を見ろ、しかし、裏は慎重に見ろ、ということである。

 

まあ、サイキッカーが全てそういうことになっているかはよくわからない。サイキッカーにとって、やしきたかじんと親しかった橋下徹をどう見ているのか気になるところではあるが、ただのネトウヨ止まりだったらそれはそれで悲しいものではある。

 

 

 

サイキック青年団を思い出させてくれたのは、次の記事

演歌「ご主人様」縁の下の力組の中毒性

を書くに至った、

この映像である。この映像にツッコミを入れていたのが上記DVDというわけであった。

176555については、そういうツッコミもないので話題に上がらなかったのか時期がずれていたかもしれない。

この記事にある種のツッコミを入れてくれたブログ主にも感謝である。

 


 

 

-8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---8<---

追伸、

 

アベノミクス評、相変わらず、問題提起は前半だけ正しくて、後半は有害かな・・・って、

 

アベノミクス限界 歳出改革避けられず 
2016.12.22 21:59 
http://www.sankei.com/economy/news/161222/ecn1612220033-n1.html 
 平成29年度予算案は、新規国債発行額を7年連続で抑制し、安倍晋三政権が目指す「経済再生と財政健全化の両立」をかろうじて維持した。ただ、頼みの税収は伸びが鈍化し、限界がみえつつある。高齢化で社会保障費の膨張が続く中、痛みを伴う歳出改革に正面から取り組む必要がある。 
(中略)

 安倍政権は社会保障費の増加を抑制する一方、アベノミクスの“果実”といえる税収増を、優先施策に重点配分してきた。だが28年度は円高が進み、法人税収などが減少。外的要因に左右される足腰の弱さを浮き彫りにした。 

・・・と思ったら、記事は最初から最後まで有害な話ばかりであった。

アベノミクスは、それ自身に全く意味を持たない、国債発行額の抑制を目指して行動しているという話からスタートする。チョーさんのだめだこりゃ?状態である。

しかも、税収増が果実だと言う。どこに景気を良くして経済を回す要素があるのかさっぱりわからない。産経がどこを向いて記事を書いているか不明だが、最初から最後まで「だめだこりゃ」な記事を発信するのはちょっと頭おかしいとしか言いようがない。